富樫勇樹:小柄な司令塔は、日本バスケ界を牽引しながら、進化を続ける

アメリカで2度の挫折を味わい、日本で成長を遂げる

父親がバスケットボール界では有名な指導者。英才教育を受け、高校は本場アメリカへ

バスケットボール男子日本代表のポイントガードとして活躍するのが富樫勇樹だ。167センチの小柄な司令塔は、過去2度にわたってアメリカに挑戦し、高い壁に跳ね返されてきた。「3度目の正直」を実現するためには、日本をFIBAワールドカップ、そして2020年東京五輪に導かなければならない。

父の影響で競技を始め、父とともに頂点に立つ

公表されている身長は167センチ。一般社会に入れば平均的なサイズか、むしろやや小さいほうだ。その富樫勇樹が、日本バスケットボール界を牽引している。2メートルを超える大男たちが激しい動きを見せるコートで、ひときわ小柄な男が誰にもまねできないプレーを見せ、観衆を魅了している。

富樫は1993年7月30日、新潟県新発田市に生まれた。中学教諭でバスケットボール部の顧問を務めていた父親の富樫英樹さん(現開志国際高校バスケットボール部監督)に勧められるまま、小学1年の時にバスケットボールを始めた。英樹さんは新潟県のバスケットボール界では有名な指導者で、彼が指導していた新発田市立本丸中学校は全国レベルの実力。富樫も本丸中に入学し、父親の厳しい指導のもとで成長した。3年次の2008年に新潟で行われた全国中学校バスケットボール大会で優勝している。

これだけの実績があり、父親と高校バスケットボール界につながりがあることも考えると、国内の有力校に進学しそうなものだが、富樫が選んだのはアメリカ留学だった。父親の恩師であり、バスケットボール指導者として知られる中村和雄氏の勧めもあり、モントロス・クリスチャン高校に進むことになった。過去に何人ものNBAプレーヤーが輩出しているバスケットボールの名門校だ。

2度にわたるアメリカ挑戦も、道は開けず

ここで活躍し、順調に行けば全米大学運動協会(以下NCAA)1部の大学に進学し、NBA入りへの道が開ける。富樫はモントロス・クリスチャン高校で主力として活躍したが、希望していたNCAA1部所属の大学からフルスカラシップ(学費が全額免除になる奨学金)のオファーが届かなかったため、進学を断念せざるを得なかった。技術は申し分なかったが、170センチに満たない身長がネックとなり、大学側が二の足を踏んだようだ。

2012年に帰国した富樫は再び中村氏を頼り、彼がヘッドコーチを務めるbjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団。プロバスケットボールプレーヤーとしての道を歩み始めた。

高校卒業からノーザンハピネッツでのデビューまで10カ月間のブランクがあったものの、富樫はデビュー戦で40分間フル出場し、15得点11アシストのダブルダブルを披露した。シーズン途中からの加入だったが、最終的に158本のアシストを記録。1試合平均6.07は仙台89ERSの中心選手としてアシスト王に輝いた志村雄彦(たけひこ)の6.25などに迫る勢いで、bjリーグ新人王を獲得した。

2013−2014シーズンもチームの中心として存在感を見せつけた。1試合平均7.9アシストを記録し、ノーザンハピネッツをファイナルズへ導く。そしてシーズン終了後、再び渡米してアメリカでのプレーの可能性を模索していった。

サマーリーグでの活躍を経てダラス・マーベリックスと契約を結び、田臥勇太(たぶせ・ゆうた)に次いで日本人史上2人目のNBA契約選手となった。しかし、試合出場はかなわず、最終的には将来のNBA選手を育成するためのDリーグのテキサス・レジェンズに所属。ここで活躍すればNBA行きの道が開けたかもしれないが、足首の故障の影響でシーズン後半戦を欠場する。2015年9月、千葉ジェッツと契約し、再び国内復帰を果たすこととなった。

タレント軍団を操りW杯へ、そして東京五輪へ

富樫のポジションはポイントガード。わかりやすい言葉で言うと「司令塔」だ。

ドリブルでボールを運び、コートの状況を把握しながら、絶妙なパスで味方の得点をアシストする。ゴールに迫るポジションではないため大型である必要はないが、3ポイントシュートなどの技量も求められる。かつてのNBAではジョン・ストックトンやマジック・ジョンソン、ジェイソン・キッドが名手として知られていた。小柄で敏捷性に優れ、高いテクニックとバスケットボールIQを兼ね備える富樫にふさわしいポジションと言える。

そんな富樫は現在、千葉ジェッツだけではなく、日本代表チームでも司令塔役を担っている。言うまでもなく、日本代表には各チームのエース級の選手が集結する。アメリカのゴンザガ大学で成長を続ける八村塁や、富樫も果たせなかったNBAでのプレーを実現させた渡邊雄太、そして2018年にアメリカから帰化したニック・ファジーカスと、今の代表チームにはハイレベルな選手がそろっている。そんな選手たちを自在に操る富樫は「やっていてすごく楽しい」と語る。

男子バスケットボールの日本代表チームが開催国枠で2020年東京五輪に出場できるかどうかは、2019年3月の国際バスケットボール連盟(FIBA)の中央理事会で決定する見込みだ。代表チームはそれまでに世界レベルの実力があることを示さなければならず、そのために現在戦っているFIBAワールドカップ(以下W杯)のアジア予選を勝ち抜かなければならない。残りの2試合には八村と渡邊が所属チームの事情で出場できないだけに、富樫にかかる期待は大きい。

2連勝を飾ってW杯出場を達成すれば、東京五輪出場が見えてくる。そして、富樫自身にも3度目のアメリカ挑戦への道が開けるだろう。彼は2018年6月、所属する千葉ジェッツと新たに3年契約を締結した。条項のなかには、海外挑戦を容認する内容も含まれているという。「日本をW杯に導き、東京五輪にも出場したポイントガード」という肩書きを得れば、NBAもこの小柄なポイントガードの実力を評価せざるを得なくなるはずだ。

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