楢﨑智亜:「フィジカルモンスター」にして「忍者」は自在に壁を登る

退路を断ち、兄弟でのオリンピック出場を狙う

2016年には世界選手権の男子ボルダリングで日本人初優勝を果たしてみせた

小学5年生の時に始めたスポーツクライミングに魅了され、高校卒業と当時にプロとしての活動をスタート。日本人で初めて世界選手権を制し、2020年東京五輪と同じ3種複合で行われたコンバインド・ジャパンカップでも優勝した楢﨑智亜は、オリンピックの有力なメダル候補だ。

20歳で世界選手権を制したプロクライマー

「有名になりたいですね。僕やプロのトップ選手が有名になると、クライミング自体も有名になっていくと思うので」

所属する「TEAM au」の取材でそう話したのは楢﨑智亜(ならさき・ともあ)だ。1996年6月22日生まれの若手フリークライマーとして活躍する。世間的にはあまり知られていないかもしれないが、日本にはプロとして活動しているクライマーが何人かいる。楢﨑はその一人だ。フリークライミング日本代表チームのユニフォームサプライヤーである「The North Face」の契約アスリートであり、日本山岳協会に属するスポーツクライミングカテゴリーのオフィシャルスポンサーであるKDDIが結成した「TEAM au」の一員として、サポートを受けながら世界各地で行われる大会を転戦し、賞金を獲得しながら競技生活を送っている。

2016年、楢﨑はIFSC(国際スポーツクライミング連盟)が主催し、2年に一度開催されるクライミング世界選手権の男子ボルダリングにおいて、日本人として初めて優勝を飾った。「これまでの競技人生で一番うれしかった瞬間」。そう振り返るほどの実績を残したことで自信を深めると、同種目のワールドカップ(以下W杯)でも日本人で初めて年間チャンピオンに輝き、わずか20歳にして一躍、トップクライマーの仲間入りを果たした。

2017年のW杯では「リード」「ボルダリング」「スピード」の3種目の複合で年間チャンピオンになった。2020年東京五輪のスポーツクライミングは、この3種目すべてをこなすコンバインドの成績で争われる。すべての種目で強さを発揮する楢﨑は、東京五輪のメダル候補に名乗りを上げている。

器械体操で挫折し、小学5年生の時に転向

楢﨑が本格的にフリークライミングに取り組み始めたのは、小学5年生の時だった。それまでは器械体操をしており、それなりに名の通った存在だったが、小学4年生の時に競技続行を断念した。突然、床が浮かび上がってくるような恐怖感に襲われ、競技をすることができなくなってしまったのだという。次に何をするか悩んでいた時、先にフリークライミングを始めていた兄と一緒にやってみたところ、すっかりその魅力に引き込まれた。

中学時代、高校時代はフリークライミングに明け暮れる日々を送った。2012年、16歳の時には世界ユース選手権の男子リードで4位となり、同じ種目で初めてW杯にも出場。出身地である栃木県宇都宮市の高校に通いながら、国内外の大会に参戦していった。当時は物理と数学が得意科目で、医師になることを考えた時期もあったという。

しかし、高校卒業を機に楢﨑はプロ転向を決意する。両親からは大学進学を勧められ、本人も悩んだようだが、「逃げ道をつくりたくない」と、プロのフリークライマーとして生きていく覚悟を決めた。そこからわずか2年で世界チャンピオンになったのだから、その選択は間違いなく正しかった。

「忍者」スタイルのクライミングで魅了

楢﨑は「フィジカルモンスター」あるいは「忍者」と呼ばれている。そのクライミングスタイルは独特だ。幼少期に器械体操で鳴らしただけあって運動神経は抜群で、体脂肪率は2パーセント前後という鋼のような肉体を誇る。肩甲骨周辺の可動域が広く、全身のバネとしなやかな動きを駆使し、リズムを取りながら躍動感あふれるクライミングを見せる。

169センチと海外の選手に比べると小柄であるため、普通に手足を伸ばしただけでは届かない場面もあるが、そんな時には得意のランジ(ジャンプ)が冴えを見せる。スピーディーでアクロバティックな動きが「忍者」たるゆえんだ。

2016年の世界選手権の数カ月前からは、「チバトレ」で知られるフリーパーソナルトレーナーの千葉啓史氏のトレーニングを受け、体の正しい使い方を学んでいる。世界選手権制覇はその成果が如実に出たものでもあったという。

クライミングのスタイルも少しずつ変化させている。2016年ごろまでは」フィジカルの高さを使ってカッコよく登ること」を美学にしていたそうだが、それ以降は「効率的に、確実に登ること」にもこだわるようになっていった。予選は確実に登り、決勝では自分のクライミングで攻める。「勝つためのスタイル」を確立させたことも、世界制覇につながったと言えるだろう。

東京五輪と同じ形式の大会で国内初タイトル

確かな実績を残した2016年、2017年に続き、2018年6月には第1回コンバインド・ジャパンカップで優勝を飾った。スピード、ボルダリング、リードの順に競技を行い、それぞれの順位を掛け合わせた値が少ない選手から順位が決まるという2020年東京五輪と全く同じ形式で行われたこの大会で、楢﨑はスピード1位、ボルダリング4位、リード1位という好成績を残し、ユース世代以降では国内公式戦での自身初タイトルを獲得した。スピードでは6秒87という日本新記録も樹立した。

「国内大会の優勝は初めてなのでうれしい」とこの大会を振り返った楢﨑は、「弟と最後まで接戦で競うことができて楽しかった」とも語っている。楢﨑と最後まで優勝争いを演じ、惜しくも2位になったのは、3歳年下の弟で、同じ「TEAM au」で活動する楢﨑明智(めいち)だった。

普段は電話で3時間も話し込むこともあるほど仲の良い兄弟だ。スピードの日本最速記録を競い合うなど、ともにトレーニングに励み、切磋琢磨し合える身近なライバルでもある。

東京五輪のスポーツクライミングに日本代表として出場できるのは、男女それぞれ最大2人まで。つまり、楢﨑兄弟が日本代表として五輪の舞台に立つ可能性もある。そして、日本は知られざるスポーツクライミング大国。「(出るのが)この2人だったらめっちゃ楽しい」と語る楢﨑兄弟が表彰台に並ぶシーンが実現する可能性もゼロではない。

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