イバン・カラカシェビッチがユーゴスラビアに初めて卓球台を持ち込んだのは1928年。その息子ミリボイも卓球の道に進み、10年間にわたって世界トップ10の座を維持した。しかし一族のオリンピック出場は、孫アレクサンダルの代まで待たなければならなかった。