夏冬両オリンピックでメダル獲得。スーパーアスリートたちの偉業に迫る

夏季・冬季オリンピックの両方に出場したアスリートは、これまでに128人にのぼるが、両方でメダルを獲得した選手はわずか5人。スーパーアスリートたちの物語を追う。

文: Michele Weiss
写真: Getty Images

オリンピック出場を目標に掲げ、厳しい練習を重ねるアスリートたち。中にはオリンピックへの情熱が留まることを知らず、夏冬両方の大会に出場したアスリートもいる。挑戦者はこれまでに128人。そのうち、両方でメダルを獲得した「スーパーアスリート」は、オリンピック史上5人存在する。彼らの軌跡を紹介したい。

エディー・イーガン(アメリカ)

  • ボクシング:アントワープ1920 金メダル(ライトヘビー級)
  • ボブスレー:レークプラシッド1932 金メダル(4人乗り)
レークプラシッド1932冬季オリンピックのボブスレー男子4人乗り。アメリカ代表のビリー・フィスク、エドワード・イーガン、クリフォード・グレイ、ジェイ・オブライエン。

レークプラシッド1932冬季オリンピック開催まで3週間に迫った頃、ボクシング金メダリストで弁護士の“エディー”イーガンは、1本の電話を受けた。電話の主はオリンピック・ボブスレー委員会に所属する旧友ジェイ・オブライエンで、冬季オリンピックに出場する屈強な人物がひとり足りないという。イーガンはオブライエンの提案に同意して電話を切ると、「どうやら、今日からアメリカ代表ボブスレー・チームの一員になったようだ」と妻に伝えた。

遡ること12年前のアントワープ1920夏季オリンピックで、イーガンはボクシングライトヘビー級で金メダルに輝いている。レークプラシッド1932以前はボブスレーのそりに乗ったことなどなかったが、そうした事実は取るに足りないことだったようで、同大会ではボブスレー4人乗りでアメリカの金メダルに貢献。夏冬両方でメダルを獲得した5人のスーパーアスリートの中でも、イーガンは両方で金メダルを手にした唯一のアスリートとして歴史に名を刻んでいる。

ヤコブ・チューリン・タムス(ノルウェー)

  • スキージャンプ:シャモニー1924 金メダル(個人ラージヒル)
  • セーリング:ベルリン1936 銀メダル(8m級)
ヤコブ・チューリン・タムス=シャモニー1924冬季オリンピック
写真: Getty Images

ヤコブ・チューリン・タムスは1920年代を代表するスキージャンパーのひとりとして知られている。

スキージャンプとクロスカントリースキーを組み合わせたノルディック複合が盛んなノルウェーに生まれたタムスは、同国でジャンプ専門のイベントが少ないことに不満を募らせていた。というのも、彼はジャンプは得意だったもののクロスカントリースキーが苦手で、母国でのノルディック複合大会で優勝したことがなかったのだ。

しかし20代半ばに差し掛かった頃、いよいよ活躍の機会が訪れる。1924年にシャモニーで開催された、第1回冬季オリンピックである。タムスは積もらせていた不満を解消するかのようなパフォーマンスを見せ、個人ラージヒルで金メダルを獲得。冬季オリンピックのスキージャンプで最初の金メダリストとなった。

タムスは4年後に開催されたサン・モリッツ1928で、再びスキージャンプ競技に出場。しかし、最初のジャンプの後、ルールをめぐって論争が起こり、一部のスイス人アスリートが彼を卑怯者呼ばわりした。これを理不尽に思ったタムスは、2回目のジャンプで「普通」のジャンプをしてメダル獲得を確実にする代わりに、新たなチャレンジを試み、当時はまだ誰も到達していなかった73メートルを飛んでみせた。着陸に成功していれば当時の世界記録になるほどのパフォーマンスだったが、表彰台を逃す結果となった。しかし、彼を卑怯者呼ばわりする人はもういなかった。

8年後、タムスはノルウェー代表セーリング・チームの一員としてベルリン1936夏季オリンピックに出場し、銀メダルに貢献した。

クリスタ・ルディンク(ドイツ)

  • スピードスケート:サラエボ1984 金メダル(500m)、カルガリー1988 金メダル(500m、1000m)、アルベールビル1992 銅メダル(500m)
  • 自転車:ソウル1988 銀メダル
クリスタ・ルディンク(ドイツ)

ルディンクスーパーアスリート・クラブの次なる選手は、クリスタ・ルディンクだ。

ドイツ出身のルディンクは、サラエボ1984のスピードスケート500mで金メダルを獲得。コーチの勧めにより、4年前のシーズンオフから自転車競技を始めていたルディンクは、自転車でもその才能が開花し、1986年に世界サイクリング選手権に出場。自転車トラックで優勝を果たした。しかし、本当の偉業はまだこの先にあった。

自転車スプリント女子で表彰台に立つ、(左から)クリスタ・ルディンク、エリカ・エリカ・サルミャーエ、コニー・パラスケヴィン=ソウル1988夏季オリンピック
写真: 1988 Getty Images

ルディンクは、1988年のカルガリー冬季オリンピックのスピードスケート1000mと500mで金メダルを獲得。同年のソウル夏季オリンピックでは自転車トラックで銀メダルを手にした。こうしてルディンクは、同じ年に夏季・冬季オリンピックでメダルを獲得した最初のアスリートとなった。

クララ・ヒューズ(カナダ)

  • 自転車:アトランタ1996 銅メダル(ロードレース、タイムトライアル)
  • スピードスケート:ソルトレーク2002 銅メダル(5000m)、トリノ2006 金メダル(5000m)・銀メダル(チームパシュート)、バンクーバー2010 銅メダル(5000m)
トリノ2006で金メダルを獲得し、キャリア最高潮を迎えたクララ・ヒューズ。

クララ・ヒューズの物語は、オリンピックの価値を伝えるようなものだ。10代の頃のヒューズは、アスリートというよりも自分でも認める問題児だった。ところが、1988年にカルガリーで開催された冬季オリンピックのスピードスケート競技で、同じカナダ人のガエタノ・バウチャーを見て、ヒューズはスピードスケートを始めた。

ところがある日、自転車競技のコーチに才能を見出され、ヒューズは自転車トラックとロードレースに転向。この決断は正しかったようだ。ヒューズはアトランタ1996夏季オリンピックでのロードレースとタイムトライアルで銅メダルを獲得した。

4年後のシドニー2000で表彰台を逃した後、ヒューズはスピードスケートに戻り、1年5カ月後、ソルトレーク2002冬季オリンピックに出場。5000メートルで銅メダルに輝いた。

彼女の物語はトリノ2006でも続き、5000mで金メダル、チームパシュートで銀メダルを獲得し、バンクーバー2010の5000メートル銅メダルで冬季オリンピックのキャリアを終えた。夏季・冬季オリンピック通算メダル数を6個としたヒューズの偉業は、オリンピック史において伝説として語り継がれている。

ローリン・ウィリアムズ(アメリカ)

  • 陸上:アテネ2004 銀メダル(100m)、ロンドン2012 金メダル(4x100リレー)
  • ボブスレー:ソチ2014 銀メダル(2人乗り)
試合前の練習を行うローリン・ウィリアムズ。
写真: Getty Images

アメリカ出身のローリン・ウィリアムズも、不屈のオリンピック精神に駆り立てられているアスリートのひとりだ。2000年代にマリオン・ジョーンズ(アメリカ)やジャマイカ出身のスプリンターらと並ぶトップスプリンターとして国際大会で活躍し、アテネ2004の100mで銀メダル、ロンドン2012の4x100リレーで金メダルを獲得した。

この2大会の間にも、ウィリアムズは世界陸上選手権で金メダル3つと銀メダル1つを獲得し、2008年北京オリンピックに出場した(表彰台に届かず)。

トラックシューズを脱いだ後も、ウィリアムズのオリンピックへの情熱は消えることはなく、ソチ2014冬季オリンピックの半年前に、陸上で培ったスキルをボブスレーのブレーカーとして活かせることを発見。ソチ2014のボブスレー2人乗りで活躍し、わずか10分の1秒差で優勝を逃して銀メダルに輝いた。こうしてウィリアムズは夏冬両方のオリンピックでメダルを獲得した、アメリカ人初の女性アスリートとなった。