【アスリートの原点】ロジャー・フェデラー:「人格者」である「テニス界の皇帝」の幼少期は、周囲も手を焼く「小さな悪魔」

大会の待ち時間に木登りするわんぱく小僧

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
2000年、18歳の時に国別対抗戦のデビスカップにスイス代表として出場。大会は母国のスイスで行われた

ロジャー・フェデラーは「テニス界の皇帝」との異名を持つ。2020年1月時点でツアー歴代最多111勝、グランドスラムの4大大会では20回の優勝を果たすなど、数々の金字塔を打ち立ててきた。テニス好きの両親のもとに生まれた少年の才能をいち早く見いだしたのは、バルセロナ五輪金メダリストのマルク・ロセだった。

「小さな悪魔」と呼ばれたわんぱくな幼少期

スイス人のローベルト・フェデラーと南アフリカ出身のリネット・フェデラー。同じ職場で勤務する2人を結んだのが、テニスだった。

ローベルトが6歳年下のリネットにテニスを教えていくうちに親しくなり、2人は結婚する。そして1981年8月8日、スイスのバーゼツで2人の間に第二子となる長男が生まれた。のちにテニス界で数々の記録を打ち立て、「史上最高のテニスプレーヤー」と呼ばれるようになるロジャー・フェデラーが産声を上げた瞬間だった。

ロジャー少年は幼いころから球技を好み、地元のサッカーチームに所属してストライカーとして活躍した。他にも水泳やスキー、スケートボード、卓球、ハンドボール、バスケットボール、ホッケー、レスリングなど、様々なスポーツを経験したという。もちろん、テニス好きの両親の子とあって、3歳を過ぎたころにはテニスも親しむようになっていた。

8歳の時、母と同じテニスクラブに入り、本格的にテニスを始めた。このころからロジャーの才能は周囲の子より抜きん出ており、他の子が数週間かかる技術を2、3回で習得したというエピソードが残されている。

今でこそ誰にでも分け隔てなく敬意を払う 「人格者」として知られるロジャーだが、当時はわんぱくな「悪ガキ」タイプの少年だった。テニス大会の待ち時間には木に登ったり、コートではプレーに納得がいかないとラケットを投げつけたりして、コーチに「小さな悪魔」と呼ばれていた。

13歳からホームステイ、加藤純とダブルスも

ロジャーが秘めた可能性をいち早く見抜いたのは、1992年のバルセロナ五輪テニス男子シングルスで金メダルを獲得したマルク・ロセだった。

彼はロジャーが11歳の時、「トップ選手になるために必要なすべてを兼ね備えている」と見て、ロジャーの才能を伸ばそうと歩み寄った。ロジャーもロセに信頼を寄せ、彼を模範として真剣にテニスと向き合った。

13歳になると、ロジャーは故郷のバーゼルを離れて、スイスのナショナルトレーニングセンターがある街にホームステイした。同年代には日本の加藤純もおり、2人がダブルスで大会に出ることもあった。1997年、16歳の時に出場したプラート国際ジュニアテニス大会では、シングルスで優勝、加藤と組んだダブルスでは準優勝に輝いている。そして17歳の時、ウィンブルドン選手権ジュニア大会で優勝を遂げた。

ただし、テニス評論家やライバル選手たちは当時、ロジャーが世界のトッププレーヤーになることを想像できなかったという。逆にいえば過度な注目を浴びなかったことが、ロジャーにとって伸び伸びとテニスに打ち込める環境をつくり出した。そして2003年、21歳でウィンブルドンを制してグランドスラム初タイトルを獲得。ここからロジャー・フェデラーの、輝かしいスター街道への道が拓けていく。

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