Nihonbashi

「熈代勝覧」複製絵巻より江戸時代の日本橋の様子
Photo AMF / DNPartcom / © bpk / Museum für Asiatische Kunst, SMB / Jürgen Liepe
作品名:熈代勝覧_部分
所蔵先名:ベルリン国立アジア美術館
1603

1603

日本橋の始まり

日本橋は江戸幕府開府とともに城下町として成長を遂げ、「日に千両を稼ぐ」と言われるほど活況を呈しました。地域のシンボルである「日本橋」も1603年、江戸幕府開府と同時に完成。1604年に五街道の起点として定められ、やがて各地から訪れる人々や日本中から集まる物産で、街は大いににぎわいます。日本橋川には1935年に築地に移転(現在は豊洲)するまで、「魚河岸」があり300年にわたって人びとの食生活を支えました。通りの両側(現在の中央通り)に「三井越後屋」や「白木屋」をはじめ大型商店が軒をつらねる日本橋は、日本経済の中心地として発展し、当時のロンドンやパリをも凌ぐ世界屈指の大都市だったと言われています。

  • 「日本橋魚市繁栄図」歌川国安 国立国会図書館所蔵
1868

1868

近代の日本橋

明治時代には、日本銀行や国立銀行(のちの東京証券取引所)が設立されるなど、日本のウォール街と言われるほどの金融の中枢となります。その後近代的なビルの建築が進み、名橋「日本橋」、「日本橋三越本店」、「髙島屋」、「日本銀行本店本館」、「三井本館」と5つの重要文化財が立ち並ぶ街へと変貌します。

  • 写真提供:日本銀行
    日本銀行本店本館/1896年(明治29年)竣工(1974年:重要文化財に認定)
  • 三井本館/1929年(昭和4年)竣工(1998年:重要文化財に認定)
  • 日本橋三越本店/1927年(昭和2年)竣工
  • 髙島屋/1933年(昭和8年)竣工(2009年:百貨店初の重要文化財に認定)
  • 最後の将軍徳川慶喜が揮毫した「日本橋」の橋柱文字
1911

1911

日本橋が初めて誕生したのは1603年。当時は木造の太鼓橋で、現在の石造二重アーチは1911年(明治44年)に架けられたものです。木造で308年という長い歴史に一度幕を下ろし、石造に生まれ変わって新しい歴史を刻んでいくことになります。

  • George Rinhart / Corbis Historical / Getty Images
1923

1923

1923年9月1日死者10万人、家屋消失20万棟、関東大震災が東京を襲いました。震災に打ちひしがれた人々を勇気づけたい、次に大震災が起きてもビクともしない建物を造ろう、そのような思いから現在の三井本館は再建されました。象徴の名橋「日本橋」も戦火、火事や老朽化、度重なる苦難を克服し、実に20回近くも架け替えられており、奇跡の復活を成し遂げました。日本橋の歴史は、人々の絆による、復興の歴史とも言えます。

  • 「大正震災志写真帖」 1927年 国立国会図書館所蔵
  • 竣工当時(1929)の三井本館
1964

1964

高度成長期、1964年の東京オリンピック開催に人々は心躍らせますが、開催への準備期間が短かったこともあり、「日本橋」の上空に首都高速道路が作られることになります。街のシンボルだった日本橋から見上げても空は見えなくなってしまいますが、現在は高速道路の地下化が発表され、再び空を見上げることができる日が近づいています。

  • 名橋「日本橋」の上空を覆う首都高速道路
1990s

1990s

再興に向けた再開発がスタート

1990年代には、バブル崩壊、金融危機、大型百貨店の閉店などもあり、当時の街の隆盛は、失われつつありました。地元の老舗店舗・行政・企業が強い危機感を持ち、志を同じくする、強固な絆を持ったコミュニティが団結して日本橋の再生に取り組みました。開発コンセプトは、「残しながら・蘇らせながら・創っていく」。

  • 神田祭の様子
  • ECOEDO日本橋イベント
2000s

2000s

新しい人や企業が集まる街に

現在ではこの地に1000年以上前からあったとされる「福徳神社」の再興や再開発で、街の施設やコンテンツは多様化し、古くから存在する老舗店舗だけでなく新たな企業の進出もあり国際化も進みました。着物を着て日本文化を体験する外国人の方々や、街のイベントに参加するこどもたちが増え、今では昼夜を問わず街が賑わい、街の空気が活き活きとしているように感じられます。また、陸路だけでなく浅草や東京湾方面をつなぐ舟運のさらなる発展も進んでいます。

  • かつおぶし削りを体験する外国人観光客
  • 日本橋と各地をつなぐ舟運
20XX

20XX

未来に続く街道の起点「日本橋」

江戸時代の日本橋は、五街道の起点として、日本全国からひと・もの・ことが集まり、それらの交流によって新たな産業や文化を生み出した街でした。かつての中心性のある日本橋という街を取り戻し、歴史・文化・伝統を踏襲しながらも、未来に向けた新しい価値を世界に向けて発信していく。その起点となる街をここ「日本橋」は目指していきます。

  • 首都高速道路地下化後のイメージ
    ※この絵は将来イメージであり、実際の開発計画等とは異なります。
  • 日本橋でイベントを楽しむ人びと

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