東京2020からパリ2024へ:スケートボード四十住さくら、笑顔が弾けた瞬間

2021年の夏に世界を盛り上げた東京2020からまもなく1年。アスリートたちは次の目標へと進み、その先にパリ2024を見据えている。人々の心を熱くした東京でのパフォーマンスを振り返りつつ、選手らのパリへの歩みを辿ってみたい。

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(2021 Getty Images)

東京2020オリンピックで新たにプログラムに加わったスケートボード。その盛り上がりは日本勢のメダル獲得によってさらに熱を帯びたことは記憶に新しい。

その熱狂の中心にいた人物のひとりが、女子パークで金メダルを獲得した**四十住さくら**だ。弾ける笑顔が印象的な四十住の東京オリンピックを振り返ってみたい。

唯一の60点台

東京2020のスケートボード女子パーク種目が行われた2021年8月4日。予選上位8人によって競われる決勝の舞台に、四十住は立っていた。予選の成績は4位。

四十住といえば、2018年に第1回大会が開かれたスケートボード日本選手権のほか、同年のアジア競技会で「初代女王」に輝き、世界選手権でも優勝。金メダル候補として東京オリンピックに臨んでおり、予選の成績は持ち越されないとはいえ、予選4位という状況にプレッシャーを感じてもおかしくはなかった。自国開催で初代女王の座につける機会は多くのアスリートが得られるものではない。

しかし当時19歳の四十住は違った。予選4位という成績も「それくらいがいい」とどこか余裕を見せ、決勝の1本目でノーグラブ(板をつかまない)のオーリー540(1回転半)、さらにバックサイド540という2つの540を決めて、60点台を叩き出したのだ。その後のランで、開心那(ひらき・ここな)、スカイ・ブラウン岡本碧優(みすぐ)ら7選手は60点台を超えることができず、四十住が逃げ切っての金メダル。最高の笑顔を輝かせた初代女王は、「焼肉行きたい」と声を弾ませた。

家族への感謝

大会前、そして優勝後も家族への感謝の言葉を口にしてきた四十住。その背景には、競技生活を支えていた家族への想いがある。

和歌山県出身の四十住は、兄の影響で小学校6年生のときにスケートボードを始めた。次第に兄以上にのめり込むようになると、本格的な練習場所を求めて県外に足を運ぶようになる。あらゆる面において彼女の練習を支えたのは、母親の清美さんだった。地元に練習場ができる以前は、往復3時間の道のりを清美さんが車で送り迎えして、練習に励んできたという。

母親や周囲の支えを得て、東京オリンピックで金メダルを獲得し、弾ける笑顔で仲間たちと勝利を祝った瞬間は東京大会の印象的なシーンとなった。実はこの彼女の屈託のない笑顔の背景にも、母親の存在がある。

Vogue Girlのインタビューで四十住は、「母から『虫は明るいところに寄るやろ? いつも笑顔な人のところにみんな集まるから、いっぱい笑っていた方がいいよ』と言われて育った」ことを告白。今年4月に千葉で行われたXゲームズで、偶然にも母親の誕生日だった決勝当日、金メダルを獲得して母を祝い、自身のインスタグラムでは「決勝当日4月23日はママの誕生日と色々と思い入れが深まる大会となりました」と綴った。

パリ2024への道

東京オリンピックでスケートボード女子パークの初代女王となった四十住さくら。次の目標として、パリ2024での2連覇を掲げている。

スケートボード競技では、パリオリンピックの出場権獲得のためのポイント獲得期間が2022年6月22日~2024年6月23日と定められ、まもなくスタート。10月には2日~9日の日程で世界選手権も予定され、パリに向けた戦いがいよいよ本格化していく。

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