馬場馬術
長い伝統を誇る馬場馬術の歴史は、古代ギリシャにまで遡ります。馬の調教において、馬場馬術は最高レベルにあるもので、馬術の中でも芸術と評されています。かつては、全ての馬術競技の土台でもありました。
今から2000年前、古代ギリシャでは、戦いで騎手と馬が生還するためには、両者の呼吸の一致が欠かせないと考えられていました。そこで、戦争のために馬を調教するという目的で、馬場馬術が誕生しました。瞬時に左右を行き来し、駈歩で加速し、即座に方向を変えることが可能な馬の能力は、極めて重要と考えられていました。
古代ギリシャの崩壊とともに、芸術的な乗馬の存在は忘れ去られていきました。それが再興したのは、ルネッサンス時代。18世紀、伝統的な馬場馬術は、1729年にウィーンで開校されたスペイン乗馬学校の誕生により全盛期を迎えました。スペイン乗馬学校では、現代競技の基本を教えています。近年では所定の課目を音楽に合わせて自由に組み合わせて行うフリースタイルを導入し、正式競技に追加。今では馬場馬術の重要なパートを担っているフリースタイルは、1996年のアトランタオリンピックで正式種目となりました。フリースタイルこそ馬場馬術の最高峰といわれ、人馬一体となった瞬間の美しさは圧倒的です。
馬術競技がオリンピック種目に加えられたのは1900年のパリ大会からで、当時は障害馬術競技のみでした。1912年のストックホルム大会まで除外されましたが、それ以降はオリンピック種目の定番となっています。
1948年までは男性軍人の出場のみが認められていたのだが、この制限は1951年に撤廃され、1952年のヘルシンキ大会からは女性も男女混合種目として出場できるようになりました。男女混合は、当初こそ馬場馬術のみで採用されていましたが、徐々にほかの馬術競技でも導入されるようになりました。
2008年の北京オリンピックで、オランダのアンキー・ヴァン・グルンスヴェンが、馬場馬術個人で3大会連続の金メダルを獲得し、その実力を証明。オリンピックで8個のメダル(金3、銀5)獲得は、ドイツのイザベル・ベアト(金5、銀3)、ライナー・クリムケ(金6、銅2)と並ぶ快挙です。
総合馬術
総合馬術は、馬術競技に欠かせない全ての要素の経験を、選手と馬に要求する複合的な競技です。馬場馬術に求められる選手と馬のハーモニー、クロスカントリーに求められる自然への適応力、スタミナ、経験、障害馬術競技に求められる正確性、敏捷性、技術などを含むホースマンシップが必要になります。
騎兵の育成のために考案された総合馬術の歴史は深いです。当初は、任務内外で想定される状況下で競い合わせるために考案された競技でした。各国の騎馬隊にとって基本的な練習方法は異なります。
1952年から馬術に女性が出場できるようになったものの、アメリカのアレール・デュポンが1964年の東京オリンピックに出場するまで女性選手はいませんでした。総合馬術に女性が出場した初の出来事でした。
1996年のアトランタ大会以降、馬術競技では気温と湿度が馬に与える影響が研究されています。専門家が問題を提起したことでその後の大会は成功を収め、その知見は2008年の北京オリンピックで非常に役立ちました。こうした情報は、厳しいコンディション下で開催される世界中のアマチュア選手にとっても、大変に役立っています。
馬術競技がオリンピック種目に加えられたのは1900年のパリ大会からで、当時は障害馬術競技のみでした。1912年のストックホルム大会まで除外されましたが、それ以降はオリンピック種目の定番となっています。
1948年までは男性軍人の出場のみが認められていたのですが、この制限は1951年に撤廃され、1952年のヘルシンキ大会からは女性も男女混合に出場できるようになりました。男女混合は、当初こそ馬場馬術のみで採用されましたが、徐々にほかの馬術競技でも採用されるようになりました。
3つの種目で構成される総合馬術は、難易度の高い競技です。障害馬術、馬場馬術、自然を生かし起伏に富んだコースまたは人工的な障害物が用いられるクロスカントリーで構成されています。
2008年の北京オリンピックでは、カナダのイアン・ミラーが障害馬術の団体で銀メダルを獲得。ミラーは1972年のミュンヘン大会がオリンピック初出場で、それから36年後のメダル獲得でした。61歳でのメダル獲得は、北京オリンピックでの最年長記録です。
障害馬術
障害馬術競技は、イングランドの田舎で柵が用いられるようになった時代に生まれた競技で、狐狩りのため、馬に柵を越える能力が求められました。
障害馬術は、18世紀にイングランドで囲い込み法が制定されて以降、狐狩りの間の競技として誕生しました。それ以前の狐狩りは、囲いのない草原で馬をトップスピードで走らせていたのですが、同法の成立後から跳躍できる馬が必要になりました。
イタリアのフェデリコ・カプリッリは、革命的な飛越スタイルを考案し、「近代馬術の祖」といわれています。以前は障害物を越える際、騎手は馬の手綱を引いていた。しかし、このやり方では馬に負担がかかってしまいます。そこでカプリッリは、より自然な“前方騎座”を採用。このテクニックは、現在世界中で採用されています。
馬がオリンピックに初めて出場したのは、紀元前680年に開催された古代オリンピックで、見応えのある戦車競争が行われた時でした。それから何世紀という時を経て、現代型の馬術がオリンピック種目になりました。1896年、1904年、1908年の大会では実施が見送られましたが、1912年のオリンピックから再び正式種目となりました。それから数十年にわたって、障害馬術競技は軍人選手が圧倒的に強かったものの、軍隊の機械化が進んだことで、競技は市民の間でも広まっていきました。その後、騎兵隊将校によるチームの出場が取り止めになり、女性の出場が認められるようになりました。女性が障害馬術に初めて出場したのは1956年のストックホルム大会で、それから今日に至るまで、女性アスリートが表彰台の一番高い場所に上ることが、しばしば見られるようになりました。