1992年。日本選手団主将を務めた古賀稔彦は現地入り直後、稽古の最中に大怪我を負ってしまう。左膝靭帯が伸び切り、歩くことはおろか立つことすらままならない状況に陥る。その間稽古ができないために原料に苦しみ、出場さえ危ぶまれる中痛み止めの注射を何本も打ち試合に出場。左足に負担がかからないように立ち回りながらも、準決勝では得意の背負い投げで一本。決勝まで進む。相手はハンガリーのハイトシュ。怪我のために攻め込むことができない古賀と、背負い投げを警戒するハイトシュ。勝敗は判定にもつれ込む。3‐0で古賀の勝利が決まる。