自ら招いたトラブルで、一度は絶望の淵に立たされながら、不死鳥のごとくよみがえり、「今、間違いなく、世界でいちばん強い」と、テレビのスポーツコメンテーターに言わしめるほどの復活を果たしたバドミントン選手がいる。それは男子シングルスの桃田賢斗だ。試合出場停止処分による1年以上のブランクを物ともせず、国際大会で次々と好成績を収め、日本人として初めて世界ランキング男子シングルス1位に到達した。桃田は、名実とともに2020年東京五輪のバドミントン男子シングルスの金メダル候補ナンバーワンだ。
全日本総合選手権で頂上決戦を制する
桃田選手は2018年、国内外13大会に出場し、男子シングルスで、中国・武漢のアジア選手権、インドネシアオープン、中国・南京の世界選手権、大阪のダイハツ・ヨネックスジャパンオープン、デンマークオープン、中国・福州の中国マスターズを制している。
また、桃田は11月27日〜12月2日に東京・駒沢体育館で行われた全日本総合選手権で、3年ぶり2度目の優勝を目指して臨み、決勝戦で2年ぶり2度目の優勝を目指す日本ランキング2位の西本拳太と対戦。1位の桃田と2位の西本による頂上決戦は、お互いに譲らない一進一退の攻防が続き、1対1のイーブンで迎えた最終セット、桃田がポイントを先行させると、絶妙なフェイントで西本のタイミングを外し、鋭いスマッシュを繰り出して、76分の激闘を制し、世界ランキング1位の貫禄を見せつけた。
バドミントン強豪校で修行
1994年9月1日、香川県生まれ。身長175センチ、左利き。NTT東日本に所属している。姉の影響で小学校2年生からバドミントンを始めた。父親は経験者ではなかったが、子どもたちのためにバドミントンを勉強し、自宅にコートを作るほどサポートしてくれたそうだ。小学校6年生で、香川県代表として全日本ジュニアグランプリに出場して、チームの優勝に貢献したり、全国小学生大会のシングルスで優勝したりするなど、早くも頭角を現していた。桃田はバドミントンに専念することを決め、"All For Badminton(すべてはバドミントンのため)"をモットーに掲げ、バドミントンのエリートを育成する福島県の富岡第一中学校に入学する。親元を離れて寮生活をしながら、中高一貫の強豪校で、バドミントン中心の生活を送った。
中学生のときに、全日本ジュニア選手権で高2までが出場するジュニアの部に出場、ベスト4に入り、中学生として初めて全日本総合選手権の予選出場を果たした。高校1年生のときに東日本大震災を経験、その年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)では、ダブルス優勝、シングルス2位と奮闘する。さらに高校3年生のときは、韓国・金泉で開催されたアジアユースU19選手権のシングルスで田児以来の優勝、千葉県で開かれた世界ジュニア選手権シングルスでも優勝した。福井県で開催されたインターハイでは、シングルス優勝、ダブルス2位という成績を残すなど、大きく成長した姿を見せた。
高校卒業後、2013年にNTT東日本に入社。桃田はさらに飛躍を遂げる。2015年4月には、シンガポールオープン(BWFスーパーシリーズ)男子シングルスで優勝。6月、インドネシアオープンスーパーシリーズプレミアの出場し、決勝でデンマークのヨルゲンセンに逆転優勝。8月、インドネシア・ジャカルタで開催された世界選手権で日本人初の銅メダルを獲得。そして12月の全日本総合選手権で初優勝、その勢いに乗って、ドバイで開催されたスーパーシリーズファイナルズで日本人として初めてシングルスで優勝するなど、破竹の快進撃を続けた桃田に2016年リオデジャネイロ五輪でのメダル獲得の期待が高まっていた。
しかし、その桃田を大きな落とし穴が待ち受けていた。2016年4月に、田児賢一選手と一緒に違法な闇カジノ店で賭博を行っていたことなどがメディアで大々的に報じられ、桃田は出場していたマレーシアオープンを棄権して帰国、日本を代表するバドミントン界のエース二人が、謝罪の記者会見を開くなど、大きな社会問題にまで発展してしまった。これを受けて日本バドミントン協会は緊急理事会を開き、日本代表選手から外すとともに、無期限の出場停止処分とした。これにより、桃田は2016年リオデジャネイロ五輪への出場が絶たれた。
2017年5月、その桃田も、ようやく出場停止処分が解かれ、約1年2カ月ぶりの復帰戦となった日本ランキングサーキット大会では優勝を果たす。試合後、コートに両手をついて大粒の涙を流す姿は印象的だった。その後も国内外の大会で破竹の快進撃を続け、282位まで落ちた世界ランキングをとうとう1位にまで上げた。バドミントン元日本代表で、現在はタレントとしてテレビのコメンテーターなどを務める潮田玲子氏は、桃田選手について、「彼は休まずにずっと練習をしていた。相当追い込んで、イチから練習し直したと思う」と、処分を経て強くなった理由を解説。「今、間違いなく世界で一番強い」「コメントからも同じ選手と思えない。すごく謙虚になった」とその成長に太鼓判を押した。
日本人初の世界ランキング1位とライバル
2018年12月現在、桃田は世界バドミントン連盟世界ランキング男子シングルスで1位(日本バトミントン協会の日本ランキング1位)。これは日本の男子選手としては史上初の快挙だ。
桃田の過去の戦績について、国際大会を中心に振り返ってみよう。
2012年高校3年生だった桃田は、7月にアジアユースU19選手権男子シングルスで優勝を果たすと、10月に千葉で開かれた世界ジュニア選手権大会シングルスで日本人初の優勝を果たす。この大会の女子シングルスで優勝したのが奥原希望で、男女アベックでの快挙達成だった。
NTT東日本に所属後に国際大会シングルスの日本代表として出場し、優勝しているのは以下通り
・2015年BWFワールドスーパーシリーズファイナルズ▽インドネシアオープン▽シンガポールオープン
・2016年インドオープン
・2017年マカオオープン▽オランダオープン▽チェコオープン▽ベルギーインターナショナル▽K&Dグラフィックスインターナショナル
・2018年アジア選手権▽インドネシアオープン▽世界選手権▽ダイハツ・ヨネックスオープン▽デンマークオープン▽中国マスターズ
中でも中国・南京で開かれた世界選手権での金メダルは重要だろう。世界選手権男子シングルスで日本人選手が決勝に進出するのは初めてのことだったが、その決勝も中国代表第3シードの石宇奇をストレートで下し、初の金メダルを獲得した。続く9月のダイハツ・ヨネックスオープンでも優勝した結果、日本男子で史上初となるシングルス世界ランキング1位を達成した。
ところで、向かうところ敵なしの桃田にライバルはいるのだろうか。桃田はダイハツ・ヨネックスジャパンオープン開幕前の記者会見で、デンマークのビクター・アクセルセン選手について、「同世代、世界ランク1位(当時)で、自分も尊敬する選手。個人的にもライバルと思っている」と明かした。アクセルセンも「このまま、桃田に対する連敗が続くと、ライバルとは言われなくなってしまうので、次に対戦するときは勝ちたい」と“宣戦布告”されたことも話題となった。ちなみに同大会準決勝でアクセルセンと対戦し、ストレートで勝利している。
ようやく世界の頂点に戻ってきた桃田賢斗。オリンピックでのメダルを期待されながら、自らつまずき、どん底にまで落ちてしまったときの心境はどのようなものだっただろうか。しかし、彼は表舞台に出ていない期間も、努力を怠らず、周到に準備を続けてきた。全日本総合選手権で3年ぶりの優勝を決めたとき、「優勝は自分だけのものではない。この3年、本当にいろいろな人に支えられた」と、桃田は客席の四方に向かい、順番に深々と頭を下げていた。苦しい時期が精神面を大きく成長させたのだろう。4年間も彼は待ったのだ。2020年東京五輪で、日本人が初めて表彰台に上る姿を見せて欲しい。