福島県からスタートする東京五輪の聖火リレーは「震災復興」の象徴
独自性が光る聖火リレー、過去には宇宙にも
聖火リレーは1936年のベルリン五輪から実施されてきた。近年では各国が趣向を凝らし、文化のアピールや平和を祈念した演出を行っている。2020年東京五輪では、福島県から出発することが決定。東日本大震災からの復興の象徴として、聖火が全都道府県を巡る。
オリンピア遺跡で太陽を利用して採火
オリンピックの象徴の一つである「聖火」。その起源は、古代ギリシャ時代にさかのぼる。古代ギリシャ人たちは、「火」は男神プロメテウスが全知全能の神ゼウスから盗んで人類に与えたものと考え、神聖なものとして扱った。そして、神々を崇める祭典であった古代オリンピック期間中、開催地のオリンピアで火が灯され続けたと言われている。
近代オリンピックに「聖火」が登場したのは、1928年のアムステルダム五輪から。「聖火」は大会の数カ月前にオリンピア遺跡で太陽を利用して採火され、聖火台への点灯をもって大会の開会となり、オリンピック開催期間中は灯され続け、閉会式の最後に消灯される。
1936年のベルリン五輪では、初めて「聖火リレー」が導入された。この時、オリンピアで採火された聖火は7つの国を経由し、3000人以上の走者によってドイツの首都ベルリンまで到達。最終ランナーはドイツの陸上選手であるフリッツ・シルゲンが務めた。また、冬季オリンピックにおいても、1952年のオスロ五輪から聖火リレーが行われるようになった。近年では、開催国ごとに趣向が凝らされた点火時の「仕掛け」もオリンピックの見どころの一つになっている。
山、海、宇宙へ——進化する聖火リレー
採火の地、ギリシャのオリンピアからオリンピック開催国へとつながっていく聖火リレーは、単に神聖な火を運ぶだけのものではない。世界中からの注目を集める機会とあって、これまで開催各国が各々の独自性を示したり、何らかの意志表示を含めた華やかな演出を行ったりしてきた。
たとえば、2000年のシドニー五輪では、世界遺産にも登録されているオーストラリア北東岸のサンゴ礁地帯「グレートバリアリーフ」で初めての「海中聖火リレー」が実施された。最後まで極秘とされた最終ランナーを務めたのは、アトランタ五輪女子400メートル陸上競技銀メダリストのキャシー・フリーマン。オーストラリア先住民アボリジニの血をひく彼女を抜擢したことで、差別問題の解決や平和と融合への祈りを象徴したとされる。
第1回大会以来、108年ぶりのアテネ開催となった2004年には、初めて世界規模でのリレーが行われた。過去のオリンピック開催地を中心に5大陸、26カ国、33都市を1万を超えるランナーによって巡回。東京も経由し、「六本木ヒルズ」や「レインボーブリッジ」など都内の名所を具志堅幸司(ロサンゼルス五輪体操金メダリスト)、鈴木大地(ソウル五輪競泳金メダリスト)、古賀稔彦(バルセロナ五輪柔道金メダリスト)らオリンピアンと公募による一般人ら136人でリレーし、アテネ五輪に出場する卓球の福原愛が最終ランナーとして都民広場の点火台まで運んだ。
それから4年後、2008年の北京五輪では、聖火が世界最高峰のエベレスト山頂を通過。低温、低酸素、強風に耐えられる特製トーチを用い、降雪と強風による延期に見舞われながらも登山隊員がランタンで種火を運んで、エベレストの頂上で掲げた。2014年のソチ冬季五輪では、北極圏や世界最深のバイカル湖の湖底を経由し、聖火はいよいよ宇宙に到達。宇宙船ソユーズによって聖火トーチは宇宙に運ばれ、ロシア人宇宙飛行士とともに約1時間の宇宙遊泳をした。宇宙空間では実際にトーチに聖火は灯さなかったものの、人類初の「宇宙聖火リレー」の実現とされている。
過去開催時は「日本らしさ」を強調
日本初開催となった1964年の東京五輪の聖火リレーを振り返ると、世界各国で10以上の中継地を経て9月7日に沖縄に到着した聖火は、鹿児島、宮崎、千歳の3地点を起点に日本を4コースに分け、全都道府県を周回。国内地上リレー総距離6755キロ、参加走者は10万713人と記録されている。開会式前日の10月9日に皇居前に集められた各コースの聖火は、聖火台において集火式が行われたあと、翌10日に国立競技場まで運ばれ、最終ランナーである陸上選手の坂井義則によって聖火台に点火された。
1972年の札幌冬季五輪でも、聖火はまず沖縄に到着している。飛行機で東京へ運ばれたあと、東日本を巡り、北海道を一周した。国内地上リレーの総距離は4819キロで、最終ランナーは札幌の高校生男女コンビが務めた。1998年の長野冬季五輪では、1月に沖縄、北海道、鹿児島の3地点を出発し、33日間をかけて46都道府県を通過。開催地の長野県では120の全市町村を周回した。最終点火者を務めたのはアルベールビル冬季五輪フィギュアスケート銀メダリストの伊藤みどりで、日本の伝統芸能「能」をイメージした衣装を身にまとい、和の文化を強調した。
来たる2020年東京五輪の聖火リレーに対して、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が打ち立てたコンセプトは、「Hope Lights Our Way(希望の道を、つなごう)」だ。「復興オリンピック」とも位置づけられている同大会の聖火リレーは、2020年3月26日に東日本大震災の被災地、福島県からスタートすることがすでに発表されている。
福島を出発地に選んだ決定には、1964年東京五輪での沖縄と重なる部分がある。当時の沖縄はまだ米軍占領下であったが、本土復帰に先駆けて1953年に沖縄が日本体育協会への加盟を果たしていたことから、聖火リレーの出発地として認められた。聖火は、戦後復興の道を歩む沖縄の人々に勇気や希望を与えるべきものとして、沖縄の地を巡った。震災から10年目で迎える2020年東京五輪でも、福島をはじめとした被災地の人々を励まし、日本中がともに歩み続けていくことを示す象徴となるはずだ。
2020年、聖火リレーはあなたの都道府県にも
2020年東京五輪の聖火リレーについては、2019年にランナーの数や選考法、ルート等が明らかとなる予定だ。2018年秋の時点で発表されているのは、121日をかけて全都道府県を回ること。岩手、宮城、福島の東日本大震災被災地の3県は各県3日、開催都市の東京都は15日、複数種目を実施する埼玉、千葉、神奈川、静岡の4県は各県3日、そのほかの39道府県は各道府県2日をかけて巡回する。
最も注目が集まるのは、誰が最終ランナーを務めるかだろう。1936年のベルリン五輪以来、最終ランナーは有名なスポーツ関連者が担う形が伝統となっている。2014年ソチ冬季五輪でのキム・ヨナ(バンクーバー五輪女子フィギュアスケート金メダリスト)や、2016年リオデジャネイロ五輪でのバンデルレイ・デ・リマ(アテネ五輪男子マラソン銅メダリスト)などは記憶に新しい。
1964年の東京五輪で最終ランナーを務めた坂井は、広島に原爆が投下された1945年8月6日に広島県三次市で生まれた背景がある。当時、早稲田大在学中の陸上選手だった坂井は選考会に漏れ惜しくも東京五輪への出場は果たせなかったものの、国内外のメディアは当時19歳だった彼を「アトミック・ボーイ(原爆の子)」と呼び、戦後復興と平和の象徴とみなした。
多くの人々の手によってオリンピアから開催地まで運ばれる聖火。そこには、スポーツへの情熱と、平和や未来の発展を願う人々の思いが込められている。