志田千陽「出会えて幸せ」松山奈未「オリンピックに連れてきてくれてありがとう」パリ2024バドミントン女子ダブルス銅メダル

執筆者 Chiaki Nishimura
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写真: 2024 Getty Images

ふたりにとって苦しいことの方が多かったここまでの道…。結成10年のふたりがオリンピックの舞台で笑顔を輝かせた。

パリ2024オリンピックバドミントン女子ダブルスの3位決定戦から一夜明けた8月4日、銅メダルを獲得した志田千陽(ちはる)、松山奈未(なみ)がTEAM JAPANの記者会見に出席し、それぞれの思いを語った。

リオ2016オリンピックの女子ダブルスで高橋礼華&松友美佐紀が金メダルを獲得して以来、同種目で2大会ぶりに日本にメダルをもたらした「シダマツ」こと志田千陽、松山奈未。今の気持ちを聞かれると、志田は「正直あんまり実感が湧いてないんですけど、今はすごくほっとしていて、嬉しい気持ちではあります」とし、松山は「前日に準決勝で負けてしまって、メンタルが不安定な状態だったんですけど、最後ふたりらしいプレーも出せました」と笑顔で振り返った。

志田千陽&松山奈未、想い合って掴んだ銅メダル

シダマツは3位決定戦をストレートで制したが、準決勝での敗北から1日で気持ちを切り替えることは、簡単なことではなかった。頂点を目指していた選手たちにとって、それは多くの人が体験することだろう。翌日の3位決定戦、松山は不安な思いでその舞台に立っていた。

「3位決定戦のプレー中もプレーの前も、全然自信を取り戻せずにプレーをしていたんですけど、今まで自分が培ってきた練習が自分の体に染み付いていると思って、ただただ目の前の一球を相手のコートに返すということだけを意識していて、それがとても良いプレーにつながった」

「終わってみれば、自信はなかったけど戦える自分を少し褒めてあげたいなって思いました」と続ける。

敗戦後、次の戦いに挑むことの怖さ…。それは志田も同じだったが、それを表には出さずポジティブであり続けた松山の姿に、志田はあらためてパートナーの強さを実感したという。

「準決勝が終わって、すごくふたりとも落ち込んでしまって。次の試合が怖いというのは私もそうだったんですけど、でもお互いそういうことを口に出すことはなかった」

「試合が終わって松山が泣いているのを見たりとか、あとインタビューで『すごく怖かった』と話しているのを聞いて(松山の胸の内を)初めて知った。試合前は前向きなことしか話してなくて、『今日、勝っても負けても終わりだから、とにかく全部出し切ろうねー』とか『楽しもうねー』みたいな感じでコートに立っていた。(松山の)そういう姿は私も気づかなかったので、終わってみると奈未らしいなと思いますし、それが奈未の強さだったかなと思います」

松山奈未「(志田千陽が)ずっと私を待っていてくれた」

秋田県出身の志田と、福岡県出身の松山は、互いに高校生だった2014年にペアを組み、今年で結成10年を迎える。

東京2020ではオリンピック代表選考レースに敗れ、母国開催のオリンピックへの出場はならなかったが、パリ2024に向けては、永原和可那&松本麻佑ペア、福島由紀廣田彩花ペアと代表争いを繰り広げ、ランキング日本勢トップでその座を掴んだ。

しかし、松山が怪我に見舞われるなど思うようにふたりでプレーできず試合に出られないこともあった。ここまでの道のりを振り返った志田は、「私たちは中学高校のときからすごく仲良くしていた。同じ目標を持って、ここまで一緒に戦えるパートナーに出会えて、本当に幸せだなって改めて感じます」とした上で、こう続けた。

「松山自身、けがや病気とかすごく苦しむことも多かったと思う。普通だったら逃げてしまうようなことが本人の中であったと思うんですけど、そんな中でも我慢してすぐコートに戻るために何度も努力してくれて、そういう部分では私よりも何倍も耐えてきたのかなって思う」と松山を気遣った。

一方、松山は、「本当にここまでお互い苦しいことの方が絶対多かったと思うんですけど、そんなときでもずっと私の前に立って、私を引っ張ってくれた。自分は怪我と病気が多くて、ひとりで練習して待つっていうことは本当に苦しいと思うんですけど、そんな中でもずっと私を待っていてくれた。自分たちが頑張ってきた証がこの銅メダルだったのかなと思う」とし、志田への感謝の気持ちを語った。

「私をオリンピックまで連れてきてくれて銅メダルをとらせてくれてありがとう」。