シファン・ハッサンの世界を驚かせる「クレイジー」な挑戦/パリ2024オリンピック陸上競技

執筆者 Evelyn Watta
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Women's Marathon gold medallist Sifan Hassan of Netherlands celebrates on the podium at Paris 2024 Olympics.
写真: Reuters

「えっいったい何が起こったの!?」と、多くのファンが驚くほど、パリ2024オリンピック最終日の8月11日、シファン・ハッサン(オランダ)が女子マラソンで金メダルに輝いたことは、その日を象徴する最大の関心事となった。

10日間で4レースに出場。ハッサンは、女子5000m予選(8月2日)、5000m決勝(同5日)、10000m決勝(同9日)、そしてマラソン(同11日)に出場した。62kmを全速力で走破するチャレンジの旅だった。多くの人が不可能だと言い、走ってもメダルなんか獲れやしないと思ったはずが、なんと当の彼女自身も「クレイジー」と思っていたというから驚きだ。

「まだ夢のようです」と、ハッサンは2時間22分55秒というオリンピック新記録を打ち立てた直後に言った。

「私はマラソンでオリンピックチャンピオンになりました。大好きな3つの種目で2つの銅メダルと1つの金メダルを獲得し、私のミッションを完了しました。もう言葉が出ません」

ハッサンは、長距離種目で三つのメダルを獲得した初の女子選手となり、オリンピックの歴史に名を刻んだ。奇跡のレジェンドランナーの誕生だ。男子では、ヘルシンキ1952の男子5000m、10000m、マラソンの3種目で金メダルを獲得し、「人間機関車」と呼ばれたエミール・ザトペック(チェコ共和国)がいる。

「いいえ私はレジェンドなどではありせん」とハッサンは主張した。

「私はただのクレイジーで好奇心が旺盛なだけです。何でもやりたいだけなんです」

シファン・ハッサンはどのようにして難コースを克服したか

8月11日午前8時前、ネオルネッサンス建築物であるパリ市庁舎の前から女子マラソンがスタートした時、ファンや記者たちはハッサンがスタートラインに並んでいるのを見てほとんど信じられない思いだった。彼女は2日前に10000m決勝を走ったばかりだ。さらにその3日前には、5000m決勝でケニアの世界記録保持者、チェベト・ベアトリスと同国のフェイス・キピエゴンと1秒差を巡るメダル争いを繰り広げた後だった。

彼女がこの過酷なコースを無事に完走することはないだろうと誰もが思った。前日には、史上最高のマラソンランナーのひとりであるケニアのレジェンド、エリウド・キプチョゲをも打ち砕いた最難関コースだ。

しかし、ハッサンには覚悟と決意があった。

彼女は、何があっても、エチオピアからの難民として10代から住むオランダに勝者として帰りたかった。そして彼女は見事にそれを成し遂げた。

ハッサンにとって、その難コースを走ることでいったい体に何が起こるのかあらかじめ体験しておいたことが役立った。「大腿四頭筋の感覚がよかったに違いない」と、彼女のコーチであるティム・ロウベリー氏は説明した。

「彼女はある時期にコースを走り、最後の急坂を越えた後、脚の筋肉がどのような反応を示すか確認しました」とロウベリー氏は記者に話した。ハッサンは、米国ユタ州でパリのコースをシミュレーションしたトレーニングを重ねてきた。

「彼女がトレーニングをしたユタ州は非常に坂が多い土地です。だから、今回、彼女は何をしなければならないかをよくわかっていたのです」

ハッサンは2年前にパリではマラソンにも出場すると決めたばかりだった。それからこの驚くべきミッション達成のための過酷なトレーニングが始まった。

「私たちは常にトレーニングに関していつも意見が一致するわけではありませんが、最終的にはいつも妥協点を見つけながら取り組んでいました」とコーチは話した。

「彼女はマラソンの距離をとても不安がっていました。だから彼女は持久力を高めることを中心に進めていました。しかし、時には持久系のトレーニングを後にして、トラックでのスピードトレーニングを優先させていました。トラックでのトレーニングを先に行い、マラソンに必要な持久系のトレーニングを後に行うことで、実際のオリンピックがそうであったように実戦に役立ちました」

シファン・ハッサンとレース後、写真に納まる6位入賞の鈴木優花/パリ2024オリンピック

写真: 2024 Getty Images

「世界中がクレイジーと思っても、ただやるだけ!」

レース当日、序盤スローペースで始まった女子マラソンは、疲れたハッサンの脚にはちょうどよく、31歳の彼女にとって、4選手がメダル争いを繰り広げたラスト2kmのスプリントフィニッシュに備えるには好都合だった。

興味深いことは、彼女はコース中盤のアップダウン地帯に入るまで、いっさい先頭集団には加わらず、斜めやや後方に位置して集団の動向を観察しながら走った。アップダウンで脱落する選手が増え、先頭集団の人数が絞られてきた後も後方に位置し、勝機をうかがっているかのようだった。

急坂でどの選手も前傾になってもがき進む中、脚の影響が心配されたが、ハッサンの表情は変わらず、ダメージがあるのかないのか、脚が残っているのか一杯一杯なのか、周りの選手からするとそれが読み取れず、不気味な存在だったことだろう。

ハッサンは、10年以上にわたりトラックで磨き上げた自分自身の強力な脚力を信じており、それによって、昨年は4月のロンドンでマラソンデビューと初勝利を飾り、10月のシカゴマラソンでは、女子マラソン世界歴代2位のタイム(2時間13分44秒)を叩き出した。彼女は、シカゴマラソンの数週間前に世界陸上競技選手権(ブダペスト)のトラック種目で3つの距離(1500m、5000m、10000m)を走り、それぞれ3位、2位、11位の成績を記録していた。

つまり、これまでに何度も、人々が不可能と思うことを成し遂げてきたハッサンにとって、パリでのマラソン金メダル獲得は周りが思うほど難しいことではなかったのかもしれない。

「まだ緊張しています。ほんとうに怖かったです」と、アンヴァリッドのフィニッシュエリアの青いカーペットの上でハッサンは話した。

「フィニッシュラインが近づいて、後続の選手が私のすぐ後ろから追いかけて来ているように感じました。『もし追いつかれたらどうしよう?』と思いました。フィニッシュするまで本当に怖かったです」

とはいうものの、この「クレイジー」で畏敬の念さえも抱かせるハッサンのパフォーマンスは、彼女の仲間やコーチらから多くの賞賛を受けた。

「ここに来て、彼女が私を見た時、私はただ感情的になりました。なぜなら、本当に厳しいレースだったからです」と、2018年頃からハッサンをコーチしているアメリカ人のロウベリー氏は言った。

「コーチとして、何度もこの仕事を辞めようと思いましたが、今日は報われました!」

「彼女は本当に素晴らしい。私も幸せです」

「10日間で3つのメダルを獲得した彼女は、私たちに希望を与えてくれます。私たちにもそれができると信じさせてくれます」と、4位に入ったケニアのシャロン・ロケディは話した。

「正直なところ、トラック種目の後で彼女があんな風に走るとは思ってもいませんでした」と、銅メダルを獲得したヘレン・オビリ(ケニア)は驚きを隠せない。

「彼女は本当に努力しており、私たちに彼女のようなアスリートになりたいという刺激を与えてくれました」と、ハッサンのチームメイトであるアン・ルイテンは語った。「たとえ世界の誰もがクレイジーだと思っても、自分がやりたいこと、自分の心が決めたことならやるべきだと彼女は教えてくれました」

ハッサンは、4度目のマラソンでこの快挙を成し遂げたが、彼女と35km地点まで肩を並べて走り、6位に入賞した日本の鈴木優花(ゆうか)にとっても4度目のマラソンだった。2人はレース後、楽しそうに写真に納まっていた。ハッサンを尊敬の目で見つめる鈴木の表情が印象的だった。

さて、ハッサンの次のチャレンジは何だろうか?

「1500mで速いタイムを出したいです。まずは自己ベストを出したいですね。ただ全力でやるだけです。快適ゾーンを抜け出して挑戦したいと思います」

「金メダルを獲得したいこともありますが、自分に挑戦し、そして楽しみたいと思います」と、いつもの「ハッサン・スタイル」をあからさまにして答えた。

ロサンゼルス2028に向けては、現時点では「トレーニングプログラムが許せば」と言うが、マラソンの代わりに再びトラック種目三冠を追いかける夢を見ることになるかもしれない。

「私はどこにでも行き、何にでも挑戦したいのです」