レツィレ・テボゴ、アフリカからスプリント革命を巻き起こす

執筆者 Ockert de Villiers
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Letsile Tebogo
写真: 2024 Getty Images

ボツワナのレツィレ・テボゴは、パリ2024オリンピック陸上競技男子200mでアフリカ大陸初の金メダルを獲得し、アフリカから世界に向けて新たにスプリント革命を巻き起こした。

テボゴがパリで成功を収める30年も前に、アフリカのスプリントの父とされるナミビアのフランキー・フレデリクスがその基盤を築いていた。フレデリクスは、バルセロナ1992アトランタ1996で2大会連続して100mと200mの2種目で銀メダルを獲得するなど圧倒的な力を持っていた。

フレデリクス以降、アフリカ出身のスプリンターがそのレベルに達したことはしばらく見られなかった。

新たな潮目となったのは、南アフリカのウェイド・バンニーキルクが登場し、2015年と2017年の世界陸上選手権男子400mで連覇を果たし、2017年には200mでも銀メダルを獲得した時だ。バンニーキルクは、リオ2016の400mで43秒03の世界記録を樹立し、アフリカ勢として2人目となる同種目でのオリンピックメダルを獲得した。これは、アフリカのスプリント界に大きな衝撃を与えた。1人目は、約100年前、アントワープ1920オリンピックで同種目の金メダルを獲得したベビル・ラッドだった。

そして、今回、テボゴのパリ2024での躍進により、アフリカ大陸がこれまでアメリカ合衆国やジャマイカの選手が圧倒してきたスプリントの世界についに仲間入りを果たすこととなった。

静かなアフリカ・スプリント界の革命

陸上競技の花形種目である100mスプリント種目で、アフリカ出身の選手がオリンピックタイトルを獲得したことを確認するには、100年以上歴史をさかのぼる必要がある。アフリカ勢で唯一、オリンピック100mで金メダルの栄誉に輝いた選手は、南アフリカのレジー・ウォーカー。これはロンドン1908のことだった。

近年、アフリカのスプリント界では静かな革命が進んでおり、南アフリカやボツワナのなどの国々が、バンニーキルクやアイザック・マクワラ(ボツワナ)のような世界レベルの400m選手を生み出している。バンニーキルクは短距離でもアフリカをけん引しており、2017年世界陸上200mでの銀メダル獲得をはじめ、100m、200m、300m、400mのそれぞれで9秒台、19秒台、30秒台、43秒台のタイムを全て記録した史上唯一のマルチスプリンターとして知られる。

100mスプリントでは、南アフリカのアカニ・シンビネが挑戦を続けており、リオ2016、東京2020、パリ2024の3大会連続で決勝への進出を果たした。シンビネは、いずれの大会も僅差でメダルを逃している。また、2017年、2019年、2022年の世界陸上の100m決勝でも同様の結果となり、メダル獲得まであともう少しのところで奮闘している。

最近まで、アフリカのスプリンターたちは100m、200m、400mのどの種目でも活躍を見せており、バンニーキルクの400mの世界記録が中でも際立っていたと言えるだろう。また、ケニアのスプリンター、ファーディナンド・オムルワが2021年に記録した9秒77の大陸記録は、世界歴代9位としてランクされる。

そして今、パリ2024で登場した新鋭スプリンター、レツィレ・テボゴが脚光を浴びている。

ボツワナ出身のこの21歳のセンセーションは、2023年世界陸上ブダペスト大会の100mと200mメートルの両方でメダルを獲得して以来、世界を驚かせ続けている。テボゴはまず100mで銀メダルを獲得し、世界陸上の同種目で表彰台に立った初のアフリカ出身スプリンターとなり、続く200mでは銅メダルを獲得し、トップスプリンターとしての自身の存在を世界に強く印象づけた。

テボゴは世界陸上ブダペスト大会での活躍以前にも、18歳の時にボツワナの首都ハボローネで9秒96のU20世界記録を樹立し、世界の陸上競技界にその名が知られるようになった。また、その後、コロンビアのサンティアゴ・デ・カリで開催された2022年世界U20陸上選手権では、自身の記録を更新する9秒91を出して金メダルを獲得するほど成長著しい存在だった。

新しいスプリント界の拠点、アフリカ大陸

テボゴは、パリ2024男子200mで金メダルに輝き、同種目の3度の世界チャンピオンであるノア・ライルズ(アメリカ合衆国)を含む強豪選手たちを圧倒した。勝利を確信した最後の数メートルで胸を叩いて祝うテボゴの姿は、まるでウサイン・ボルト(ジャマイカ)を思い出させるものだった。

テボゴは、19秒46という驚異的なアフリカ新記録でフィニッシュし、ボルトや米国のマイケル・ジョンソンに次ぐ歴代5位にランクインした。

「今回の結果は、アフリカ大陸にとって大きな意味があります。近年、アフリカはスプリント界の拠点として見られてきました」とテボゴはレース後に語った。

「ですから、パリでそれを明確に示す必要があったのです。それほど時間はかかりませんでした。ただ私がステップアップするだけでしたから」

テボゴはまた、大接戦となった100m決勝にも出場し、自己ベストであり国内記録でもある9秒86で6位入賞を果たし、今後の進歩が大きく期待される結果を残した。

アフリカ勢はロンドン1908以来、ウォーカー、ラッド、バンニーキルク、そして今回のテボゴによって、スプリント種目で4人のオリンピック王者を生み出したことになる。このアフリカ勢の躍進によって、これからの数年間は世界のスプリント界が非常に興味深いものになるのは間違いないだろう。