失った自信を取り戻しパリ2024オリンピックに向けて準備万全のスター選手たち
友人や家族もわかっていた。ファンも信じていた。テイラースウィフトでさえわかっていた。シモーネ・バイルズが、ついに復活した。
6月のアメリカオリンピックトライアルに出場した彼女は、東京2020で苦戦した後、再び体操競技を楽しんでいるように見えた。
テキサス出身の彼女は、「ツイスティー」(実際の演技と身体の区別が難しくなる現象)を体験し、彼女いわく「心と身体が同調していない」と表現し、有明体操競技場で行われた決勝の初日に団体種目を棄権した。
最初の種目である跳馬で空中での感覚を失い、2.5回転の代わりに1.5回転のユルチェンコを跳んだ後、着地時の方向感覚に狂いが生じていた。
その瞬間から、バイルズは、大会の顔であろうとなかろうと、自分が何をすべきかわかっていた。
非常に個人的な決断をしたことで、7度のオリンピックメダリストは、精神的、肉体的な健康を守ることができ、チームメイトは彼女の苦闘に邪魔されることなく競技を続けることができた。
瞬く間に、バイルズはチーム最大の得点源から最も声援を送るサポーターへと変貌を遂げ、銀メダルフィニッシュまでチームを応援し続けた。
日本で最も注目された選手のひとりであるバイルズは、ある個人的な決断によって、メンタルの健康とセルフケアをめぐる話題に焦点を当てた。個人総合を欠場したバイルズは、平均台のみ決勝に出場し、貴重な銅メダルを獲得した。
スポーツの内外から広く支持されているにもかかわらず、バイルズには、第一に健康になること、第二にパリ2024、そして3度目のオリンピックに向けて歩み続けること、そのために克服すべき課題が残っていた。
治療には、多くの時間をセラピーに費やしながらスポーツから離れ、ナショナルフットボール・リーグの選手ジョナサン・オーエンズと結婚するなど、練習以外の生活を楽しむことが必要だった。
「私は体操と結婚していた......今は体操は私の1日の一部でしかない」とバイルズは新たな考え方について語った。
2年間の休養の後、観客はアントワープで開催された2023年世界選手権で初めてバイルズの復帰を目の当たりにした。4つの金メダルと1つの銀メダルを獲得したバイルズは、世界選手権史上最も多くのメダルを獲得した体操選手となった。
カムバックを告げるには十分過ぎる結果だった。
本人は「感動的だったし、すべてに意味がある。この場所に戻り、心地よく、自信を持って試合に臨めるようになるために積み重ねてきたこと。とても大きなことだった」と振り返った。
トライアルでアメリカ代表の座を勝ち取ることは、オリンピックのためにフランスの首都に向かう切符を手にする前の最後の条件だった。
そこでテイラー・スウィフトが登場する。
バイルズのゆかルーティンを紹介する投稿にコメントしたスウィフトは、彼女の楽曲を部分的に使用し、こう書いた。
「何度も見たけど、まだ準備ができていない。でも彼女は準備万全よ」
スウィフトの新曲“Ready for it?”に関連する表現としては古臭いやり方だったかもしれない。しかし、私たちと同じように、3度目のオリンピック出場を決めたバイルズのパフォーマンスに喜びを感じていた。
誰もが、その姿を待ち望んでいた。
パリ2024に向け、普段の生活とエリートトレーニングを両立させるケーレブ・ドレッセル
アイコンの足跡をたどることは、その名を冠された者にとっては困難と隣り合わせでもある。
ケーレブ・ドレッセルは、リオ2016を最後に引退した28度のオリンピックメダリスト、マイケル・フェルプスの足跡を踏まなければならないスイマーだった。
ドレッセルはリオで同胞と力を合わせ、男子4×100m自由形とメドレーリレーでフェルプスと並んで2つの金メダルを獲得した。
2021年に開催が延期された東京2020で、ドレッセルは5つの金メダルを獲得。前回リオ大会での偉業を再現した上、男子50mと100m自由形、100mバタフライの個人タイトルを加えた。
フロリダ出身のドレッセルは、ロングコースの世界選手権でも17個のメダル(金メダル15個)を獲得しているが、東京2020終了後に獲得したメダルは、ブダペスト2022での男子50mバタフライと4×100m自由形での金メダルだけだった。
ハンガリーで開催された世界選手権の4日目、ドレッセルは「健康上の理由」でプールから離れ、さらに9ヶ月間競技に復帰しなかった。
「健康的でないことはわかっていた。どんな種目でも世界記録を更新しなければ、自分のキャリアは無駄になってしまう。それが僕の考えで、かなりおかしなことなんだけどね」と、ドレッセルは5月のプロモーションビデオで、自身の農場でトラクターに乗っている映像とともに語った。
彼はまた、遅い新婚旅行のためアイスランドに行き、アパラチアン・トレイルの一部をハイキングし、マナティーと泳いだ。
9月、彼は「水泳と幸せを手に入れることができると知っている」と投稿した。「僕は人生のある時期、その両方を手に入れた。休みが必要なら、休めばいい」
プールに復帰後、彼の心境を最もよく表したコメントのひとつは、こうだ。 「僕にとって何よりも大事だった瞬間は、9ヶ月間休養していたとき、再び水に入って、自分が人間であることを彼ら(チーム)が見てくれたときだった。僕はロボットではなかった。もうただの機械ではなかった。『彼だって練習中に怪我をするんだ』と思われ、苦しんでいることも伝わった。だから、それがチームとの関係にとって本当に大きかったと思う」
農場で暮らし、牛やニワトリ、妻のメーガンや幼いオーガストと一緒に過ごすことも、均衡を保つのに必要なことだ。
「時々代表での活動をして、ここで生活するのはいいことだよ。プロアスリートの大多数が切望していることだと思う」
アダム・ピーティーがパリ2024に向けた健康バランスについて語る
3度のオリンピック金メダリストであり、8年間で8度の世界選手権優勝、15度のヨーロッパ選手権表彰台という驚異的な記録を持つ競泳選手のアダム・ピーティーもまた、2022年にプールから遠ざかり、彼が言うところの “肩の上の悪魔”と向き合っていた。
人間関係の破綻、足の骨折による競技への影響、注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断されたことなどが影響を与え、彼はアルコールに頼ってしまった。
100m平泳ぎで史上最速の記録を20も保持するピーティーは、その後6ヶ月間休養し、リセットする時間を持った。
その間にピーティーは、3歳になる息子のジョージを含む家族、友人、新たに見つけた信仰、そして水泳に全精力を注ぐことで、よりバランスのとれた生活を手に入れた。その水泳は、かつてものとは違っていた。
ピーティーには今大会でメダルや記録を追い求めるのではなく、プロのエリートアスリートに要求される厳しさを克服する別の理由があった。
「今、僕はただ復帰して、自分自身に挑戦し、人生のあらゆる分野で自分自身を最大限に引き出したいと思っている」
彼は2023年9月のベルリン・ワールドカップで競技に復帰し、100m平泳ぎで59秒85を記録して6位入賞を果たした。しかし、それは大したことではなかった。
「誰かのためではなくて、はじめて自分のためにやっている。ここにいないといけないのではない。ここにいたい。楽しんで、ベストを尽くしたい」
「学びたい。もっといい人間になりたい。もっと草の根活動に貢献したいし、もっと力になりたい。解放されるよ」
6月24日、パリ2024開幕まであと1ヶ月を切ったところで、ピーティーはこう投稿した。「この12ヶ月間、この旅が簡単なものでないことはわかっていたし、練習のためにシーズンの大半を無駄にしなければならないこともわかっていた。それでも、なんとか道を見出せている。さあ、行くぞ......」
スウィフトのトラックを締めくくるリフレインは、バイルズ、ドレッセル、ピーティーのような選手たちにぴったりだ。
「準備はいい?」
「ベイビー、ゲームを始めよう」