サーフィンコーチでありメンターであるマット・マイヤーズは、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクルーズでプロサーファーをトレーニングしたり、国際大会に同行したりする際、必ず黄色の蛍光キャップをかぶり、沖からでも認識できるようにしている。
彼は大げさなジェスチャーを使って海にいるサーファーを指導し、キャップを空中に振り回してラインナップの最適なポジションを指示したり、腕をクロスして次の波は見送るようになどの合図を出す。
彼が数年前に立ち上げた会社、マイヤーズ・サーフ・メンターシップには長い順番待ちリストがあるが、エリート選手になる可能性が最も高いサーファーだけが選ばれる。
現在、マイヤーズコーチは、タヒチ出身のワヒネ・フィエロと、パリ2024サーフィン競技の出場枠をカナダ人として初めて獲得したサノア・デンプフル・オリンの指導に取り組んでいる。
彼はまた、WSLチャンピオンシップ・ツアーに参戦するコスタリカのブリサ・ヘネシー、アメリカ合衆国のアリッサ・スペンサーなどの多くのサーファーの指導を行ってきた。
「私は、彼らがエリートアスリートになるために必要な意思決定、戦略、技術、その他全ての要素を改善するサポートを行っています」と、マイヤーズはOlympics.comとの独占インタビューで語った。彼はまた、サーファーたちがエリートアスリートとしての考え方をもつために行っているメンタル指導についても明かした。
なぜ彼はいつもテニスボールとモップの柄にボールが突き刺さったような形の「魔法の棒」を大会会場に持っていくのか?マイヤーズのトレーニング指導の秘密を紹介しよう。
ライフガードからサーフィン指導者になるまで
ライフガードとして、マイヤーズは波を観察するために無数の時間を費やしてきた。しかし、実際に彼が実現したかったことはそれらの波に1日中乗って過ごすことだった。18歳の時、彼はスポンサー契約を獲得してその夢を実現した。
彼は大会で優勝し、世界を旅して回り、数々の感情の浮き沈みを経験してきた。これが彼の人生の大きな転換点となった。
「スポンサー契約が終了し、もう給料が入ってこないことになった時、私は現実的にならざるを得ませんでした。いつかはこの時期が来ることを知ってはいました」と彼は振り返った。
プロサーファーとしてのキャリアを終えることは、マイヤーズがこれまでに決断したどんなことよりも困難なものだった。
しかし、事態はすぐに好転したのだった。
「私はまだいくつかの大学のコースを取っていました。少しだけの時間ですが教育を受け続けることができたのです。そして、私はただ幸運でした」と彼は人生の次のステージの始まりについて話した。
ある有名なサーフ会社は、25歳のマイヤーズにマーケティングとイベントマネージャーのポジションを提供したのだった。その後の10年間、彼はミック・ファニング、ガブリエウ・メジナ、トム・カレン、ベサニー・ハミルトンなどのサーフィン界のスーパースターたちと競技大会に同行し世界中を巡った。
しかし、この仕事はパソコンの前で多くの時間を過ごすことを彼に求め、サーファーとして生きることを望んで育った頃の夢とは正反対のものだった。
彼は自身の創造性を生かし、サーフィン大会のジャッジを務めたり、友人たちとサーフィン映画を製作したりとさまざまなことに取り組んだ。最終的には、彼が手がけていないサーフィン関連の仕事はほとんどないほどだった。
そして、彼にとって転換点となったのはコロナ禍だった。
「私は自分の仕事が大好きで10年間続けてきましたが、一方で私は、自分の可能性に挑戦する準備をしていました」と彼は話した。
「コロナ禍は、私にいったん後ろに下がって息をつく機会を与えてくれました。それまでの私はスケジュールと旅行にとらわれていました。私は本当に忙しかったです。休んでいた時間に私は考えました。私は本当に何がしたいのか?」
長年にわたり、マイヤーズはサーフィン界のスター選手たちを観察し分析することで、彼らが他のサーファーと何が違うのかを認識していた。彼は、自らの才能を開花させエリートサーファーに進化させてくれるようなコーチの存在を静かに望んでいた。しかし、彼が若い頃のカリフォルニアにはそのようなコーチはいなかった。
マイヤーズが悩んでいた時、米国サーフィンチームで多くのアスリートをサポートしているライフコーチのトロイ・エッカートが彼に助言した。
「彼は私の目を見つめ、『マット、今君がこれをしないなら、それはサーフィン界にとって不利益なことだよ』と言ったのです」とマイヤーズは回顧した。
テニスボールと「魔法の棒」でメンタル戦を制する
「私は世界中の本当に多くのコーチたちについて研究しました。それぞれが何をしているのかを見て、それぞれから少しずつよいところを取り入れて私自身の指導法を作り上げたのです」とマイヤーズは語った。彼の指導法では、パフォーマンス(身体能力)、キャリア(プロリーグへの参戦)、メンタル開発(目標、マインドフルネス、明確さ)の3つの重要な観点からアスリートをサポートしている。
米国のノーラン・ラポザは、マイヤーズのプログラムに参加した最初のプロサーファーのひとりだ。ラポザはある時、競技中にパドリングで沖に出たが、海岸の何百人もの観衆の中で彼に合図を送っていたマイヤーズの姿を見つけることができなくなった。
「彼は私を見つけることができず、腕を中に上げ私を呼んでいました」とマイヤーズは振り返った。「そんなことがあって、2年ほど前にヨーロッパから帰国した時、友人が私に黄色の蛍光キャップを作ってくれたのです。そこが契機になりました」
それ以来、彼は見失うことのないキャップに加えて、毎回の大会にトレーニング用の棒「魔法の棒」を持っていく。長いほうの棒の先端にはテニスボールが付いており、短いほうの棒には青と赤のストライプが巻かれている。まるでマジックショーでも始まるかのようだ。
これらの棒は彼のトレーニングプログラムの中で非常に重要な道具である。トレーニングでは、彼は棒のひとつをアスリートの足元に差し出して、アスリートはできるだけ素早く片足でそれにタッチするよう動く。これは、サーフィンに必要なバランス力の向上のための優れたエクササイズで、アスリートは片足でタッチを試みる一方、反対の足はで体を支えなければならない。
ウォームアップでは、彼はアスリートにその場で駆け足をさせながら、「右」または「左」と声を出してテニスボールを投げ、アスリートはそれに反応してボールをキャッチすることも行う。
マイヤーズは、過去に自身が怪我をして、その後、バランス力を回復させるために理学療法士と一緒に取り組んだ経験があり、その時にこれらのエクササイズの有効性を見い出した。
「これらのエクササイズを行うと、アスリートはとても夢中になり、ライバルやサーフィン、緊張、不安や恐怖について考えずにすむようになります」と彼は説明した。
エリートサーファーの思考プロセス
「最高のアスリートは、最大の試練がやってきた時にこそ最高のパフォーマンスを発揮することができます」とマイヤーズは言う。
「そのような高いレベルでは、彼らは明らかに優れた才能を示します。彼らは子どもの頃から何百時間も何千時間も波に乗ってきました。彼らはサーフィンの全てを理解しているのです」
波の上での身体的・技術的なトレーニング以外に、マイヤーズはアスリートの精神面の障壁を取り除くサポートも行っている。
「私は、アスリートが自分自身に対し、常にポジティブに問いかけることが重要だと思います。もし、心の中がネガティブな状態に陥ってしまうとパフォーマンスも低下してしまうからです。サーファーが本当にフラストレーションを感じている時、うまく波に乗ることはできないでしょう」
マイヤーズによれば、自信もまた成功における最大の要素のひとつだと言う。
「アスリート自らが成功に値し、そこに立つことに値し、そして勝つことができるという真の自信と信念を持つことが重要です」と彼は説明した。
マイヤーズはまた、陸上でもアスリートたちに課題を与える。彼らは自分の目標を定義し、自分の思考や感情を紙に書くよう求められる。
「私はアスリートたちにできるだけ多くのことを書き出すことを強く勧めています。なぜなら、それらをペンで紙に書く時に、それらをさらに理解できるようになるからです」。
困難やフラストレーションを感じる状況に直面した時は、アスリートが自ら選んだマントラを繰り返すことを彼は勧める。
「これらは、自分自身を落ち着かせて集中させ、次の瞬間にポジティブな意欲をもたらすための言葉です。2、3の短い単語であったり1文であったりします。言葉でなくても深呼吸のようなシンプルなものでもよいかもしれません。深い鼻呼吸を繰り返し行うことで、精神が集中し自信を高めることができます」
米国サーフチームのメンバーであるクロスビー・コラピントは、自分自身の日々の経験を日記に記しており、Olympics.comとのインタビューでマイヤーズの考え方を称賛している。
「彼(コラピント)は確かにそれに取り組んでいます。彼は最高のアスリートになるために、本当にハードに取り組んでいます」と彼は話した。
「彼と一緒に取り組むアスリートたちがそれを認めていますよ」
オリンピック出場の夢を現実に
過去3年間で、マイヤーズはヘネシー、デンプフル・オリン、フィエロの3人のサーファーを指導し、それぞれが自国のパリ2024出場枠を獲得することができた。
「私は次のオリンピックはサーフィンという競技にとって、もっと素晴らしい機会になると思います。彼女たちが自分たちのパフォーマンスを見せる舞台と機会を得たのは本当に素晴らしいことです」と彼は話した。
「チョープーの波は、世界の中で最高ですが、最も恐ろしく、最も厳しく、最も重い波のひとつでもあります」
マイヤーズは、フィエロがパリ2024で金メダルを獲得すると期待する。
タヒチで育った彼女は、チョープーの波において他のどのサーファーよりもトレーニングを積んできている。
彼女のその経験が、2024年7月27日から30日まで開催されるパリ2024サーフィン競技で、観客と選手の両方を驚かせることになるかもしれない。
「サーファーであろうとファンであろうと、全くサーフィンを知らない人であろうと、2フィート、6フィート、あるいは10フィート以上になる(チョープーの)あの波を見れば、すぐに視線は釘付けになり、大きな興奮やパワーを感じることになるはずです」とマイヤーズは締めくくった。
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