ランナー田中希実について知っておきたい5つのこと/パリ2024陸上競技女子1500m

執筆者 Hirotaka Hikoi
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写真: 2024 Getty Images

東京2020オリンピック陸上競技女子1500mで8位入賞を果たした田中希実(のぞみ)。日本陸上界の歴史に新たな1ページを刻む快挙だった。無観客の国立競技場のトラックを凛々しいまなざしで前を見据え走る田中の姿を、テレビで観戦し感銘を受けた人も多かったのではないだろうか。それ以来、田中への注目度が一気に上がったと言っても過言ではない。

中学時代から中長距離ランナーとして知られた現在24歳の田中は、2020年の日本陸上競技選手権女子1500mで念願の優勝を果たして以来、2024年までに5連覇を果たしている。東京2020では女子5000mにも挑んだ田中は、2022年の日本選手権で1500mと合わせて2冠に輝いた後、今年までに3回の優勝を飾っている。

パリ2024オリンピックでは、田中は女子1500mと5000mにエントリーしているが、すでに8月2日、女子5000m予選が行われ、田中は予選1組目で9位に終わり決勝進出を逃している。7日に行われる女子1500m予選では1組目に出場。入賞を目標に大舞台に臨む。

ここでは、パリ2024の大舞台に向けて期待の高まる中長距離ランナー、田中希実について知っておきたい5つのことを紹介する。

田中希実のもつ日本記録の数は?

田中にとって、1500m、5000mが主戦場であると見て、まず間違いではないだろう。しかし、田中は1000mから5000mまでのさまざまな種目で9つの日本記録を持っている。これは現在、日本の陸上競技選手の中で最多となる。

最も新しいものでは、今年5月のダイヤモンドリーグ第6戦オスロ大会(ノルウェー)の女子3000mで更新した日本記録。

田中のもつ9つの日本記録は全て2021年以降にマークされたものばかりだ。中でも最も印象的なものは、2021年の東京2020オリンピックで連続して記録した女子1500mの日本記録だろう。この時、田中は8月2日に行われた予選で、前年に樹立した自身の日本記録を更新(4分02秒33)したかと思えば、4日の準決勝でそれをさらに短縮し、女子日本選手として前人未踏の3分台(3分59秒19)に突入した(決勝では8位入賞)。

田中希実のもつ全日本記録

  • 女子1000m:2分37秒33(2022年6月22日)
  • 女子1500m:3分59秒19(2021年8月4日)
  • 女子1マイル:4分32秒73(2023年4月22日)
  • 女子3000m:8分40秒84(2021年7月10日)
  • 女子5000m:14分29秒18(2023年9月8日)
  • 女子ロード5km:15分34秒(2022年11月12日)
  • 女子1500m(室内):4分08秒46(2024年2月4日)
  • 女子1マイル(室内):4分28秒94(2023年2月4日)
  • 女子3000m(室内):8分34秒09(2024年5月30日)

田中にとって、これらの数々の記録はあくまで目標に向けて突き進んだプロセスの結果に過ぎない。目標とするパリ2024の大舞台での入賞は、自身の日本記録の更新を通過点としたその先に見えるかもしれない。

哲学ランナー田中希実

田中希実はランナーだ。1500mと5000mを中心に走る中長距離ランナーである。

2022年以来、何度も合宿のために足を運んでいるケニアでは、現地の選手たちをじっくり観察しては自分に落とし込む。そして自己分析を行っては、納得がいくまでこのプロセスを繰り返す。

ケニアと言えば、リオ2016、東京2020の女子1500mの覇者で、3分49秒11の世界記録をもつフェイス・キピエゴンの母国だ。その偉大なる存在の気配を間近に感じながら、チャレンジャーとして彼の地に身を置くのが田中希実流だ。

「自分らしさ」「自分の強さ」「走る意味」とは何かを自問自答しながら走り続ける24歳。ランナー田中に別の表現を使うなら、哲学ランナーと言ってもよいかもしれない。

自問自答できる思考力は、田中のパフォーマンスを精神面から支えている。チームメイトや仲間と話せば、自問自答する必要は少ないかもしれない。しかし、田中は自問自答を繰り返して自己を見つめ、目標達成に向けてセルフコーチングする能力に長けている。

田中希実を支える家族の力

田中希実に中学生の頃からアドバイスする父の健智(かつとし)さんは、男子3000m障害で日本選手権出場経験のある元ランナー。母の千洋(ちひろ)さんも北海道マラソンで2度の優勝経験を持つエリートランナーである。田中は、こんなランナー家族の中で成長した。

健智さんが本格的に田中のコーチを務めるようになったのは大学生の時だった。それ以来、二人三脚で世界の舞台で戦っている。家族での取り組みは、何でも言える風通しのよい環境となり、調子のよい時には大きな力を発揮する。しかしその一方で、結果の出ない時などはかえって苦しいこともあるだろう。選手とコーチの関係以前に親子関係であることによって、必要以上にぶつかり合うこともあった。「あきらめが悪く頑固で偏屈」なところが親子で共通するというが、これも父親譲りの田中の強さと言えるだろう。

「記録ではなくて記憶に残る選手」と田中のランナー像を思い描くコーチ健智さんは、これまでの田中のさまざまな距離での日本記録も、1500mあるいは5000mで自らをどのように表現するかを考えた上でのプロセスの結果と考える。ラストスパートで海外勢に負けないよう800mの距離にも取り組んできた。

昨年4月からはプロランナーとして活動を始めた田中。より効率よくトレーニングに集中して取り組む環境が整った。パリでも家族の絆を地力に、多くの人の記憶に残る走りを見せたいところだろう。

文学ランナー田中希実

読書と日記が趣味だったという小学生の頃、「走れる作家になりたかった」と、田中は自らで執筆したエッセイ「田中希実の考えごと」(2022年9月17日付より)で述べている。ニュースサイト「The Answer」で連載されたこのエッセイでは、田中が「走りながら日々考えたこと」を豊かな表現力でつづっている。

2022年7月の世界陸上オレゴン大会で3種目(女子800m、1500m、5000m)に出場した田中は、自身の最終種目となった女子5000m決勝を走り終えた直後のテレビのインタビューで涙を流した。その時の心情を次のように表現している。

「しかし、虚しさは埋まらなかった。立ち止まりたくないし、走り続けるしかないのに、そうする意味が見出せなくなったから。涙が出たのだ」

「結末のない物語を虚しく感じてしまう。やっぱり結果にとらわれている。だから苦しい」(2022年12月18日号付より)

読書を愛する田中の好みのジャンルは、日常の現実世界に不思議な事象が入り混じる「エブリデイ・マジック」(ファンタジーのジャンルのひとつ)という。昨年12月には、文芸雑誌「文學界」(2024年1月号、文藝春秋)に「夢物語を真実に――ファンタジーの力」というタイトルでエッセイを寄稿していることからも「ファンタジー」の世界への関心の高さが伝わってくる。

「私の走った軌跡が、いつか上質なファンタジーになることを希(ねが)う。そして、いつかゴールする時には、ああ楽しかったと言えることを希う」とエッセイ(2023年11月11日付より)につづった。

パリの夢舞台で、人々の想像を超える真実の走りで、「上質なファンタジー」を見せてほしい。

プロランナー田中希実のもうひとつの夢

2023年4月からプロランナーとして活動を始めた田中は、「NON STOP PROJECT」という次世代の女子ジュニアアスリートを支援する取り組みを開始した。選手やランナーとして記録や結果を残すだけでなく、「純粋に競技を楽しんでいる選手のチャレンジを表現する場」を創り上げることを目標に掲げ、今年3月には多くの若手ランナーたちと国内で合宿を行っている。

田中希実が自らを表現するもうひとつの場所となるプロジェクト。今後の活動にも大きな期待がかかる。

田中希実(たなか・のぞみ)

  • 生年月日:1999年9月4日(24歳)
  • 出身地:兵庫県小野市
  • オリンピック歴:東京2020オリンピック
  • 自己ベスト:女子1500m 3分59秒19(2021年8月4日)、5000m 14分29秒18(2023年9月8日)*いずれも日本記録
  • 出場種目:女子1500m、5000m
  • ソーシャルメディア: XInstagram