スポーツは共通言語、文化や言葉の壁を乗り越えつながる

執筆者 Olympics.com
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First placed Arisa Trew AUS fist-pumps second placed Hiraki Kokona JPN on the podium following the Women’s Skateboarding Park Finals in the Urban Park at the Huangpu Riverside
写真: Handout image supplied by OIS/IOC. Olympic Information Services OIS.

パリ2024オリンピック開幕まであと50日。スポーツの祭典に向けて着々と準備を進める選手たちは、大会でさまざまなバックグラウンドを持つ人たちと競い合う。しかし、選手たちは勝負の世界にどっぷりと身を置きながらも、同時にスポーツを通じて自らを表現し、スポーツを通じて人とつながることの心地よさを実感してきた。

例えば、男子バレーボール日本代表の髙橋藍は、イタリアでプレーする中で言葉の壁に直面した。しかし、プレーに集中し試合で力を証明したことで、存在感を印象づけた

選手たちにとって、そしてスポーツに取り組むすべての人にとって、スポーツは互いを理解し、つながるための「言語」となる。まもなく始まるオリンピックを前に、選手たちがスポーツを通じて得た体験を紹介しよう。

コナー・オレアリー、五十嵐カノア/タヒチ島チョープー

写真: GETTY IMAGES 2023

五十嵐カノア、コナー・オレアリーが乗り越えた文化の壁

パリ2024サーフィン競技の日本代表に内定しているオーストラリア生まれのコナー・オレアリーと、アメリカ合衆国生まれの五十嵐カノアは、幼少の頃に「文化の壁」に直面した。

「(子どもの頃)母が日本人であることを隠そうとしていました。周りと違うことが目立たないように」と、オレアリーは以前、Olympics.comに打ち明けた。五十嵐も、「日本人として生まれ育ったカリフォルニアで、僕はいつも何か異なるひとりでした。僕は他のみんなと同じように見欲しかったんです」と胸の内を語っている

「子どもの頃、アジア人として見かけが違うからと言って非難されたくない時に向かった場所がサーフィンでした」と五十嵐。海の中では、サーファーの誰もが五十嵐を仲間として迎えた。

「時間が経つにつれて、僕は自分自身が好きだということに気づきました。人とは異なる自分を認めようとしました」と五十嵐は振り返る。

オレアリーも、母親から譲り受けた情熱と気力でサーフィンに打ち込み、やがて自信をもてるようになると、母親の母国を代表するという夢を描くとともに自らのルーツを受け入れた。

2人のサーファーに共通する点は、自らの意志で文化の壁を乗り越え、そのきっかけがサーフィンというスポーツだったことだ。

「オリンピックには多くの国が集まり、共通する言語はスポーツです。オリンピックは本当に多くのことを僕に気づかせてくれました。国や文化、スポーツにかかわらず全て人間としてそこにいるのです」(五十嵐カノアのインタビューより)

オレアリーも五十嵐も、文化の壁という大波を乗り越え、スポーツで日本とそして世界とつながる。

陸上やり投げ 北口榛花、トライアスロン 高橋侑子

写真: Getty Images / Triathlon Japan Media

北口榛花、高橋侑子、スポーツが切り拓いた海外での成長の舞台

高校時代からやり投げの強豪国チェコでの留学に関心を抱いていた北口榛花と、トライアスロンのトップランカーが集う多国籍チームへの加入に興味のあった高橋侑子は、「今しかない!」とアクションを起こした。

これ以上の成長を望むには海外に行かなければならないと決断した2人は、それぞれ講習会会場と試合会場でコーチに直接声をかけて自身の想いを伝え、コーチング依頼をメールで交渉し、海外武者修行のチャンスを自らの手で掴み取った。「あの時(行動)してなかったら、今どうなっているのかっていうのは、ちょっと想像がつかないですね」と、高橋は自身の行動力が現在の位置で戦えている理由だと語る。

2人とも当初指導を仰ごうとしいたコーチが率いるチームには所属できなかったものの、紹介という形でそれぞれのスポーツが縁をつなぎ、北口はチェコ語を、高橋はポルトガル語を母国語とするコーチの指揮するチームに単身で乗り込んだことで、言語の壁、文化の壁を乗り越えて、様々な局面で驚くべき成長を遂げた。

北口は2022年の世界選手権で陸上女子フィールド種目で日本史上初のメダルを獲得した後、「自分がこうやって日本人初のメダルを取ることができたのは、そうやって違うことも臆することなくチャレンジできてやってこれたからだと思う」とOlympics.comのインタビューで振り返り、未来を切り開いた原動力は、スポーツが強くなりたいという一心が生み出した自然な導きだったと語った。

スポーツが繋いだ海外での成長の舞台。2度目のオリンピックとなるパリで、ふたりはその経験と練習の成果を存分に発揮する。

「WSTストリート・ローザンヌ」の決勝後、ナイジャ・ヒューストンの勝利を祝う堀米雄斗=2023年9月16日、スイス・ローザンヌ

写真: World Skate / Jake Darwen

堀米雄斗はスケートボードで、Hiro10はダンスで会話する

「スケートボードで会話できたような気がした」

そう語るのは、東京2020オリンピック金メダリストの堀米雄斗だ。高校卒業後にアメリカ合衆国にわたった当初、異国の地で孤独を感じたことを自身の著書でつづっている。スケートパークで話しかけられても英語が話せず、人見知りという性格も手伝って、孤独な時間が多かったという堀米だが、スケートを通じて知り合ったスケーターやフィルマー(スケートボードの映像を撮影するスケーター)と生活を共にしパークへと出かけるうちに関係性は大きく変わっていった。

「あの頃は英語がまったく喋れなくて、どう話したらいいかもわからなかったんですけど、スケートで会話できたような気がして。今でも思い出に残っています」(Olympics.comのインタビューにて)

以来、現地で基盤を築き、堀米が世界のトップで活躍するスケーターへと成長したのは皆の知るところだ。同じ感覚を抱いているスケーターは少なくない。誰かが難しい技にチャレンジすれば、それが勝負の場であっても挑戦を称え、失敗も成功も分かち合う。言葉はなくとも技を出し合い、グータッチやハグ、笑顔でつながる。それが彼らの世界だ。

パリ2024オリンピックで新たに採用されるブレイキンのHiro10こと大能寛飛(おおの・ひろと)も他国の人との繋がりを実感しているアスリートのひとりだ。ブレイクダンスの名で知られるブレイキンは、オリンピックでは1対1のダンスバトル形式で競技が行われる。「バトル」と呼ばれるが、観戦しているとそれはまるで「対話」ように感じられる。

「ブレイキンをやることによって、人と沢山繋がれるんですよ。ブレイキンがひとつの言語というか。日本の人だけじゃなくて、海外の人ともめちゃくちゃ繋がれるんです。自分の人間力も上がったと思っていて。成長したなって。これからもどんどんそういうことが起きていくんだろうなって思います」(Olympics.comのインタビューにて

まもなく始まるパリ2024オリンピックでは、世界各地から選手たちが集い、自らの競技で100%の力でぶつかり合う。そこでは言葉や出身地、育った環境などは関係ない。スポーツを通じて自分を表現し、互いと高め合い、ひとつにつながるのだ。