【アスリートの原点】ガブリエル・ジェズス:サッカー王国の貧困地域で育った少年は刑務所でキャリアをスタートし、国民的スターに

父は失踪し、母が女手一つで育ててくれた

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
少年時代に父が姿を消し、母のベラ・ルシア(左)が女手一つで育ててくれた。電話をかけるゴールパフォーマンスは母に捧げるものだ

現代サッカー界のトッププレーヤーであるネイマールとともにブラジル代表の主軸を担うのがガブリエル・ジェズスだ。まだ22歳になったばかりながら、オリンピックとコパ・アメリカでの優勝など輝かしい記録を持つ。決して恵まれた環境で育ったとはいえないが、そんな彼を支え続けてきたのは最愛の母だった。注目のブラジル人ストライカーの原点に迫る。

パルメイラスの下部組織時代は48試合で54得点

ガブリエル・ジェズスが産声を上げたのは1997年4月3日。ブラジル最大の都市サンパウロで5歳の時にボールを蹴り始めた。憧れの選手は、当時ブラジル代表のエースとして活躍していたロナウジーニョだった。

8歳のころ、刑務所に本拠を構えるペケニーニョス・ド・メイオ・アンビエンテというアマチュアクラブで選手としての一歩を踏み出した。生まれ育ったのはジャルジン・ペリという小さな街で、貧しい地域だった。しかも、父親は末っ子であるガブリエルが生まれる直前に失踪し、母親のヴェラは家政婦の仕事をしながら、4人の子どもたちを懸命に育てなければならなかった。

質素な食事を食べ、夜は壊れかけのベッドに家族全員でくっついて眠る生活。ガブリエルは必然的に「いつかサッカーで家計を支えたい」と思い描くようになり、朝から晩まで必死にボールを蹴り続けた。

15歳になると、夢への扉が開き始める。名門パルメイラスの下部組織に入団し、48試合で54得点を決める驚異の決定力を発揮。2015年にトップチーム昇格を果たし、デビューシーズンに20試合に出場して4得点をマークした。ブラジルサッカー連盟によって最優秀新人賞に選ばれると、その名は一気に世界中に広まった。

ヨーロッパの多くの強豪クラブからのスカウトが殺到したが、彼の心を動かしたのはイングランドのマンチェスター・シティを率いる名将ジョゼップ・グアルディオラからの電話だった。知的な戦術家の下ならばさらに進化できると考え、2016年8月に移籍を決意。同年12月まではパルメイラスでプレーすることを選び、2016年シーズンのブラジル全国選手権ではチーム最多の12得点を挙げて、同クラブを22年ぶりの優勝へと導いた。最高の置き土産を残し、英雄はイングランドへと渡った。

「電話をかける」ゴールパフォーマンスに隠された意味

ジェズスを語るうえで欠かせないのが、そのゴールパフォーマンスだ。電話をかける仕草は、最愛の母へ一番に喜びを伝えたい気持ちを表している。実際母のベラ・ルシアも、ブラジルと時差のあるイングランドで開催される試合でも彼のゴールの瞬間を必ずチェックし、すぐさま彼の携帯を鳴らすという。ジェズスはある取材で「人生において何が正しくて、何が間違っているかを教えてくれた母さんのことを誇りに思うよ。かけがえのない存在だ」と話している。

マンチェスター・Cでも得点源となり、リーグ戦、そしてカップ戦での優勝に大きく貢献。「彼ほど闘えるストライカーはいない」と、指揮官は全幅の信頼を寄せる。ブラジル代表としては自国開催となった2016年のリオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得し、2019年7月にはコパ・アメリカでの12年ぶりの優勝の原動力となるなど、その勢いはとどまるところを知らない。生まれ育った故郷、そして母への感謝を忘れないワンダーボーイは、ブラジル国民の大きな期待を背負い、進化を続けている。

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