**葛西紀明**が、"レジェンド" という名声をほしいままにしているのは、生まれながらの命運なのかもしれない。
なぜなら、葛西はスキージャンプが盛んな北海道・下川町の出身。さらに、生まれ年は、1972年。そう、日本初・アジア初の冬季オリンピックとなった札幌1972大会のオリンピックイヤーに生まれたのだ。そして、その札幌1972では、3名の日本人スキージャンパーが、それぞれ金・銀・銅のメダルを首にかけて表彰台を独占し、"日の丸飛行隊" という愛称が生まれ、日本のスキージャンプ人気の礎を築いたのだ。
スキージャンプに巡り合うことが必然のような機宜と環境のなか、9歳からスキー板を履いてジャンプ台から飛び出していた葛西は、今年でキャリア40年を数える。
そして、50歳の節目を迎える2022年、葛西は開幕迫る**北京2022大会**に向けて、日々のトレーニングに余念がない。
「モチベーションは、たくさんあります」
レジェンドと尊敬される所以、オリンピックにおける記録的な功績、そして五十路あるいは還暦になっても燃え尽きることのないスキージャンプへの情熱など、彼だけにしか歩むことのできない伝説的冒険路を追いかけた。
伝説のはじまり
葛西のオリンピック物語のはじまりは、弱冠19歳の時。大会初出場を果たした、アルベールビル1992だ。
その2年後、2度目の出場となったリレハンメル1994において、団体ラージヒルで銀メダルを獲得し、個人ノーマルヒルでも5位入賞を達成する。葛西がまだ21歳の時のことだった。
しかし、その4年後、母国開催の長野1998では、大会1ヶ月前に左足首を負傷してしまい、個人戦には出場できたものの、団体戦メンバーには選出されなかった。日本チームに選ばれた仲間たちが、悲願となる金メダルを獲得して喜ぶ姿を素直に祝福できず、複雑な思いを胸に横目で見ていた。
その悔しさを原動力に、その後も葛西はオリンピック連続出場(ソルトレークシティ2002、トリノ2006、バンクーバー2010)を果たすものの、表彰台からは遠のいていた。しかし当時、6大会連続の冬季オリンピック出場は、日本人選手としては初、世界でも最多タイの記録を打ち立てていた。それだけでなく、毎シーズン、コンスタントにワールドカップへ出場し、不撓不屈の精神でチャレンジを続ける日本人スキージャンパーの姿を評して、世界のアスリートやメディアから、葛西は次第に "レジェンド" と呼ばれるようになっていく。
涙の第7章
7度目の連続出場を飾ったソチ2014で、葛西は日本代表選手団の主将を務める。
「すごく調子もいいので、金メダルを狙っていきたいと思います。そして主将として、ほかの選手みんなに勢いがつくように、たくさんメダルが取れるように、後押ししていきたいと思っています」
大会前に寄せた宣言の通り、葛西は主将としての責務を全うする。
スキージャンプで最初の実施種目となった個人ノーマルヒルで、葛西は8位入賞を果たす。この成績は、日本勢の中でも最高位の成績だった。
この勢いと、メダルに届かなかった反省を携えながら、次の種目、個人ラージヒルで、レジェンドは歴史を動かす。
決勝ラウンド1回目でポイント140.6を獲得し、暫定2位につけると、つづく2回目の最終ジャンプでは136.8をマークして、合計277.4となり、そのまま2位をキープして、銀メダルを獲得したのだ。この時、金メダルのポイントとの差は、僅か1.3だった。
「金メダルを取って、本当にレジェンドと呼ばれたいなと思ってたんですけど、まだまだ、目標ができたので。その金メダルという目標に向かってまた頑張りたいと思います」
- 葛西紀明
この種目で、葛西は自身初となる個人種目でのオリンピックメダルを獲得し、かつ41歳という年齢でメダリストに輝くのは、冬季オリンピックの日本代表のみならず、スキージャンプの歴史においても最年長の記録となった。
これだけでは、終わらない。
個人戦から1日あけて実施された最終種目の団体ラージヒルで、清水礼留飛、竹内択、伊東大貴の、当時20代だった若手3名と共にチームを組んだ葛西は、またしても歴史を創る。
スキージャンプ強豪のヨーロッパ諸国が名を連ねる合計12チームが参加したこの団体戦で、日本は予選ラウンドを3位で通過する。葛西は経験豊富な先輩アスリートとして、チーム内ベストポイント(131.5)をマークする。そして、上位8チームだけが進出できる決勝ラウンドで、最終ジャンパーを担っていた葛西は、疲れた様子など一切見せずに、美しいポスチャーで宙を飛び、予選の記録を上回る137.3というポイントを獲得して、表彰台を確定させた。そして、チームメイトと共に喜びを爆発させて、メダルセレモニーでは銅メダルをその首にかけた。スキージャンプ日本勢のメダル獲得は、葛西自身が悔しい思いをした長野1998以来の快挙となった。
試合終了の直後、葛西の目には、涙が溢れていた。
「メダルの色は関係なく、後輩たちに(メダルを)取らせてあげたいという気持ちでしたので、今日はもう嬉しいです」
喜びも束の間、試合を終えたばかりだというのに、レジェンドは貪欲だった。
「まだゴールドメダルを取っていないので、ゴールドメダルを目指して、また頑張ります」
葛西、41歳の歴史的快挙と、新たな決意だった。
悔し涙の第8章
葛西は、連続8回目のオリンピックとなる平昌2018に出場し、開会式では日本選手団の旗手を務めた。
「目標は同じです。金メダルをとりたいという気持ちです」
この8大会連続冬季大会出場という数字は、オリンピック史上最多記録を更新し、かつギネス世界記録にも認定されている。
葛西は、3種目すべてに出場するも、団体ラージヒル6位入賞が最高位で、表彰台に上ることは叶わなかった。また、同じ所属チームで共にトレーニングをしている女子ジャンパーの伊藤有希も9位に終わり、ソチ2014に続く連続入賞が果たせず、葛西の前で大粒の涙を零していた。そんな伊藤を励ましながら、葛西はもらい泣きしそうになるのをグッと堪えていた。
この悔しい気持ちを「勉強」と捉え、葛西は、もう次の4年を見つめていた。
「もっともっと進化して、練習して、4年後の北京オリンピックで絶対メダルを取りたいという気持ちになりました」
- 葛西紀明
レジェンドの辞書に、「衰え」という言葉はない。
まだまだ先の最終章
2020年5月、葛西は自身がもっていたスキージャンプ・ワールドカップ最多出場数の記録を、569回へ自らで更新し、新たなギネス記録の認定を受けていた。
そして、オリンピックシーズンを迎えた2021年10月。葛西は、北京2022日本代表候補のロングリストから外れてしまう。
しかし、レジェンドは諦めない。
「やめる気は毛頭ない。諦めず狙っていきたい」
翌11月、フィンランドでの3週間に及ぶチーム合宿を経て、帰国後すぐの12月中旬には、北海道で行なわれた国内大会に出場する。その競技後のインタビューで、葛西は現役続行を表明している。
「僕は多分あと10年くらい、還暦まではやると思うので、10年で波がもう一発来ればいいかなって気持ちでやっている。焦っている気持ちはない」
- 葛西紀明・日刊スポーツより
葛西のモチベーション、それはオリンピックの金メダル。
年齢なんか、関係ない。
まだ手にしていないものが在る限り、彼は今日も空を飛び、明日も明後日も、描いた夢を追いかける。
レジェンドの物語は、まだまだ続く。
北京2022冬季オリンピックは、2022年2月4日に開幕する。
また、北京2022スキージャンプ男子日本代表の最終選考競技会となるFISワールドカップ・フォーヒルズトーナメント(スキージャンプ週間)は、明日(12月29日)より、ドイツ・オーベルスドルフにて開幕する。