トライアスロン&マラソン 土田和歌子のAthlete Journey 8度目の挑戦、自分の可能性を広げたい

陸上とトライアスロン、「二刀流」で東京2020パラリンピックを目指す土田和歌子
陸上とトライアスロン、「二刀流」で東京2020パラリンピックを目指す土田和歌子

もう一度マラソンにも挑戦したい

「実はマラソンに復帰しようということで、トライアスロンと陸上、両競技にチャレンジしているんです」

夏季5度、冬季2度パラリンピックに出場し、日本選手初の夏冬金メダリストになった土田和歌子はそう言って目を輝かせた。

リオデジャネイロ2016大会後に運動性の喘息(ぜんそく)を発症したことで、体質改善のためにトライアスロンへ転向。するとわずか1年ほどで出場した2018年の世界選手権で銀メダルを獲得しトップに名を連ねる。そして狙い通り効果もあった。トライアスロンの一種目、スイムトレーニングを行うことで、喘息の症状が治まったのだ。

「スイムは経験値が浅かったので、最初は恐怖心が強くて難しかったんですが、ひたすら海で泳ぎました。泳ぐことは健康を維持する意味ですごくよくて、喘息が回復し、それで陸上競技にもまた挑戦できるようになりました」

マラソンは初出場のシドニー2000で銅メダル、アテネ2004で銀メダルを獲得したが、北京2008では5000mのレース中に遭った事故で重傷を負い棄権、ロンドン2012ではレース中に転倒するアクシデントからメダルを逃し、マラソン1本に絞って出場したリオもトップとわずか1秒差の4位に終わった。不完全燃焼のまま終われない。マラソン復帰にはそんな思いもあった。

「東京2020大会にはトライアスロンとマラソンで参加したいと考えています。出場権を取って、パラリンピックの舞台で結果を残せるようにトレーニングを積んでいきたい」。土田は東京を見据え、そう思いを語った。

トライアスロンへ転向したことで、喘息が回復
トライアスロンへ転向したことで、喘息が回復
(c) Satoshi TAKASAKI/JTU

冬のアイススレッジから夏の陸上競技へ

土田のパラリンピックの旅の始まりは、冬季からだ。高校2年生のときに交通事故に遭い、車いす生活になった。ほどなくしてアイススレッジスピードレース(下肢に障がいのある選手がそりに乗り行うスピードスケート競技)と出会い、パラリンピックを目指すようになる。そして始めてわずか3カ月後、19歳でリレハンメル1994大会に出場。次の長野1998大会では1000m、1500mと2冠、100m、500mで銀メダルを獲得した。

「自国開催での盛り上がりを肌で体感して非常に興奮しました。金メダルを獲得できて、選手である自分をすごく誇りに思えた大会なので、記憶に残っています」

しかし、その長野後、アイススレッジスピードレースがパラリンピック競技から外れることになり、陸上競技への転向を決意する。土田は夏季でも強さを発揮し、初出場のシドニー2000大会で、マラソンで銅メダルを獲得すると、アテネ2004大会では5000mで金メダル、マラソンで銀メダルを手にした。その後も北京2008、ロンドン2012、リオデジャネイロ2016と5大会連続出場を果たした。

アテネ2004大会では、5000mで金メダルを獲得
アテネ2004大会では、5000mで金メダルを獲得
(Photo by Phil Cole/Getty Images). 2004 Getty Images

競技を始めて27年、原動力は好奇心と挑戦心

競技生活は約27年にもなり、その間、パラリンピックに7度出場し金メダル3つを含む7つのメダルを手にした。東京ではトライアスロンで3競技目の金メダルを狙う。長く続けられてきた原動力は何なのか。それは、「自分の可能性を広げたいという思い」だという。

「競技生活引退の時期じゃないかと思い悩むときもありました。それでも納得できる結果を追い求めて、自分の可能性をまだ感じられるなら続ける必要があると思って。好奇心と挑戦心、その思いに共感してサポートしてくださる人の存在があって、競技を継続できています」

東京ではトライアスロンで3競技目の金メダルを狙う
東京ではトライアスロンで3競技目の金メダルを狙う
(c)Satoshi TAKASAKI/JTU

数多くの困難も乗り越えてきた。北京2008大会のレース中のけがは重傷で2カ月もの入院を余儀なくされた。そんな選手生命の危機にも「どんなことが起きても、どんな結果も全て自分の成長につながっていくものだから」と受け入れ、前を向いた。そして、「パラリンピックでメダルを取れる人は一握りだけど、選び抜かれた人たちが立つその表彰台に向かうまでのプロセスが大切だから」と、経験を次に進む原動力にして努力を続けてきた。

大会を経験する中で教訓も得た。それは、「頑張りすぎないことを頑張る」ということだ。土田はロンドン2012大会の頃から心にそう言い聞かせている。

「頑張りすぎて空回りしてしまったことがあって、いつも通りの自分であることが最高のパフォーマンスを発揮するためには大切なんだと気づいたんです。アスリートは自分を追い込むのが仕事ですけどね(笑)」

選手生命を脅かされるようなけがをしても、経験を原動力に前へ
選手生命を脅かされるようなけがをしても、経験を原動力に前へ
2016 Getty Images

パラリンピックの魅力を伝えられる選手でありたい

出場がかなえば8度目となる東京2020パラリンピックまで半年を切った。現在は、切符を勝ち取るために1分でも1秒でもタイムを縮めようとトレーニングを重ねる日々だ。

「パラリンピックは、人間の努力は無限大であることを示す価値のある世界最高峰の大会。障がいのある方たちがチャレンジできる、そこに身を置くことで自分自身が成長できるところ」と、土田は言う。だからこそ、「パラリンピックの魅力を伝えられる選手でありたい」と願う。パラリンピックを目指す若者の道しるべとして、障がいのある子どもたちの元気の源として。

「私自身、自分を表現できる競技に出会って、パラリンピックに挑戦することで世界観がすごく広がりました。自分を信じて世界に挑戦していくことは、自分の未知なる可能性を広げる一歩でもあると思いますし、そこから波及していくものもあるので、まずはやっぱり『挑戦すること』ですね」

集大成として挑む東京もまた、土田にとっては「二刀流」での新たな挑戦。「一人でも多くの方の明日への活力につながるようなパフォーマンスをお見せしたい」と思いを込める。そして、自分を励まし支えてくれる人たちのために、夢の舞台で飛躍を誓う。

集大成として挑む東京2020パラリンピックで最高の笑顔を
集大成として挑む東京2020パラリンピックで最高の笑顔を
(Photo by Jim Rogash/Getty Images)/2012 Getty Images

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