Tokyo2020(東京五輪)で初めて正式競技に採用されたスポーツクライミング。その競技としての発祥はヨーロッパにおけるロッククライミング(岩壁登攀)にある。近年では日本勢の活躍も目立ち、メダル獲得が期待される。ここではスポーツクライミングの起源や歴史、強豪国について解説する。
何から起こった?いつから競技化?
急峻な岩山での登山行為である岩壁登攀(ロッククライミング、アルパインクライミング)から生まれたスポーツクライミング。欧州で競技化されていくなかで、複数のルーツがあるとされ、1940年代後半から1980年にかけて、当時のソビエト連邦において自然の岩場で、規定の高さまで登る速さを競うスピード種目の競技会を開催したのが始まりとされている。
オリンピックでのスピード種目は、15メートルの高さで、二人隣り合わせで競技を行う。
ロープを確保支点毎に掛け直しながら登るリード種目に近いものは、1950年代のフランス・ヨセミテでのフリークライミングから派生した。1985年、イタリアでは岩場でリードによる初めての競技会が開催され、フランスでは室内に設置されたクライミングウォールにおいて競技会が開催される等、徐々に欧州での競技会が活発化していった。
オリンピックでのリード種目は、6分間の制限時間で15メートル以上の高さで行われる。
ロープを使わずに手足のみ(シューズとチョーク)で登るボルダリングは、フリークライミング黎明期から行われていたものの、競技化されたのは1990年代後半で、大きな岩(Boulder)の語源から岩壁というよりも大きな一枚岩を登る種目。
オリンピックでのボルダリング種目は、約4メートル程度の壁に超高難易度のコースを設定し、4分以内にどこまで登れるかを競う。速さだけでなく、以下に少ない手数で登れるかも採点基準となる。
東京オリンピックでは、この3種を合わせた「コンバインド(複合」として初採用された。
日本のほか、アルプス山脈沿いの欧州勢が強豪
伝統的に強いのは、フランス、イタリア、ドイツ、オーストリア、スロベニアなどのヨーロッパ諸国。これらは険しい岩壁を擁するアルプス山脈周辺の国々で、伝統的にクライミングの文化が根付いているといえる。
一方で、山国である日本も1950年代からクライミング競技者が存在し、各地の岩場を舞台に独自の文化を生んでいた。岩場での「冒険」を旨とするフリークライミングとは一線を画す、人工的な壁面コース主体の近年のスポーツクライミングも盛んで、2019年の世界選手権では男子の楢崎智亜が優勝、女子では野口啓代が準優勝。メダル候補の一角として数えられている。
その背景として、ボルダリングの普及があげられる。2008年には100軒に満たなかった日本国内のボルダリングジムは、現在では500軒以上にのぼる。また、日本のボルダリングジムは課題の質を向上させることで図ろうとするジムが多く、さまざまなレベルのクライマーに対応していることも要因のひとつと言えそうだ。
ただ、ボルダリングとリードで高い実績を重ねる日本勢だが、瞬発力と手足の長さが求められるスピード種目は国際大会において遅れを取っている。
どんなリーグや大会がある?
1990年代になると、日本や米国等の欧州外でもIFSC(国際スポーツクライミング連盟)主催による国際大会が開催されるようになり、現在に至る世界選手権やワールドカップ、ユース選手権等の各大会がスタートした。当初はリードとスピードの2種目だったが、1990年代後半にはボルダリングも導入され、現在の3種目(リード・ボルダリング・スピード)となった。