1992年バルセロナ五輪でオリンピックにおける野球は正式競技に昇格。8カ国の総当たり戦で予選リーグが行われるという大会形式のなか、日本代表は銅メダルを獲得した。キューバに大敗、チャイニーズタイペイには2戦2敗と、日本野球の未来を見据えるための課題を持ち帰った大会でもあった。
社会人19人と大学生1人で代表を構成
まだプロ野球選手の参加が認められていなかった時代。前回大会のロサンゼルス五輪では、公開競技ながら日本代表は金メダルを獲得していた。正式種目となった1992年バルセロナ五輪には、社会人19人と大学生1人というメンバー構成で臨んだ。
日本に加え、アメリカ、キューバ、スペイン、イタリア、チャイニーズタイペイ、プエルトリコ、ドミニカ共和国の8カ国が総当たりで予選リーグを行った。日本は順調に勝利を積み上げていく。プエルトリコに9−0、スペインに12−1、キューバに2−8、ドミニカ共和国に17−0、イタリアに13−3、チャイニーズタイペイに0−2、アメリカに7−1。5勝2敗の2位で決勝トーナメント行きを決めた。
投手陣の中軸を担ったのは杉浦正則、伊藤智仁、小桧山雅仁(こひやま・まさひと)の3選手だ。
アトランタ五輪とシドニー五輪にも出場し、「打倒キューバ」を掲げてプロ入りよりオリンピックを重視した杉浦はドミニカ共和国、チャイニーズタイペイ、アメリカとの3試合にリリーフとして登板。3戦とも無失点に抑えてみせた。のちにヤクルトスワローズで活躍する伊藤は、スペイン戦で7回1失点、イタリア戦で8回3失点の力投を見せ勝利に貢献した。のちに横浜ベイスターズでプレーする小桧山はプエルトリコ戦で9-0の完封勝利を飾っている。
準決勝では先頭打者本塁打を浴びる
ただし、準決勝のチャイニーズタイペイ戦では、主力投手が攻略されてしまう。
予選リーグでチャイニーズタイペイに0-2で敗れている日本は決勝進出を果たすべく小桧山を先発で起用。しかし、先頭打者本塁打を浴び出鼻をくじかれた。一度は2−1と逆転したものの、続投した杉浦も2本の本塁打を打たれた。相手ピッチャーの郭李建夫(かくり・けんふ)には5安打に抑えられ、2−5で敗れている。
3位決定戦のアメリカ戦は2回と6回に4得点と打線が爆発。8-3で勝利し、銅メダルを獲得した。この試合で7番打者として起用され、4打数2安打2打点の活躍を見せたのが唯一の大学生だった。青山学院大学に在籍中の小久保裕紀だ。その後、福岡ダイエーホークスや読売ジャイアンツで活躍する小久保は、予選リーグのスペイン戦とドミニカ共和国戦では本塁打を放つ活躍を見せている。
3位決定戦のアメリカ戦で先発した伊藤は、個人記録を残している。スペイン戦で8個、イタリア戦で12個、アメリカ戦で7個の三振を奪った。1大会27奪三振はギネス世界記録。日本人投手の質の高さを見せつけた。伊藤の力投がその後の日本人ピッチャーのメジャーリーグ行きのハードルを低くした部分はゼロではない。