ブレイキン・ニュース:BガールAyumi「今の自分があるのはブレイキンのおかげ」
女子ブレイキン界のトップで活躍するBガールAyumi。Olympics.comのインタビューに応じ、パリ2024で新たに採用されるブレイキンが彼女自身に与えた影響を語った。
20代になってスポーツを始め、その競技で世界の頂点にたどり着くのは無理な話だろう。多くの人はそんなことを言うかもしれない。
しかし、BガールAyumi(本名:福島あゆみ)は21歳でブレイキンを始め、14年後にBガールとして初めてRed Bull BC Oneワールドファイナルに出場。2021年の世界選手権では優勝し、ワールドゲームズでは銅メダルを獲得した。
「(ブレイキンを始めて)3週間でバトルに出たんですよ。案の定、もう全然ダメで(笑)相手は小学生の女の子でした」
Olympics.comのインタビューで当時の苦い思い出を笑いとともに語る福島だが、初戦の敗北から20年弱、39歳となったBガールは世界の頂点に君臨し、現在も並々ならぬ情熱をこのダンススポーツに注ぐ。
ブレイクダンスの名でも知られるブレイキンは、2024年に行われる**パリ2024**オリンピックで新たな種目として採用される。
「ブレイキンから学んだこともたくさんあるし、これをやってて色んな人と関わり合えたり、色んな国の方と友達になったり、自分の人生に大きく影響してきたので、そんなブレイキンを(オリンピックを通じて)たくさんの人に見てもらえるのは嬉しいことだなと思います」と語る福島は、Olympics.comとともにブレイキンが彼女に与えた影響を改めて振り返った。
カナダでの勇気と路上での出会い
京都出身のBガールAyumiは、姉で**BガールNarumi(福島梨絵)**の影響でブレイキンを始めた。
高校卒業後、カナダに留学していた福島は夏休みを利用して日本に一時帰国し、もどかしい思いを抱えながら京都の夏を過ごしていた。
「(カナダで)言語の壁に当たり、人と話すのがすごい苦手で…。ブレイキンを始めて結構明るくなったんですけど、そんなに前に出るのが得意なタイプじゃなくて。プラス、英語が全然話せなかったから、余計シャイになってしまって全然スピーキングが伸びなかったんですよ」
「何か新しいことを始めたいっていう気持ちと、あと留学で10キロぐらい太ったんですね。何かしなきゃみたいな意識が大きくて。そのタイミングで姉からダンスを見に来たらって誘われたんです」と、ブレイキンを始めたきっかけを振り返る。
高校時代にヒップホップダンスの経験があり、これまでにも姉のブレイクダンスの大会を見に行ったことがあった福島だが、実際にやってみると、見るだけだったときとは異なり、このダンススポーツにすぐに魅了された。
「ブレイキンってすごい難しいから床に手をついて体を支えるってことも結構しんどいんですよね。でも毎日1個ずつ進化していくのがすごく面白くて。今日できなかったけど、明日もやろう! って」
ブレイキンを始めて3週間後、福島はBガールとして初のバトルに参戦した。目の前に立っていたのは小学生の女の子。自分より10歳ほど離れた相手とのバトルの途中、福島は何をするかを忘れてしまってその場に座り込み、のちの世界王者の最初のバトルはあっけなく終わった。
「それがダメとか誰も何も言わなかったし、そういう感じかぁって(笑)その後もひたすらブレイキンが好きになっちゃって。(京都で)毎日練習に行って、カナダに帰っても練習場所を探しました」
カナダに戻ってブレイキンを続ける方法を模索していたある日、福島はヘルメットを持った男性を見かけ、見ず知らずのその男性にブレイキンの練習場所を尋ねてみた。英語で人と話すのが苦手だった学生にしては、勇気のいる行動のように思えるが福島は笑顔でこう続ける。
「(ブレイキンが)すごく楽しくて。カナダにBボーイやBガールの友達はまったくいなかったし、どこでやってるかも知らなかったんですけど、どうしても続けたくて自分なりに探してたら、ヘルメットを背負っている男の人がコーヒーショップの前を歩いていて、話しかけに行ってみたんですよ」
思い切って英語で話しかけた相手はたまたま日本人のBボーイで、このときの勇気によってBガールAyumiのブレイキンキャリアが音を立てて動き出し、以来、福島は多くの場所でパフォーマンスを行い、イベントの審査員を務め、世界選手権での優勝にもつながっていく。
心のバランス
京都を拠点に世界トップレベルのブレイカーとして活躍する一方、普段の生活では幼稚園や保育園で英語・ダンスを教える先生としての顔も持つ。
「(ダンスの世界では)ダンスだけで生計を立てている人もいるし、お仕事しながらやってる人もいます。(仕事をすることは)私にとっては生活のためでもあるんですけど、心のバランスのためでもあります」
福島が心のためと語るには理由がある。
「戦うっていうことを怖いなと思った時期もありました。何かやらなきゃっていう気持ちの方が大きくなって。自分ではそう思ってなかったんですけど、身近な方からある日、『ただビビってるよね』って言われたんです。そのときに『確かに』って気づいたんです。ダンスは好きだし楽しんでやっていて、楽しい中にしんどさがあるものだと思うんですけど、第1の楽しさを自分の中で少し忘れていたのかな」
自分を表現することが不可欠なダンスという競技において、福島がトップレベルのパフォーマンスを発揮できる理由はこの気づきにあるのかもしれない。
「ブレイキンってずっと進化し続けるダンスで、それが楽しいところなのに、それを忘れちゃったら自分のダンスじゃないなって思います」
Breaking Life
オリンピック新種目を世界中で練習している5人の若いダンサーの目を通して、ブレイキンの世界を知ろう。 BガールやBボーイになるとはどういうことなのか? ストリートから世界最大の舞台へと進化しつつあるアートフォームにおいて、彼らはどんな試練を乗り越えるのか。そして、アスリートであるために何が必要なのか。
ブレイキンが新たに採用されるパリ2024オリンピック
福島のブレイキン人生は小さな浮き沈みこそあれ比較的安定していたが、2年前にヘルニアを患い、回復までに4ヶ月を要した。それゆえ、体や大会との向き合い方は以前より慎重だ。
「左半分の肩、首の後ろから手の先までのしびれと圧迫がひどくて、回復までに4ヶ月ぐらいかかりました」
「昔だったらみんなでワイワイ楽しく何時間も練習できたんですけど、怪我をしたことで自分の体と向き合うようになって、練習時間にも制限を設けました」
福島はパリオリンピックのことも見据えつつ、まずは目の前の1戦1戦に集中する。
「パリに向けての気持ちは大きく持ってるんですけど、自分の体ともよく向き合っていかなきゃいけないと思っています。スポーツの大会に出られるチャンスがあるときは、1戦1戦自分の最善を尽くしたいし、それに向けてベストな状態で臨みたい」
「自分が出れるチャンスのときまでにベストなコンディションを作るのが一番の私の課題です。その先にパリはあるのかなって思っています」
「ブレイキンから学んだこともたくさんあるし、これをやってて色んな人と関わり合えたり、色んな国の方と友達になったり、自分の人生に大きく影響してきたので、そんなブレイキンを(オリンピックを通じて)たくさんの人に見てもらえるのは嬉しいことだなと思います」
「(私にとって)ブレイキンはむちゃくちゃ大好きなものですね。自分の人生に大きく影響を及ぼしてくれてて、今の自分があるのはそのおかげだと思います」
かつてシャイだったBガールはそう語ると、朗らかな表情で胸を張った。