冬季オリンピックを振り返る:オリンピックチャンピオンを輩出した最小国

リヒテンシュタインは、オリンピックに出場したすべての国の中で、オリンピックチャンピオンを輩出した最も人口の少ない国だ。1980年のレイクプラシッド大会でアルペンスキーの金メダルを獲得したハンニ・ヴェンツェルは、この日のヒーローだった。今回のOlympics.comでは、ヨーロッパの中心に位置するこの小さな公国の輝かしい瞬間のエピソードを紹介する。

文: Virgílio Franceschi Neto

200以上の国の選手が参加している、オリンピック。その中には、人口が多い国や、広大な面積を持つ国もあれば、皆さんが住んでいる町や市よりも小さな国もある。このようなきわめて小さな土地面積や人口を持つ独立した国は、ミニ国家(マイクロステート)と呼ばれている。

今年の東京オリンピックでは、これらのミニ国家のうち、2つの国、バミューダ諸島とサンマリノ共和国が注目を集めた。

バミューダの大きさは約53kmで、人口は6万5千人ほどだ。東京2020のトライアスロン女子競技でフローラ・ダフィーが初優勝を果たし、同国出身アスリートとして史上初の金メダルを獲得した。モントリオール1976で、同胞のクラレンス・ヒルボクシングのヘビー級で銅メダルを獲得して以来のオリンピックメダルとなった。

イタリアに囲まれた人口3万5千人弱のサンマリノからも、東京2020で史上初めてとなる夏季オリンピックメダリストを輩出した。アレッサンドラ・ペリッリが、クレー射撃混合トラップで銀メダル、クレー射撃女子トラップで銅メダルを獲得し、ミレス ・ナゼム・アミネレスリング男子で銅メダルを獲得し、歴史的快挙を成し遂げた。

しかし、これらのミニ国家の中で、オリンピックチャンピオンを輩出した史上最も人口の少ない国は、リヒテンシュタインだ。

今回は、レークプラシッド1980ハンニ・ヴェンツェルアルペンスキーで金メダルを獲得した、冬季オリンピックにおけるリヒテンシュタインの栄光の瞬間を紹介する。

アルペンスキーヤー:ハンニ・ヴェンツェル(左)アンドレアス・ヴェンツェル(中央)ペトラ・ヴェンツェル(右)=1979年リヒテンシュタイン

経歴

ドイツで生まれたヴェンツェルは、1歳のときに家族とともに人口4万人に満たない、車で30分以内に移動できるほどの小国、リヒテンシュタインに移住した。そして、幼い頃から弟のアンドレアスペトラと一緒にアルペンスキーに熱中した。

1974年にサンモリッツで開催された世界選手権で、スラローム(回転)で金メダル(当時の最年少優勝)、コンバインド(複合)で銀メダルを獲得し、ヴェンツェルはリヒテンシュタインの市民権を取得。インスブルック1976にリヒテンシュタイン代表として出場し、スラロームで銅メダルを獲得した。そして2年後の1978年には、ワールドカップの総合優勝を果たした。

ベストシーズン

それまでのシーズンで好成績を収めていたヴェンツェルは、レークプラシッド1980のアルペンスキー競技で、優勝候補の筆頭に挙げられていた。最初の種目であったダウンヒル(滑降)で、銀メダルを獲得すると、その4日後に行われたスーパーG(大回転)で金メダルを獲得し、オリンピックチャンピオンを輩出した史上最も小さな国として、リヒテンシュタインの歴史を作った。

「私のキャリアの中で、最大の成功でした」とヴェンツェルはOlympics.comに語っている。

この偉業は、48時間後大会最後のアルペンスキー種目であるスラロームでも達成される。ヴェンツェルはふたつ目の金メダルを獲得し、国のメダル数を倍増させた。リヒテンシュタインの国歌は、イギリスの国歌として世界的に知られている「神よ女王陛下を守り給え(God Save the Queen)」と同じであるため、彼女の活躍により、多くの人が地図上でこの小さな国を探すようになっただけでなく、大会会場の観客の間で混乱をまねいた。

「アメリカで開催されたオリンピックで多くのメダルを獲得したことは、リヒテンシュタインにとって非常に意義のある経験となりました」と、ヴェンツェルは2009年のフェアプレーアワードでコメントしている。

ヴェンツェルファミリー

リヒテンシュタインが獲得した10個のオリンピックメダル(国民3,800人にほぼ1個の割合)は、すべて冬季オリンピックで獲得したものだ。そのうち7つはヴェンツェル家一家が獲得している。ハンニのほか、アンドレアスはレークプラシッド1980に出場しスラロームで銀メダル、サラエボ1984で銅メダルを獲得している。

ハンニは、1981年にダウンヒルのワールドカップ総合優勝を果たしたオーストリア人スキーヤーのハルティ・バイラテルと結婚し、娘のティナ・バイラテルをもうける。ティナは、平昌2018のアルペンスキー・スーパーGで銅メダルを獲得し、国民にとって10個目のオリンピックメダル、家族にとって7個目のメダルを獲得した。

ヴェンツェルファミリー以外でリヒテンシュタイン出身の選手が獲得したメダルは、ウィリーポール・フロムベルト兄弟(インスブルック1976、カルガリー1988銅メダル)と、ウルスラ・コンツェット(サラエボ1984銅メダル)の3人がスラロームで獲得したものだ。

アルペンスキースーパーG女子銅メダリスト:ティナ・バイラテル(リヒテンシュタイン)=2018年2月17日平昌
写真: 2018 Getty Images

ハンニ・ヴェンツェルの快挙

レークプラシッド1980の後、ハンニはさらに4年間のアスリートキャリアを継続し、オリンピックで4つのメダル(うち金メダル2つ)、世界選手権で4つのタイトル、ワールドカップで33回の優勝を果たし、1984年に引退した。

彼女は間違いなく、この小さな国で生まれた歴史に名を残す偉大なスポーツ選手のひとりであり、彼女が残した功績は、アルペンスキー史上最も偉大なアスリートのひとりであることに疑いの余地はない。

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