日本の男子テニス界において、錦織圭に次ぐ実力の持ち主といえば、西岡良仁をのぞけばダニエル太郎になるだろう。前回のリオデジャネイロ五輪に出場し、ベスト8の健闘を見せた。五輪後にもジョコビッチから勝利し、ツアー初優勝を果たすなど、着実に成長をしている。
しかし、群雄割拠のテニス界において、試合に負ければランキングが下がり、東京五輪は遠のいてしまう。最近のダニエルは苦戦を強いられており、2度目のオリンピック出場を賭けて、できる限り勝たなければならない戦いが続く。
ニューヨーク生まれの日本育ち。スペインでプロキャリアをスタート
ダニエル太郎は1993年1月27日生まれ。アメリカのニューヨーク出身だ。父はアメリカ人、母は日本人。身長191cmから繰り出されるサーブが武器で、クレーコートを得意としている。
生まれはニューヨークだが、幼少時代は日本で過ごしている。テニスを始めたのは7~8歳のころだという。「『むさしの村ローンテニスクラブ(埼玉県加須市)』です。よく憶えていませんが、そこでお父さんがテニスをしていたのが、きっかけだったと思います」と本人は語っている。当時は、負けるとすぐに泣くことから「泣き虫太郎」とあだ名がつけられていた。だが、とにかくテニスが大好きで、クラブの練習が終わっても、父とよく練習していたという。
10歳のときに名古屋へ引っ越したが、森林ロングウッドテニスクラブ(愛知県名古屋市)でテニスを続け、2005年、12歳のときに全日本ジュニア(12歳以下)に出場して、3位の成績を収めた。
その後、14歳のときに父の仕事の関係で、スペインのバレンシアに移住。現地では「テニスバル」というクラブに入門し、そこに所属する元世界ランキング4位のフェレールをはじめ、スペインのトップ選手とトレーニングすることで、実力を伸ばしていった。そして2010年、17歳でプロ転向を果たした。
世界にもまれながら2015年にトップ100入り
2012年6月にスペインF15フューチャーズ、同年7月のスペインF20フューチャーズ、2013年5月スペインF14フューチャーズ、同年10月ポルトガルF9フューチャーズ優勝。ダニエルはツアー下部大会で、着実に優勝を積み重ねる。
そして、2014年の全豪オープンで、四大大会の予選に初出場。予選決勝までコマを進めたが、トマス・ベルッシに敗れ、本大会出場はならなかった。チリ・オープンは、予選を突破し、ATPツアー大会初出場を果たす。1回戦では全豪オープンの予選で負けたトマス・ベルッシを破り、さらには2回戦も突破して、ベスト8という成績を残した。
4月には、男子テニスの国別対抗戦、デビスカップ準々決勝のチェコ戦に、錦織圭が欠場したことで抜擢され、初めて日本代表としてプレーする。格上のルカシュ・ロソルと対戦し、フルセットまで粘るものの惜敗となり、日本も0-5で敗退した。
8月の全米オープンでは、予選を突破し、初の四大大会本戦出場を果たした。1回戦で第5シードのミロシュ・ラオニッチ(カナダ)と対戦し、0-3で敗れた。そのラオニッチは4回戦で錦織圭に2-3で敗退している。2015年4月、ヴェルチェッリ・チャレンジャー、同年6月、フランケン・チャレンジャーで優勝。そして、5月の全仏オープンは、予選を突破するものの、1回戦で敗退となった。
9月、デビスカップワールドグループのプレーオフ・コロンビア戦で、負ければワールドグループから降格となる大一番に出場。日本代表2番手で登場し、サンティアゴ・ヒラルドと対戦。4-6、3-6、6-3、6-1、4-6とフルセットに持ち込むも敗れた。その後、1勝2敗で4番手を務めた錦織が勝利し、日本は最終試合へ。再びダニエルが登場し、アレハンドロ・ファジャと対戦。ファジャとは6月にウィンブルドンの予選で対戦しており、2-6、 6-4、 1-6で敗れていた。しかし、そんな難敵を7-6、6-3、6-2のストレートで下し、日本のワールドグループ残留に大きく貢献した。
同年11月には慶應チャレンジャー国際テニストーナメントで優勝。翌週のランキングでは93位となり、自身初のトップ100入りを果たした。
リオ五輪はベスト16止まりながら、2018年にジョコビッチ撃破
2016年4月、ダニエルは世界ランキングを85位に上げたが、6月6日付けのランキングで108位に後退。リオデジャネイロ五輪の出場基準となる上位56位までには入ることができなかった。しかし、出場辞退者が相次いだため、ITF(国際テニス連盟)推薦枠で、初の五輪代表入りを果たした。
リオ五輪では、1回戦で第14シードのジャック・ソック(アメリカ)を破る番狂わせを起こす。2回戦は世界ランキング81位のカエル・エドモンド(イギリス)と対戦、6-4、7-5のストレートで下し、3回戦に進出。3回戦の相手はフアン・マルティン・デル・ポトロ(アルゼンチン)。デル・ポトロは1回戦で当時世界ランキング1位だったノバク・ジョコビッチを倒していた。しかも前回のロンドン五輪の銀メダリスト。ダニエルは第1セットを7-6で先取するも、第2セットを1-6、第3セットを2-6で奪われ、自身初となる五輪はベスト16で幕を閉じた。
五輪後のデビスカップワールドグループのプレーオフ・ウクライナ戦では、第1試合でセルジー・スタホフスキーに勝利。第4試合でもイリヤ・マルチェンコから勝利をあげ、5-0という日本の完全勝利に貢献し、ワールドグループ残留を果たした。2017年に入り、ダニエルは拠点をスペインのバレンシアから日本へと移した。
そして2018年3月。ダニエルはBNPパリバ・オープン2回戦で、ジョコビッチを7-6、4-6、6-1で下すという大金星をあげた。「本当に驚いている。朝、ウォーミングアップをしたとき、センターコートはとても大きいと感じた。明らかに彼(怪我明けのジョコビッチ)はベストなテニスをしていなかったけど、それをアドバンテージにすることができた。第2セットを落としても、ファイナルセットで何かを起こせるという自信があった」と語った。
さらに、5月のイスタンブール・オープンで、ついにATPツアー初優勝を果たす。決勝戦について「試合前はかなり緊張していたけど、向こう(マレク・ジャジリ)のほうが硬くなっているはずと自分に言い聞かせた。出だしも良く、落ち着いていけた」と、日本人4人目の快挙を振り返った。
27歳での東京五輪出場を目指すダニエル太郎。ランキング上位56名+ITF推薦枠8名の計64選手(1国4名まで)が出場できるなか、現在は107位のランキング(2019年5月)のため、出場はほど遠いと言わざるを得ないだろう。東京五輪まで残りわずか1年だ。間違いなくダニエルにとって、すべての試合が重要なものになる。