国際女性デー2022「信じれば、実現できる」
国際女性デーを記念して、Olympics.comでは、北京2022冬季オリンピックで力強い信念と信じる力で記念すべき偉業を成し遂げ、多くの女性たちに力を与えた女子選手たちを振り返る。
自分自身を、そしてお互いを信じることができれば、不可能を可能にできる。
**北京2022冬季オリンピック**で世界中から集まったアスリートたちは、信じる力を究極の瞬間に発揮することで何が実現できるかを、繰り返し証明してくれた。
世界が一体となって国際女性デーを祝う中、Olympics.comは、その才能、強さ、精神力で私たちを感動させ、信じることで何が達成できるかを思い起こさせてくれたオリンピック女子選手にスポットを当てた。
記録破りの偉業でスポーツ史にその名を刻んだ選手から、率直さと聡明さで世界中の若い女性や少女たちにインスピレーションを与えた選手まで、冬季種目の女性アスリートたちは、後世の記憶に残るような瞬間をみせてくれた。
1.エイリング(アイリーン)・グー:周囲からの期待をモチベーションに変える10代のヒストリーメイカー
**エイリング(アイリーン)・グー**のオリンピックデビューは、間違いなく最高のものとなった。
カリフォルニアと北京で生まれ育った18歳の**フリースタイルスキーヤー**は、ビッグエアとハーフパイプで金メダルを、スロープスタイルで銀メダルを獲得して、世界中のファンを魅了した。
3度の表彰台は、新たな記録の誕生を意味していた。彼女は現時点で、オリンピックの同一大会で3つのメダルを獲得した最初にして唯一のフリースキーヤーだ。
ただ、それは彼女にとって大切な歴史の一部ではあっても、原動力となっているわけではない。
女子ビッグエアでは、タイトルを獲得するためには最大限の力を尽くす必要があることを、彼女はわかっていた。
「滑りの質を上げて銀メダルを狙うか、それとも今までやったことのないトリックに挑戦して金メダルを狙うべきか?」最終滑走を前に、心の中には葛藤があったことを彼女は明かしている。
「私の頭の中には、自分自身や、自分がプライドを持っている競技スタイルを表現して、自分を、そしてこのスポーツを、極限までプッシュしたいという思いがありました」
「たとえ成功しなかったとしても、この挑戦は世界にメッセージを送り、より多くの女の子たちが自分の限界を超えることを後押しできるのではないかと思ったんです。それが最後の滑走に臨んだ瞬間の、私の最大の目標でした」
中華人民共和国のスター選手であるグーは、左ダブルコーク1620を成功させ、世界を圧倒した。そうして金メダルを手にしたと同時に、彼女は、正しい方向に少し自分を信頼できたとき、最も必要な瞬間に何ができるかを世界に示したのだった。
2. エレナ・マイヤーズ・テイラー:母であり、弁護士であり、冬季オリンピック史上最も栄光を手にした黒人アスリート
延慶国家スライディングセンターで行われた**ボブスレー女子2人乗りで銅メダルを獲得したとき、エレナ・マイヤーズ・テイラー**は歴史を塗り替えた。
その5日前に行われた、オリンピック初登場種目のモノボブでも銀メダルを獲得していた37歳の一児の母は、冬季オリンピック史上最も多くの栄光を手にした黒人アスリートとなったのだ。
「これは夢のまた夢のような話です」マイヤーズ・テイラーは、Olympics.comに北京2022での経験を振り返り語った。
「このようなことが実現するとは思ってもみませんでした。金メダルではありませんが、金メダルのような気分です。ゴールドではなくても、私の心の中では、それよりももっと輝いています」
オリンピックでのハッピーエンドを誇らしげに語った彼女だったが、その3週間前には大会に出場できるかどうかさえわからなかった。
北京に到着したときに新型コロナウィルスの陽性反応が出たために、彼女は隔離され、開会式で自国の旗手を務める機会も失った。
「とても辛い経験でした」 孤立状態にあったマイヤーズ・テイラーは、彼女への不動の信頼とともに寄り添った夫のニック・テイラーに寄りかかって泣いたという。
しかしオリンピックメダルを首にかけたとき、それらの経験はすべて、「価値のあるもの」となった。とりわけ女子モノボブで銀メダルを手にしたことには、特別な意味があった。
女子モノボブをオリンピックの実施種目に組み込むことは、マイヤーズ・テイラーとチームメイトの**ケイリー・ハンフリーズ**が長年願ってきたことだった。
「この種目が必要なのにはいくつかの理由があります」とアメリカ合衆国出身の彼女は言う。「まず、女子選手がメダルを獲得できる機会がふたつになること。男子と同じだけのチャンスを得ることができ、公平性に一歩近づくことができます」
「もうひとつは、モノボブの場合、すべてのソリが同じであるため、装備の優位性が限りなく制限されて、より多くの国の選手が参加できるようになることです」
3. リンゼイ・ジャコベリス:許すことと自分を愛することが導いた黄金のエンディング
トリノ2006の女子スノーボードクロスで、ゴール目前で金メダルを逃した**リンゼイ・ジャコベリス**は「本当ならこうなっていたのに」という思いにとらわれた。
「多くの反感を買いましたし、ヘイトメールももらいました。若いアスリートにとってそれらと向き合うことは大変なことでした」と彼女はOlympics.comに語った。
今ではスノーボードクロスで最も輝かしい成績を収めた選手となった彼女だが、その後の大会でも、トリノほど勝利に近づくことはできなかった。**バンクーバー2010ではコースアウトし、ソチ2014では転倒、そして平昌2018**ではメダル圏外に終わった。
そして、北京2022がやってきた。
36歳の彼女にとって5度目の挑戦だったが、年齢とともに知恵を蓄え、時間とともに自分を信じ、理解して成長してきた。そして、ジャコベリスは北京へ向けてこれまで以上に十分な準備ができていた。
「あれはひとつの出来事にすぎない。自分の価値を決めるわけではない」とジャコベリスは、イタリアでの悪夢をいかに乗り越えたのかについてそう話した。「そう信じ、受け入れて、実際に納得できるようになるまでには、しばらく時間がかかりました。でもそれが、自分を許し、学ぶということだったのです」
「この大会に臨むにあたって、私は今までとは違うアプローチの方法をとりました。メディアが望むような形ではなく、自分の経験として残したかったのです。私は自分自身を大切にすることだけを選びました。そして、それがうまくいきました」
彼女は、ついに待望の金メダルを手に入れた。そしてその数日後には、4歳年上のベテランスノーボーダー、ニック・バウムガートナーとともにふたつ目の金メダルを獲得した。
「僕たちは、"いぶし銀の金メダリスト"だ!」優勝を喜んだバウムガートナーは、アメリカ合衆国チームにメダルをもたらしたジャコベリスを、「リンジーのような選手が後ろに控えていると思うと、とんでもなくプレッシャーが軽くなる」と言って讃えた。
金メダルを手にした混合リレー決勝、最後のジャンプで、ジャコベリスはトリノでの体験を本当に乗り越えたというメッセージを伝えるかのように、グラブ(板を掴む空中技)を披露した。
それは最高にイカしたグラブだった。
4. ビクトリア・ライト:オリンピック金メダリストになった看護師
2020年3月、新型コロナウィルス感染症の大流行が世界を覆ったとき、イギリスのカーリング選手**ビクトリア・ライト**は、自分がやるべきことについて迷いはなかった。
イギリスの国民保健サービス(NHS)で看護師として働く28歳の彼女は、カナダのリンクを離れ、スコットランドにあるフォースバレー王立病院にフルタイムの看護師として復帰した。
病室はコロナ患者で埋まり、彼女はウイルスが猛威を振るう現場の最前線に立たされた。
オリンピックが近づくと、トレーニングの時間を確保すべくパートタイムに変更しながら、ライトは大会1カ月前の1月上旬まで勤務を続けた。
チーム・ミュアヘッドの一員として金メダルを獲得したライトは、英雄として2度めの帰国を果たした。1度目はパンデミックが発生して看護師として復帰したとき、そして、北京大会での英国のメダリストとしてだ。
バランスをとることは大きな挑戦だったが、そのことで自分が成長できたとライトは感じている。職業と競技のキャリアを両立させることについてライトは、Press Association に次のように語っている。
「私は、両方の世界でベストを尽くしていることを幸運だと感じています。リンクでうまくいかなかったときは、仕事場に行って、自分の人生は大丈夫なんだ、私より大変な思いをしている人はたくさんいるんだ、という視点を持つことができます」
「そして仕事で嫌なことがあったときは、カーリングに集中することができますし、やりがいを感じます」
「そうすることで自分はしっかり地に足をつけていることができる。そしてふたつを両立することができるのです」
5. ソフィア・ゴッジャ:負傷を乗り越え、オリンピック史上最大級のカムバックへ
北京2022の女子ダウンヒルで銀メダルを獲得したイタリアの**アルペンスキー選手、ソフィア・ゴッジャ**は、復活のために自分を信じぬく力のお手本のような姿を見せてくれた。それは29歳のディフェンディングチャンピオンである彼女が、恐ろしい転倒で左足を骨折し、膝の十字靭帯を負傷した、わずか23日後の出来事だった。
延慶国家アルペンスキーセンターのスタートゲートに立ったことだけでも、彼女はすでに予想を裏切っていた。
しかし彼女は、そこからさらにもう一歩先へと進んでみせた。
信じる力に突き動かされ、彼女は痛みに耐えながら、優勝したスイスの世界チャンピオン、**コリーヌ・スッター**から0.16秒差でゴールしてオリンピック銀メダルを手に入れた。
彼女自身が後で「人生最大の挑戦」と呼んだ試練を乗り越え、ゴールラインをクロスした瞬間、彼女は「Si(イエス)!」と叫んだ。
負傷してから数日は、歩くことはおろか、ベッドから起き上がることさえ困難だったのだ。
アルペンスキーの伝説的存在であり、メンターでもある**リンゼイ・ボン**は、彼女の表彰台を誇りに思って涙を流したが、ゴッジャにとってそれは、自分を信じることさえできれば、どんなことでも可能なんだということの証明だった。
自分が成し遂げたことに力をもらった彼女は、翌日にはさっそく次のミッションであるクリスタルグローブの獲得について話し始めた。
「すでにワールドカップに照準を定めています。ダウンヒルのグローブ獲得がかかっているので」ゴッジャはさらに続けた。「私はランキングでリードしているし、この目標を達成するためにすべてを捧げます」
6. エリン・ジャクソン:スピードスケート初のオリンピック王者となった黒人女性アスリート
ハリウッドの脚本家たちでさえ、**エリン・ジャクソン**に勝るオリンピックストーリーは考えつかないだろう。
アメリカ合衆国代表の29歳のジャクソンは、スピードスケート女子500mで金メダルを獲得し、黒人女性として初めてオリンピックのスピードスケート競技のタイトルを手に入れた。
「この気持ちをどう表現したらよいのかわかりません...」ジャクソンは、起こったばかりの出来事に言葉を失った。「このメダルにはとても大きな意味があります。この2年間は本当に大変でしたし、今年もタフな始まりでしたから」
世界ランキング1位の彼女が語った逆境のひとつは、全米予選会で起こった。
500mの代表選手を決めるレースで転倒した彼女は3位でフィニッシュし、上位2人が獲得できるオリンピック出場権を逃した。
しかしそこで、1位でゴールした同胞の**ブリタニー・ボウ**が、自分の出場権を放棄するという異例の行動をとった。オリンピックに3度出場している彼女は、すでに1000mと1500mで出場権を獲得していた。ジャクソンの能力を信じていたボウは、チームメイトがオリンピックに参加できるようにと、自分にとって正当だと思える行動をとったのだった。
ボウは Olympics.comの取材に対し、自分の出場権を放棄した理由について「ワールドカップの最初の4大会のパフォーマンスを見ても、彼女はそれに値すると思いました。なのでこれは彼女自身が掴み取ったものです」と語っている。
「これは個人競技で、私たちはそれぞれ自分ひとりで戦っています。でも今回のこの結果は、実際はひとりだけのものではないのだということを、明確に表していたと思います。自分のキャリアのこの時点で、他の誰かにそれを与える機会を得たことを、私はとてもうれしく感じています」
「エリンが北京に行けないなんてことになったらそれは罪です。それは私個人の問題以上のことです」
「チームUSAのため、そしてエリンのために」
しかし、ジャクソンにまつわる驚きのストーリーはそれだけではない。
このフロリダ出身の選手がアイススケートを始めたのは、わずか6年前のことだ。
それ以前はインラインスケートの選手だったが、ジャクソンの母親とスピードスケートのトップコーチであるレニー・ヒルデブランドとの偶然の出会いが、彼女に新たなキャリアへの道を拓いた。
そして今、彼女はオリンピックチャンピオンになった。
「もっと多くのマイノリティ、特にアメリカにいるマイノリティの人たちがウィンタースポーツに挑戦するきっかけとなれることを願っています」金メダルを手にしたあと、ジャクソンはそう語った。「私はいつも、良い手本になりたいと願っているんです」
7. ゾイ・サドウスキー=シノット:次世代を刺激するニュージーランドの輝けるパイオニア
自国初のオリンピック金メダル獲得というのが、大きな注目を集めることはまちがいない。
スノーボード界のスター、**ゾイ・サドウスキー=シノット**が、女子スロープスタイルの最終ランで金メダル獲得を決めたとき、ニュージーランドはまさにそれを体験した。
20歳の彼女は、ふたつのダブルコークを決めた後、さらに豪快な1080スピンを決め、アメリカ合衆国の**ジュリア・マリノ**を抑えてトップに躍り出た。
試合後彼女は、最後のジャンプの着氷に「すべてを賭けた」と語ったが、それはライバルたちをも認める偉業となった。
彼女が引き上げてくると、すぐにマリノと、最終的に銅メダリストとなった**テス・コーディ**が飛びついた。そして、この競技が持つ独自の文化である、"競技を楽しみ、仲間たちを称え合い、共に成長する" という意識を象徴するかのように、彼女の歴史的勝利を共に祝ったのだった。
サドウスキー=シノットはその後、ビッグエアでも銀メダルを獲得すると、女子スノーボード界の新たな顔としてその地位を確立したことを示した。
「自分の限界に挑戦して、それを楽しむことについて、多くの少女たちに刺激を与えることができたならうれしいです。自分ができることに、限界はないのですから」
8. アリアナ・フォンタナ:ショートトラック史でもっとも成功をおさめた「ブロンドの天使」
アリアナ・フォンタナは、北京で金メダル1個、銀メダル2個の合計3個のメダルを獲得した。これで獲得したメダルの総数は計11個となり、史上最高の**ショートトラック選手**としての地位を確固たるものにした。
彼女のメダル獲得数は、それぞれ8個ずつ獲得している**ビクトル・アンやアポロ・オーノ**ら、他の偉大な選手たちを凌駕している。
「結構すごいことですよね」北京でOlympics.comの取材に答えたフォンタナはそう口にした。
では、このような偉業を成し遂げたアスリートは、いったいどのようにモチベーションを維持し続けているのだろう?
イタリア人のフォンタナは、それが難しいことであることを認めつつも、それは他者に対しではなく、彼女自身の、内なるものだと話した。
「私にはモチベーションがあります。でも、それは挑戦するということです。ここ(北京)にいることは、自分自身に対する挑戦でした。たとえ自分自身への挑戦であっても、負けたくはありません。自分に勝つために、私はできる限りのことをします」
「だから、『トレーニングしたくない』『辞めたい』と思うことがあっても、『アリ、ダメよ、ベッドから起きて、トレーニングをしなさい 』と自分を奮い立たせるのです」
これだけのキャリアで築いてきたいま、若かった頃の自分を思い返してなんと言いたいですかと尋ねたところ、「きっと感心するわ」と答えた。
「小さい頃は、今日ここで、自分が11個もメダルを取っているだろうなんて思ってもみませんでした」
「もし、あの子が今の私を見ることができたなら...。私たちが成し遂げたことを誇りに思ってくれたらうれしいです」
9. ミアリシアナ・クレール:輝き続けるマダガスカルの先駆者
16歳で平昌2018に出場した**ミアリシアナ・クレール**は、アフリカ諸国から初めて冬季オリンピックに出場した女性スキーヤーとして、新たな歴史を刻んだ。
マダガスカル生まれの彼女は、フランス人夫婦の養子となって1歳でフランスに移り住むと、そこでアルペンスキーに出会った。
15歳ですでに競技者として頭角を表していた彼女は、生まれ故郷の人々にインスピレーションを与えるため、母国を代表して競技に参加することを決意した。
北京2022では40位以内に入ることが目標であると大会前にOlympics.comに語っていたクレール。ジャイアントスラロームで41位、スラロームで43位と目標にはわずかに届かなかったが、この大会で唯一のアフリカ代表女子選手である彼女は、自分の努力に満足している。
彼女は、2021年の大半を怪我で棒に振り、オリンピックの2ヶ月前に競技に復帰したばかりだった。
「私は誇りに思うべきなのだと思います。怪我から復帰したことを考えれば悪い順位ではありません。オリンピックに向けての十分なトレーニングやレースができませんでしたから」彼女は BBC Sport Africa にそう語った。
2度目のオリンピック出場を果たしたクレールはいま、次の大きな目標であるワールドカップの表彰台を目指している。
もしその夢が実現すれば、クレールはマダガスカル人として初の快挙を成し遂げることになる。
「多くのアフリカ人、そしてすべての黒人女性に勇気を与えたいのです」と彼女はBBCに語った。「自分の夢を追いかけてほしい。そして、スポーツや、何かをする機会があったら、それに挑戦し、楽しんでほしいです」
10. マリー=フィリップ・プーラン:先頭に立ってチームを引っ張るカナダの「キャプテン・クラッチ」
アイスホッケー界のアイコン、30歳のマリー=フィリップ・プーラン(カナダ)は、北京2022で「キャプテン・クラッチ」という愛称に違わぬ活躍を見せた。
オリンピック4大会連続で決勝に進出し、3度金メダルを手にしたプーランは、決勝戦で2得点を挙げ、積年のライバルであるアメリカ合衆国を3-2で破って4年前に逃したオリンピックタイトルを取り戻した。
「とにかく最高です」と試合の余韻に浸る彼女は、4個目の金メダルとともに、女子ホッケー界に明確な足跡を遺した。
チームの勝利以来、彼女への賞賛の声は止むことがない。そしてそのコメントのほとんどが、プーランがチームの先頭に立ち、他の選手たちに自分を信じるよう導く能力を評価したものだった。
チームメイトの**ブリアン・ジェナー**はOlympics.comにこう語っている。
「彼女が特別なのは、パックを操っているときだけでなく、それ以外の場面でもスーパースターで、私たちの偉大なリーダーであるということです。私たちは、彼女が連れて行ってくれるところなら、どこへでもついて行きます」
トロイ・ライアンヘッドコーチも、選手たちと異口同音にこの偉大なチームキャプテンを称える。「彼女は特別な選手です。声に出して言うタイプではありませんが、コーチとして学べることも多く、私はいつも彼女に注意を払うようにしています」
プーランが最近、男子チームであるECHLトロワ・リビエール・ライオンズからのオファーを断ったことも、チーム、そして女子ホッケー界への彼女の思いを象徴している。
プーランの代理人は、カナダチームのヒロインである彼女は、女子ホッケーの発展と女子リーグの創設に引き続き取り組みたいため、この機会を辞退したと話している。
プーランは、カナダの女子ホッケーリーグが崩壊した後、2019年のプロ女子ホッケー選手協会(PWHPA)の立ち上げに尽力。それ以来、そこでの試合に参加している。
その他の選手たち
北京2022で見られたスポーツの魔法のような瞬間は、上に挙げた10例にとどまらない。
**グロリヤ・コトニク**は、ワールドカップ137戦、世界選手権14戦、オリンピック3大会に出場した後、スノーボードパラレルスラロームでついに初の表彰台に立ち、決してあきらめないことの意味を、見る者に思い出させてくれた。
産休から復帰した彼女は、北京2022への出場権を得るために懸命に戦い、その努力は、銅メダルとして報われた。
また、**アシュリー・コールドウェルが、ライバルであるシュー・メンタオ**の女子エアリアル優勝を祝福した、スポーツマンシップの感動的な場面もオリンピック精神を象徴していた。
そして、女子ハーフパイプでスノーボーダーの**ケラルト・カステリェト**がメダルを獲得したとき、スペインはこの大会で唯一のメダルを手にするという、忘れることのできないオリンピックの瞬間を味わった。
アメリカ合衆国のクロエ・キムに次ぐ2位でゴールした32歳の彼女は、レース後興奮を抑えきれない様子で、「すべての感情が最後に爆発しました」と Olympics.comに語った。
「2本目のランは、違う足でスタートしてしまったけれど、緊張、プレッシャー、そしてこれがいかに重要か、といった思いをすべて解き放って、強さを出し切ることができました」
北京冬季オリンピックでは、女性の感動的な活躍は尽きなかった。才能、エネルギー、そして強い信念を持ち、連帯の力と、それがいかに内側から生まれるものかを私たちに教えてくれた、彼女たちひとりひとりに大きな拍手を贈りたい。