フェイス・キピエゴン独占インタビュー「自分のため、次世代のために走る」/パリ2024オリンピック

執筆者 Evelyn Watta
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Faith Kipyegon exclusive on her winning mentality and seizing the moment at Paris 2024.
写真: Getty Images

彼女はそこに立っていた。世界ジュニアクロスカントリーのスタートラインで、他のランナーたちの中に紛れ、小柄な彼女はほとんど見えなかった。若くさわやかな顔立ちのフェイス・キピエゴンは、その旅の始まりに満足そうに裸足で立っていた。

16歳の頃のキピエゴンは、ランナーとして注目を集めた。ケニアのクロスカントリー大会で勝ち続け、経験豊富なジュニア選手たちを次から次へと打ち負かし、ケニアのクロスカントリー代表チームに入った。

「私が陸上競技を始めたのは、まるで魔法のようなものでした。小学校の時に始めたのですが、学校ではいつもトレーニングをしていたものです」とキピエゴンはOlympics.comに話した。

「私はサッカーや体操もしていましたが、学校の体育で1kmを走ることがありました。20mの差で勝つことができたのですが、この時私は、走ることでどこかよいところへ連れて行ってもらえるかもしれないと思いました」

彼女の予感は正しかった。その後、彼女は2010年の世界クロスカントリー選手権で4位に入り、トップ20の中では最年少だったことで世界に知られるようになった。しかし、キピエゴンの旅はまだ始まったばかりだった。

これまでの10年間で、彼女は女子中距離走で圧倒的な強さを見せし、世界選手権やオリンピックのタイトルを獲得するだけでなく、数々の世界記録を樹立した。

「私は何年も競技を続け、金メダルを獲得してきました」と彼女は続けた。

「私がベストを尽くし、努力を重ねて金メダルを獲得することで、若い女の子や女性たちを励まし意欲を高めたいと思っています」

30歳の彼女は、パリ2024で4大会連続のオリンピック出場を果たし、女子1500mで史上初の3連覇を達成した。

裸足のランナー、フェイス・キピエゴンが世界を魅了

世界が初めてこの小柄なランナー、キピエゴンを目にしたのは、2010年にポーランド北部の都市ブィドゴシュチュで開催された世界クロスカントリー選手権だった。

彼女はケニア西部のリフトバレー州にある村から学校まで走って通っていたため、凍えるような寒さの中でも裸足で走ることに慣れていた。この大会のU20の部で、彼女は同郷の3選手に次いで4位に入賞した。

そして翌年、依然裸足のままのキピエゴンは、スペインのプンタ・ウンブリアで開催された同大会のU20で初の世界タイトルを獲得したのだった。

その数か月後、キピエゴンは世界U18選手権で1500mの新記録を樹立し、トラックの世界に飛び込んだ。

2012年の世界U20選手権1500mで再び金メダルを獲得したキピエゴンは、北京2008オリンピックの1500m金メダリストであるナンシー・ジェベット・ランガットが引退し深みを欠いていたケニアの陸上界に期待される存在となった。

18歳のキピエゴンは、ロンドン2012にケニア代表チームの最年少メンバーとして選ばれ、現在はマラソン選手となったヘレン・オビリとともに1500mに出場した。

「自分はまだ若いと思いました。ジュニアからシニアに移った時は、まだ発展途上であり、模索しながら最善を尽くしました」と、ロンドン大会では予選落ちしたキピエゴンはOlympics.comの独占インタビューで振り返った。

オリンピックはフェイス・キピエゴンをどのように変えたのか?

キピエゴンは、2015年世界陸上北京大会の1500m銀メダリストとしてリオ2016に臨んだ。そして、ここから1500mでのオリンピック連覇が始まった。

「リオオリンピックは私にとって最高の経験でした。世界ジュニア選手権や世界選手権を経て、シニアのエリートアスリートとして成長し続け、2回目の出場となったオリンピックでは、どうしても金メダルを獲りたいという気持ちになりました」と、キピエゴンはそのキャリアを決定づけたその瞬間を振り返った。

(ゲンゼベ)ディババがいて、シファン(ハッサン)もいましたが、私はただ自分を信じて、トレーニングを信じました。母国のためにがんばりたい。そして自分のためにがんばりたいと思いました。彼女たちにできて、私にもできないはずがないと思ったのです」

「多くの選手が金メダルから多くの恩恵を受けました」と、キピエゴンは笑顔で続けた。「金メダルを獲得したことで、私の村に電気が通りました」

その後、キピエゴンは2017年の世界陸上ロンドン大会1500mを制したが、2018年は出産のために競技をいったん中断した。出産後、彼女は2019年の同ドーハ大会に復帰し、見事、銀メダルを獲得した。

「私は産休から戻ってきた後、母親として初めてメダルを獲得しました。私は経験を活かしながら、そして、家族、特に娘のために走りました。母親であることは、私を精神的に大きく変えてくれました」

フェイス・キピエゴンにとっての世界記録の意味

2023年5月までに、キピエゴンは専門種目の1500mで15レース無敗だったが、自己ベスト3分50秒37を何とか更新したいと思っていた。この時、彼女の自己ベストは、ディババが8年間保持する世界記録(3分50秒07)まであと0.30秒というところまで迫っていた。

記録にこだわったキピエゴンは、その年の6月、世界新記録(3分49秒11)を樹立。しかも同じ月には5000mでも世界新記録(14分05秒20)を打ち立てた。さらに7月には、1マイルでも世界新記録(4分07秒64)を連発した。

2024年には、シーズン2回目の7月のレースで自身の世界記録を破り新しい記録(3分49秒04)を樹立した。しかも、この記録はパリで行われたダイヤモンドリーグ2024第8戦で打ち立てたものだ。この時、キピエゴンはひと月後の同じくパリのオリンピックの舞台で金メダルを獲得することを想像していただろうか。

キピエゴンが世界記録を更新するためのモチベーションはどこから来るのだろうか?

「それはスポーツへの愛からです。世界中の若い世代や女の子たちに可能性を信じることを伝えたいのです。そして、陸上競技が職業の選択肢のひとつになるという夢をもってほしいのです」と彼女は話した。

「私たちアスリートは、神様から与えられた才能を活かして、若い世代やこれからのアスリートたちに、真剣に取り組めば世界のレベルに到達できることを知ってもらいたいのです」

カプタガトのトレーニングキャンプで30km走を行うフェイス・キピエゴン

写真: NN Running Team

フェイス・キピエゴン「痛みこそ成功のかぎ」

キピエゴンは、一貫して練習には過酷に取り組む。

彼女のトレーニングの中心は、カプタガト(ケニア南西部の高地)のトレーニングキャンプで他の20人のランナーと通常行う30km走だ。その長距離走は、たとえ中距離や5000mであっても彼女を優れたランナーにした。キピエゴンは2023年の世界陸上ブダペスト大会で1500mと5000mの両種目で金メダルに輝いた。

彼女にはウィークポイントはあるのだろうか?

「私は走ることが大好きです。トレーニングが大好きなんです。難しいのは、朝早く起きること。それがいちばん辛いところです…。家族がまだ寝ている時間に朝早く起きて、外に出て走るのですが、その辛さこそが成功するために必要なことかもしれません」と彼女は話す。

「トレーニングに痛みがないと、レースでよいパフォーマンスを発揮できません。痛みは成功のカギです。今日の痛みは、その痛みに耐えて達成しようとした明日の成功につながるのです」

「夢はただその金メダルを手に入れること… その金メダルを家に持ち帰ることです」と、キピエゴンはその偉業達成の前に話していた。

「私はオリンピックで何を遺すことができるかとずっと考えていました。今回パリオリンピックで3連覇を達成すれば、それが私のレガシーになると期待しています」

そしてキピエゴンは、パリでオリンピック1500mを3連覇した初めてのランナーになった。