体操 内村航平のAthlete Journey 解放された「6種目やってこそ」の呪縛

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4大会も出る人は「諦めが悪くて、体操が心の底から好き」

「もう4回目なので、特別な何かに向かうというよりは、(国内選考が開始した今年4月の)全日本選手権から変わらず、目の前の試合を一つひとつ全力でやり抜くだけですね」

体操競技の鉄棒で東京2020オリンピック出場が内定している内村航平は、大会に向けての気持ちをこう語った。もはや説明不要の体操界のキングは、迫り来る大舞台にも泰然自若としている。

同競技における4回目の出場は、小野喬さん以来2人目。小野さんはヘルシンキ1952から東京1964まで4大会連続でオリンピックの舞台に立っており、4回目が東京という点も内村と同じだ。

「いろいろと重なる部分があるんですよね。東京を迎える年齢も一緒(小野さんは当時33歳、内村は早生まれの32歳)ですし、鉄棒が得意。そのときは肩も痛めていたみたいで僕と同じだなと。縁があるんだと思います。ただ、4回目の出場が史上2人目で、過去にいたのはちょっと悔しい気持ちもあるんですよね。かと言って(2024年の)パリを目指すというわけではないですけど」

どの競技にしても4年に1回の大会に4回出場するというのは、並大抵のことではない。日々進化するスポーツの世界において、技術面はもちろん、肉体面と精神面でトップレベルを長く維持することは困難を極める。

「だから4大会出るというのは『大変』以外に言葉が出てこない。『よくやってきたな、自分』という感じですよね。4大会も出る人は本当に諦めが悪くて、心の底から体操が好きじゃないと到達できない領域なんだろうなと思います」

4大会目の出場となる内村航平。「諦めが悪くて、心の底から体操が好きじゃないと到達できない」と語る
4大会目の出場となる内村航平。「諦めが悪くて、心の底から体操が好きじゃないと到達できない」と語る
提供:日本体操協会

過去の自分が邪魔をしていた

4回目の出場権は、薄氷を踏む思いで勝ち取ったものだ。約9年間続いた個人総合での連勝記録が「40」で止まったのは2017年の世界選手権。跳馬の着地で左足首を負傷し、棄権した。長く酷使してきた肉体は悲鳴を上げており、右足首を痛めた2018年は世界選手権で個人総合の出場を断念。両肩をケガしていた2019年は全日本選手権でまさかの予選落ちを喫し、2008年以降初めて日本代表から落選した。

「2017年から2019年の年末までは、ずっときつかったですね。この年齢で新しいケガをすると、元の体に戻すには時間が相当かかる。どれだけ頑張っても戻らなくて、練習をしないといけないのに、その練習が逆にダメージになっていました」

このままでは東京2020大会への出場は夢物語。残された選択肢は、種目を絞るしかなかった。だが、なかなか踏ん切りがつかない。ずっとオールラウンダーとしてやってきて、「6種目やってこそ体操」というこだわりがあったからだ。それを捨て去るのは、これまでの自分と決別することを意味する。ただ、佐藤寛朗コーチから「もがいて苦しんでオリンピックに出られないより、確実に気持ち良く行けた方がいいんじゃないか」と言われ、視界が開けた。

「オリンピックは1人で行くものではなく、自分に携わるいろいろな人と一緒に行くんだという気持ちになれたんです。それで種目を絞る選択をしたんですけど、『本来こうすべきだったんだな』とやっているうちに思えた。過去の自分が邪魔をしていたと言うか、『6種目やってこそ体操』と言っていたことがかえって呪縛になっていました。やらなければいけないんだという感じになっていて……。2017年からの3年間はそうしたこだわりが邪魔をしていたし、プライドを捨てるのに勇気がいりました」

リオでは2つの金メダルを獲得。しかし、そうした栄光が邪魔をし、なかなか種目を絞る決断を下せなかった
リオでは2つの金メダルを獲得。しかし、そうした栄光が邪魔をし、なかなか種目を絞る決断を下せなかった

2020年から鉄棒に専念。選考会では世界最高得点をマーク

鉄棒に絞ったのは、痛めていた両肩への負担が少なかったことに加え、2015年の世界選手権で金メダルを獲得するなど高得点を取れる種目だったことが大きな要因だ。リオ2016大会の個人総合でも最後の鉄棒で着地をぴたりと止め、オレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)を逆転したシーンは、記憶に新しい。

2020年2月から鉄棒に専念し、1年かけて自身の演技を磨き上げてきた。1種目に絞ったことで体力的な負担が軽減され、演技も安定。東京2020大会の選考対象となる2021年4月からの全日本選手権、NHK杯、全日本種目別選手権では、世界でも数人しかできないH難度の「ブレットシュナイダー」や、G難度の「カッシーナ」といった離れ技を次々と決める内村の姿があった。全日本種目別選手権の予選では2017年のルール改正以降、世界最高得点となる15.766点をマークするなど、見事な演技を披露した。

もっとも個人枠の争いは、跳馬で初代表を目指した米倉英信をタイブレークの条件でわずかに上回るという接戦だった。全日本種目別選手権の決勝でミスが出たのが原因だ。

「だから選ばれてうれしいというより、代表になっていいんだろうかという気持ちの方が強かったです。でもすごく前向きに捉えると、オリンピックで完璧な演技を出すための最後の試練。ミスが多少あった方が、より強い気持ちで練習をしていけると思っています」

この最後の試練をどう乗り越えるのか。答えは鉄棒の決勝が行われる8月3日に明かされることになる。

選考会では世界最高得点をマークするなど、1年かけて演技を磨き込んだ
選考会では世界最高得点をマークするなど、1年かけて演技を磨き込んだ
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自分たちで名場面を作ればいい

リオの団体と個人総合で2つの金メダルを獲得してから5年。当時27歳で、年齢のことも考えれば、東京への挑戦はいばらの道になることは予想していたが、ここまで険しいものになるとは想像していなかった。

「リオで金メダルを2つ取ったことはすごく自信になっていたんですね。少しきつくなっていても、まだこれだけできるんだと。でも現実は甘くなかった。年齢の壁もあったし、結果を残したことで自分が感じていないところでのプレッシャーもあったんだと思います」

内村にとって、この5年間は「初めての挫折だった」。リオまでは自分の思い描く通りに全てが順調に進んでいた。ただ、うまくいかなくなったときこそ、人間としての強さも問われる。内村は栄光を極めた過去の自分と決別し、新しい自分と向き合うことで、その挫折を乗り越えた。4大会出場することは「諦めが悪く、心の底から体操が好きな人しか到達できない領域」と語っていたが、内村というアスリートの本質も「諦めない」「心の底から体操が好き」という言葉に集約されている。

体操男子日本代表は、「(金5、銀4を獲得した)1964年の東京を超えるような大会にしよう」という意味を込めて「Beyond 1964」というスローガンを立てた。内村自身も団体優勝を目指していたリオでは「(団体で金メダルを獲得した)アテネの冨田洋之さんの着地を超えたい」とずっと言っていたが、それが無理であることを実感した。

「何かを超えるってやはり難しいんです。1964年の東京はそのときの東京ですし、2021年の東京は今回にしか出せないものがある。だから僕は今のこのチームで新しい歴史を築くような演技や、名場面を自分たちで作っていければいいんじゃないかと思います」

5人の力を結集した団体、最後の鉄棒で着地をぴたりと止め、ベルニャエフを逆転した個人総合は、それぞれリオの名場面だ。内村は東京で新たな歴史を刻むべく、静かに燃えている。

この5年は「初めての挫折だった」。それを乗り越えた内村は東京でどんな歴史を刻むのか
この5年は「初めての挫折だった」。それを乗り越えた内村は東京でどんな歴史を刻むのか
提供:日本体操協会

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