柔道の男子100キロ超級における東京五輪代表選考は、リオデジャネイロ五輪銀メダリストの原沢久喜(ひさよし)が最有力と見られながら、影浦心(こころ)が“絶対王者”の テディ・リネール(フランス)を撃破するなど猛追を見せ、熾烈を極めた。しかし、2人のライバル関係は最終的に原沢に軍配が上がった。2度目となるオリンピックの舞台に挑む。
6歳で柔道を始めた原沢久喜と、スポーツ一家で育った影浦心
原沢久喜(ひさよし)は1992年7月3日生まれ。山口県出身で、6歳の時に柔道を始めた。地元の下関市にある大西道場スポーツ少年団でキャリアの幕が開けた。
高校入学前までは軽量級だったが、体の成長とともに重量級に転向した。リオデジャネイロ五輪の代表争いでは、当初、後れを取っていたものの、国際大会で7連勝を果たすなど破竹の勢いで成果を残し、逆転で代表切符をつかみ取った。
リオデジャネイロの本大会、原沢は1回戦こそ慎重な試合運びとなったが、2回戦はアゼルバイジャンのウシャンギ・コカウリに一本勝ち。その後、決勝まで勝ち進み、見事に銀メダルを獲得した。これまで世界柔道選手権は2017年から3大会連続で出場し、2018年は銅メダル、2019年は銀メダルを手にした。2019年は世界ランク上位選手で争うワールドマスターズにおいて金メダルに輝いている。
一方の影浦心(こころ)は1995年12月6日生まれ。愛媛県出身で、スポーツ一家で育った。父は社会人ラグビーの強豪、神戸製鋼の元選手で、母もバレーボールの実業団チームに在籍した経歴を持つ。
影浦と柔道との出合いは10歳の時。恵まれた体格を生かし、次第に頭角を現していった。東海大学に進学後、3年次にアジア選手権大会とグランプリ・デュッセルドルフで優勝を果たす。講道館杯全日本柔道体重別選手権大会では2年連続3位入賞。2019年には世界選手権の団体戦で金メダル獲得に貢献した。
約10年無敗の絶対王者を撃破した影浦
男子100キロ超級の東京五輪代表権は、2大会連続出場を狙う原沢のほか、影浦、王子谷剛志(おうじたに・たけし)、小川雄勢(ゆうせい)らによって争われていた。しかし、王子谷と小川は国内外での成績によって脱落。最後は原沢と影浦の一騎打ちとなった。
原沢と影浦、2人の代表争いにおいて、カギを握ったアスリートがいる。同階級で“絶対王者”の地位を確立したフランスのテディ・リネールだ。リネールは2010年の世界選手権、無差別級決勝で上川大樹に敗れて以降、同大会で8連覇、オリンピックはロンドン、リオデジャネイロ大会で2連覇を達成するなど国際試合で154連勝という偉大な記録を築き上げた超人だ。原沢がリオデジャネイロ五輪の決勝で相見えたのもリネールで、組み手争いに長けた相手の攻略法を見いだすことができず、結局は「指導」1つの差で敗れた。
リオデジャネイロ五輪後、原沢はオーバートレーニング症候群の症状に苦しんだ時期もあったが、東京五輪代表選考に大きく影響する2018年11月以降の成績を見ると、7つの国際大会に出場して6大会で決勝進出。そのうち2大会は優勝を収めている。
一方の影浦は、6つの国際大会に出場しているものの優勝は一つもなく、2位が2回、3位が3回。安定感では原沢に劣る。それでも影浦が最後まで候補に残り続けた要因の一つに、2019年、東京大会の世界選手権で銀メダルを獲得した原沢が、続く選考対象大会となっていたグランドスラム・大阪を負傷で欠場し、早々に代表争いに決着をつけられなかったことが挙げられる。
そしてもう一つが、リネールとの対戦にあった。影浦は、原沢が出場しなかった2020年2月のグランドスラム・パリにおいて、3回戦でリネールを延長戦の末に内股透かしで撃破。約10年間負け知らずの王者を破った快挙は、日本中はもちろん、世界のスポーツ界に衝撃を与え、ビッグニュースとして報じられた。勝負を分けた影浦のスタミナやスピードは、重量級選手というよりも、まるで中軽量級選手のようだと言われている。リネールは東京五輪でも日本勢の前に立ちはだかることが予想されるために、王者撃破に成功した影浦を代表に推す声が一気に強まった。
最後は1年間の総合成績が判断材料に
原沢か、影浦か――。
原沢は当初、出場を予定していた2020年2月のグランドスラム・デュッセルドルフを故障のために欠場を余儀なくされた。しかし、同大会後に全日本柔道連盟が開いた強化委員会によって3分の2以上の賛成票を獲得し、4月の最終選考を待たずして東京五輪代表に内定する。最終選考となるはずだった全日本選抜柔道体重別選手権大会は新型コロナウイルス感染拡大の影響により延期が決定した。全柔連は、「1年間の成績を見て、リネール以外の他の海外選手との勝率なども判断材料にした」と、原沢の選考理由を発表した。
原沢は、リオデジャネイロ五輪の決勝でリネールに敗れているものの、勝敗は僅差によるもので、「倒せるかもしれない」という感触を持ち帰っている。また、ライバルであり、同志でもある影浦がリネールを倒した戦法も、同じ日本人選手としてヒントの一つになるだろう。
1964年に行われた東京五輪の男子無差別級は、神永昭夫が決勝で敗れ、惜しくも自国での優勝とはならなかった。競技発祥の地である威信をかけ、また、原沢にとっては前回大会のリベンジをかけ、来たる東京五輪に備える。