橋本聖子会長×小谷実可子SD×高橋尚子委員長(前編) スポーツの力で感じられる「つながり」

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「スポーツには世界と未来を変える力がある」。これは東京2020オリンピック・パラリンピックにおける大会ビジョンです。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、世界が危機に直面した2020年。東京2020大会は史上初の延期となりました。現在も続く難局の中、いかにして未来へつながる大会を実現していくのか。

今回、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の橋本聖子会長、小谷実可子スポーツディレクター(SD)、高橋尚子アスリート委員会委員長が今後のキーポイントとなる「復興」「聖火リレー」「安全・安心な大会」「ジェンダー平等」という4つのテーマについて、自身の体験や思いを語り合いました。前編は「復興」と「聖火リレー」です。

橋本聖子会長×小谷実可子SD×高橋尚子委員長(後編) 未来へ継承していく「東京モデル」

支援活動で気づいたスポーツの力

東京2020大会は復興オリンピック・パラリンピックとして銘打たれています。東日本大震災が発生して以降、皆さんは様々な復興支援活動をされていますが、印象に残っていることを教えてください。

橋本会長

私は当時、政治家という立場に加え、JOC(日本オリンピック委員会)でも競技力強化の仕事に携わっていました。JOCは医療チームを持っていて、選手たちとともに様々な場所に行きましたが、まず岩手県の大船渡に入ったんですね。それが3月末くらいで、ライフラインは当然ストップしている。ご家族が見つからない方もいるし、薬がなくて困っているご年配の方もいました。

小谷SD

私も震災のときはJOCのアスリート委員会に携わっていたので、皆さんと「何ができるんだろう」と話し合っていたのをよく覚えています。でも当時は「自分たちはスポーツをしていていいのだろうか」という感じもありましたよね。

橋本会長

大船渡での出来事が印象に残っているんですけど、スポーツは予防医療を徹底してやっているので、メンタルも含め、大変なダメージを受けている方々に対してマッサージをしたり、気持ちが明るくなるような体操を教えたりしたんですね。そうしたらみるみるうちに元気になられたんです。子どもたちにもボール1つで楽しめるような運動を教えたところ、ふさぎ込まなくなった。

橋本聖子会長
橋本聖子会長

高橋委員長

私は「福島の子どもたちが原発の影響もあって、外で遊べないから一緒に運動をしてもらえないか」という手紙をもらったので、選手たちを集めて被災地に行ったんですね。最初は「何て声をかけたらいいんだろう」と不安もあったんですけど、一緒に体を動かしているうちに、子どもたちがどんどん笑顔になっていく。そしてそれを見ている保護者の方たちも笑顔になっていく。そうやって笑顔がつながっていく姿を見ると、「私たちにもできることがあるんだ」と思いました。そのとき集まった子どもたちと最近お話しする機会があったんですけど、高校3年生になっていました。「外に出てはいけないと止められていたけど、あのとき出てもいいんだと気づいて、そこから自分たちの世界は変わった。走ることを教わって、もっと強くなりたいから陸上をやっています」と言っていて、うれしくなりました。

小谷SD

私も運動会のような形で子どもたちと交流したんですけど、そこで選手が言っていたのは、「被災者を励まそうと行ったのに、逆に自分たちが励まされた」ということ。「オリンピック楽しみにしています。頑張ってください」と応援されたそうです。そして翌年のロンドン2012オリンピックでは、当時の最高記録となる38個のメダルを獲得した。あのときは多くの選手が自分のためだけではなく、被災地の方に喜んでもらいたいというプラスアルファの意義を持って戦った大会だったと思うんです。大会後の銀座のパレードでも多くの方が喜んでくれた。あれを見て選手たちは、「スポーツはこんなにも社会に力を与えられるんだ」と気づいたと思うんですよね。

橋本会長

私が一緒に行った選手たちも、自分たちの持っている力、スポーツの持つ力はすごいものなんだと実感したようです。その姿を見て私も感動したのと同時に、この力を結集すること、それを国が支えていくことが非常に重要なんだなと思いましたし、これこそ政治がやるべきことだと感じましたね。

高橋委員長

被災者の方は「私たちはたくさんのものを世界中から提供していただいたから、お礼をいつかしたい」ということもおっしゃっていました。それを聞いて、東京2020大会はお礼を世界中の人たちに言える機会になるんじゃないかと感じています。10年がたって、そうした思いがつながり合う場になることを期待しています。

被災地の花が使用された特別なビクトリーブーケ

今大会はメダリストに贈られるオリンピック・パラリンピックのビクトリーブーケに、被災地で生産された花が使用されます。

橋本会長

私は、若いころからずっと用具を担当してくださっていた方に、感謝を込めてビクトリーブーケを渡しましたね。

小谷SD

私がよく覚えているのは、一般の方でビクトリーブーケを持っている方がいたので、「選手のご家族ですか?」と聞いたら、「選手の方からもらった」と言っていた方のことですね。誰かに渡すことによって、もらった人にとっては一生大事なものになる。喜びを共有して、それを残してくれるツールだなと感じました。

小谷実可子SD
小谷実可子SD
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高橋委員長

私はシドニー2000オリンピックでもらったビクトリーブーケを見るたびに、表彰台に上ったときの歓声、日の丸がなびいている瞬間、君が代が流れた情景が浮かび上がってきます。20年たっても一瞬で思い出せる光景ですね。

橋本会長

あれから20年かぁ。

高橋委員長

そうなんです。今回はマスコットがついているので、思い出として残しやすいですよね。

橋本会長

被災地で生産された花が使用されているのも素晴らしいですよね。今までとは違う思い入れがあって育て上げた花ですし、それが世界のアスリートをたたえるビクトリーブーケになるというのは、希望がつながっていくように感じます。生産者の方も「自分たちが作った花なんだよ」ということを後世に伝えていくことができますしね。

小谷SD

表彰式は選手にとって聖なる瞬間で、そこに花を添えてくれるということは、生産者の方にも誇りになりますよね。復興でお世話になった世界の人に感謝を込めた大会にするという意味では、その花を見てもらうことが感謝を伝えることにもなるし、被災地に思いを寄せるツールにもなる。メッセージを効果的に受け止めてもらうためにも、ただ被災地の花というだけではなく、1つ1つの花に込められた意味も含めて特別なビクトリーブーケだということを、ぜひ発信していきたいです。

高橋委員長

オリンピック・パラリンピックですごいのは、世界中の人が同じ瞬間を見て、笑ったり泣いたり、心を1つにできること。表彰式でビクトリーブーケを見せることにより、「こういう花が咲くような復興ができている」ということを世界の人に知ってもらうのと同時に、「ありがとう」という思いも、合わせて伝わるといいですよね。

東京2020オリンピック・パラリンピックのビクトリーブーケ
東京2020オリンピック・パラリンピックのビクトリーブーケ

聖火リレー、それぞれの思い

東京2020オリンピック聖火リレーが3月25日から始まりました。

橋本会長

私は3回走っているんですが、選手のときは1回だけなんですよ。

小谷SD

えっ、選手のときにも走ったんですか?

橋本会長

そう、ソウル1988オリンピックのとき。なぜかランナーに選ばれて。当時オリンピックは夏も冬も同じ年にやっていたんですよ。スピードスケートでカルガリー1988オリンピックに出場した後、帰国してすぐに自転車競技のシーズンに入りました。すごく大変だったんですけど、日本人初の夏冬出場ということで、話題性があったんでしょうね。

小谷SD

あったんでしょうねって、実際にあったんです(笑)。

橋本会長

そっか(笑)。ソウルでもニュースになっていたみたいで、ソウルの組織委員会から指名があったんです。たくさんの人たちに囲まれて走ったというのが聖火リレーの思い出ですね。聖火を持って走ってみたいという思いがずっとあったので。

小谷SD

「聖子さん」という名前ですしね。

橋本会長

次は長野1998オリンピックのときで、ある村の村長さんからオファーがあって、そこを走りました。最後は北京2008オリンピックで、そのときの聖火リレーは日本も入っていたんです。長野1998オリンピックが行われたということで、元アスリートが何人か呼ばれて、長野市内をリレーしました。

高橋委員長

私は1回も走ったことがないんですよ。

小谷SD

えっ、意外。

橋本会長

マラソンでいっぱい走っているからね(笑)。

高橋委員長

そうですね(笑)。聖火リレーは選手時代に競技場で1回、あと5回はキャスターとして現地で見ているんです。私の中で、聖火というのは「心の炎」に見えていて、閉会式が終わって最後に消灯というのがあるじゃないですか。あれがすごく寂しいんですよね。

橋本会長

寂しいよね。

高橋委員長

そのときに「あの炎はなくなったんじゃなくて、次の4年を目指そうという選手たちや、いつかこの聖火が灯る場所に立ちたいと思っている子どもたちに向けて、小さな種火として世界中に飛んでいくんだろうな」と感じるんですね。そうした種火を4年間ずっと思い描きながら、大きくなった炎をみんなで集めて、1つの聖火にするんじゃないかと。今回、それを日本中に届けられる機会があると思うと楽しみです。

高橋尚子委員長
高橋尚子委員長

小谷SD

今回は走るんですよね?

高橋委員長

4月に岐阜県を走ります。

小谷SD

私も長野1998オリンピックのときは、小谷と書いて小谷村(おたりむら)の村長さんからオファーがあって走りました。一緒に走った母がすごく喜んでくれましたね。私は、競技で家族にあまり応援に来てほしくないタイプだったので、母はオリンピックを見に来ていないんです。ただ聖火リレーは母と走って、「娘がオリンピアンでよかった」と言っていました。初めて親孝行をできた気がして、うれしかったです。

運命、心、歴史がつながる

聖火リレーを走る人、見る人にはどういう体験をしてもらいたいですか?

橋本会長

私は3回も走らせてもらいましたが、それぞれ思いは違ったんですよね。もともと私の父親が東京1964オリンピックの開会式場で聖火が灯った瞬間に感動して、私に「聖子」という名前をつけた。それを聞いて育っているので、ソウルのときは本当に自分が聖火を持って、この大会に出るということが信じられなかったです。ソウルでは、走って聖火を渡すところに、両親がいてくれたんですね。聖火が由来となった名前で、オリンピックに出て、ランナーとしてゴールするところで両親が待ってくれている。出来過ぎな話ですが、いろいろなつながりを感じました。

長野のときは冬のオリンピックで、寒い土地で灯る聖火の明かりは、ロマンティックな趣きがあるんですよね。そういうぬくもりが伝わる大会だったらいいなと思った記憶があります。いずれにせよ、ランナーの方が聖火に対して、どういう思いを抱きながら走るかで、感じることは違ってくると思います。そうした様々な思いがあり、国内を一周してオリンピックスタジアムに戻ってくることで、その国は1つになるんだということが聖火に込められたらいいなと思いますね。

小谷SD

私は長野とシドニーとアテネで走らせてもらったんですけど、シドニーが一番感動しました。走り終わったときに子どもたちが、写真やサインをもらいに集まってくるんですけど、そこで「日本の小谷実可子さん、ソウル1988オリンピックでの銅メダル獲得おめでとうございます。私たちの町を走ってくれてありがとうございます」と言ってくれたんです。この町では、どういう人が走っているかを理解するというリスペクトがありました。今回の聖火リレーはなかなか沿道では見られないですけど、ライブ配信などで、ランナーのバックグラウンドに興味を持って見ていただくことで、皆さんの心がよりつながっていくんじゃないかと期待しています。

高橋委員長

先日、山口県の聖火展示イベントにご招待いただいて、炎を間近で見てきたんですけど、改めて感じたのは、この炎がアムステルダム1928オリンピックからずっとつながっているんだなという歴史です。これまでも世界では様々なことが起きました。東京でもしっかり歴史をつなげていく責任を感じた瞬間でした。

炎は明るいだけじゃなくて、温かい。その意味でも、自分たちが住んでいる近くを聖火が通ることで、希望の光となり、皆さんの心が少しでも明るくなるような温度も伝わってほしいです。そして最後に東京を明るく照らし、心を1つにして戻ってきたらいいなという思いで、私も走りたいですね。

(後編に続く)

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