FIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ2022カタールに向けた日本代表メンバーが11月1日に発表された。
選出された日本代表の中にはオリンピックを経験し、飛躍を遂げてきた選手も少なくない。オリンピックにおけるサッカーは原則23歳以下の選手によって争われるため、新進気鋭の若手に大きなスポットライトが当たる大会でもある。
オリンピック経由ワールドカップ行き。それは日本サッカー界における“育成のゴール”の1つとなっている。Tokyo2020で日本代表の指揮を執ったのは、A代表と同じ森保一監督。Tokyo2020とカタールW杯をターゲットに、特にここ数年は一体となった強化を進められてきた。そしてその旗印に違わず、多くの選手が「東京経由カタール行き」を果たした。本稿ではそういった選手の中から、3人をピックアップして紹介していく。
久保建英
銅メダルを懸けた3位決定戦に敗れ、ピッチに泣き崩れた久保建英の姿を記憶している人は多いだろう。彼はそれだけの思いを持ってTokyo2020に挑んでいたのだ。
神奈川県川崎市出身の久保は若くしてスペインの強豪バルセロナに才能を見出され、育成組織に加入。クラブの問題により日本に帰国すると、FC東京U-18に所属していた16歳でJリーグデビューを果たした。順調にプロの世界でも出場機会を増やしていく中、18歳の誕生日を迎えてまもなくレアル・マドリードに完全移籍。再びスペインでのキャリアを歩み始めた。
レアル・マドリードの選手層は厚く、マジョルカやヘタフェ、ビジャレアルなどへのレンタル移籍を経験。今シーズンからはレアル・ソシエダに完全移籍すると、すぐさま主力の座をつかんだ。持ち前のテクニックに加えて守備面にも磨きがかかり、いまやチームに欠かせない選手となっている。
各年代の日本代表にも継続して選出され、飛び級で上の世代の代表に入ることもしばしば。18歳でA代表デビューも果たした。そんな久保は20歳でTokyo2020にも出場した。延期の影響で年齢制限も24歳以下に変更された大会ながら、久保の立ち位置は不動のエース。全6試合に出場し、3ゴール1アシストで攻撃面をリードした。これだけのパフォーマンスを見せながら、年齢だけを考えれば久保はパリ2024世代。末恐ろしさも感じさせる日本の至宝は、W杯でも輝きを見せてくれるはずだ。
三笘薫
若くしてプロの門を叩いた久保とは対照的に、大学を経由してプロの世界に入ったのが三笘薫だ。世代別代表から縁遠い存在であったことも、久保と異なる部分に挙げられる。
小学生から川崎フロンターレのアカデミーで育ったが、高校卒業後は筑波大学へ。天皇杯ではJクラブを相手に得点を決めるなど才能の片鱗を見せ、20歳になってようやくオリンピック世代の代表に呼ばれるようになった。しかし、確固たる存在ではなく、Jリーグでプレーする同年代の後塵を拝していた。
潮目が変わったのはプロ1年目の2020年。ルーキーながら13ゴール12アシストのパフォーマンスで川崎Fの優勝に大きく貢献した。評価を高めた三笘は先にプロ入りした同年代の選手を一気に飛び越し、翌年にはA代表入り。1年の延期も功を奏し、Tokyo2020代表にも選出された。本大会ではコンディションの問題もありわずかな出場に留まったが、3位決定戦では鋭いドリブルから得点を奪って実力を見せつけた。
その後はユニオン・サン・ジロワーズ(ベルギー)、ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC(イングランド)とステップアップを果たす傍ら、A代表でも重要な選手になっていく。W杯最終予選のオーストラリア戦では2ゴールを決めて、日本にW杯出場権をもたらした。今シーズンは世界最高峰のプレミアリーグでも躍動しており、W杯での活躍にも期待がかかる。
吉田麻也
オーバーエイジの主将として、Tokyo2020でチームを牽引したのが吉田麻也だ。オリンピックには北京2008で初出場。2大会連続で出場したロンドン2012では4位に入った。主将として全6試合に出場したロンドンでの活躍もあり、直後にはサウサンプトン(イングランド)への完全移籍を果たした。
2014年のW杯、2018年のW杯にも出場。大会後は長谷部誠からアームバンドも受け継いだ。そして2021年、自国開催のTokyo2020で3度目のオリンピックを迎えた。強いリーダーシップを持つ吉田は若い集団をまとめあげ、チームを3位決定戦まで押し上げる。しかし、ここまで安定していた守備をメキシコ代表に崩され、1-3で黒星。またしてもメダル獲得をあと一歩で逃した。
今シーズンはサンプドリア(イタリア)からシャルケ(ドイツ)に活躍の場を移した。34歳で迎える3度目のW杯。目標とするベスト8以上を達成するためには、酸いも甘いも経験してきた吉田の活躍が欠かせない。