エリウド・キプチョゲ独占インタビュー!マラソン・レジェンドが明かす走り続けることの意味「長距離走によって私の心は強くなった」/パリ2024オリンピック

執筆者 Evelyn Watta
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Eliud Kipchoge in action at the Berlin Marathon
写真: GETTY IMAGES

エリウド・キプチョゲは、子どもの頃からいつも高い目標を自分に課してきた。しかし、ケニアの他の仲間とは異なり、毎日3kmの通学路は、彼にとって陸上競技への興味を特に引き起こすものではなかった。

むしろ、ケニア南西部のリフトバレー州ナンディ郡の絵に描いたように美しい地平線が彼の想像力をかき立てたという。

「それから、自分に言いました。試しに走ってみようか。飛行機に乗ってヨーロッパに行って走ってみよう。ただ雲の上にいる喜びを感じたいと思ったことが理由でした」と、キプチョゲはOlympics.comの独占インタビューで、当時のわくわくした気持を素直に打ち明けた。

このような平凡な夢を見ていたことが、キプチョゲの中に「人間に限界のない世界」という価値観を育み、その後の並外れたキャリアの種をまいていたのかもしれない。

「自分を信じることが、壁にぶつかっても、それを乗り越えることを可能にしたのです」と彼は続けた。

2013年の初マラソン完走から今日までの11年間、マラソンはキプチョゲの日常生活の中心にあった。2度の世界記録樹立を果たし、2014年から2019年の間に世界のメジャーマラソンで10連勝という驚異的な記録を達成した。

「トップにいることは大変です…トップに居続けるためには『第六感』が必要になります」と彼は明かす。

パリ2024オリンピックで、キプチョゲは前人未踏のオリンピック・マラソンで3連覇を目指す。ここでは、トップにいることについて、人生における挑戦することの意味についてマラソン界のレジェンドが明かしたOlympics.comの独占インタビューの模様を紹介する。

「痛みがあればあるほど、もっと大きな目標を達成できる」

夜明けの限られた明かりの中でも、キプチョゲを見つけることは難しくない。毎朝、彼はカプタガト(ケニア南西部の高地)のトレーニングキャンプに向かう。キプチョゲはグループを率いて走り、その足取りは自信に満ちている。

早朝の時間帯は、ここだけでなく、周りのいくつかのトレーニングキャンプにとっても忙しい。ランナーたちはグレートリフトバレーの舗装道路や未舗装路で限りなく走り続ける。

キプチョゲがこの日取り組む40kmの長距離走は、過去10年間の彼のトレーニングの中心にあり、彼の人生の大きな部分を定義するものだ。

「私は長距離走が好きです。なぜなら、長く走ることができるからです」と、キプチョゲは純粋に答えた。「2時間以上ハードに走るためには、精神力を働かせなければなりません。そして、私の心はどんどん強くなり、心に矛盾がなくなって一貫性が生まれ、痛みを受け入れ尊重できるようになるのです」

マラソンの世界に足を踏み入れて以来、そのスタートラインに20回立ち、その16回のレースで優勝を成し遂げているキプチョゲは、決してレース中にその痛みを顔に浮かべたことはない。

彼の目はいつも遠いところを見つめている。トレーニングでは時おり笑顔を見せることもある。

40kmをチームメイトとともにグループで走る時は、彼はいつも先頭に立ち、快適で満足した表情をしている。

キプチョゲの20年以上のコーチであるパトリック・サング氏は、トレーニングするグループの横を車から指示を出し、ペースを確実にビルドアップさせるよう指導を行っている。

サング氏の最も過酷なトレーニングには、火曜日の15〜20kmのスピード走、隔週木曜日の長距離走、そして土曜日に行うファルトレク(緩急走)が挙げられる。ファルトレクでは、3分間のハードランと1分間のジョグを交互に13セット行うメニューだ。

きつくて不快になることもあるが、キプチョゲは不快感こそ進歩に必要なことと受け入れている。

「すべてが挑戦であり、毎日のトレーニングも大きな挑戦です。週に3日、きつい日がありますが、そこに全力を注ぎます」とキプチョゲは説明した。

「痛みは、いつでもどこにでもあります。しかし、私たちがマラソンで勝つには痛みへの備えが必要です。ですので、痛みを感じれば感じるほど、目標を達成できるようになるのです」

キプチョゲの一貫性と謙虚さ

キプチョゲのトレーニングは、いつも一貫している。

彼の高地でのキャンプを拠点としたトレーニングサイクルは、5000mランナーとしてサング氏のコーチングを受け始めた時からほぼ変わらない。

キプチョゲと彼の24人のチームメイトは、月曜日から土曜日まで高地キャンプに滞在してトレーニングを行う。

妻のグレースと、リン(17歳)、グリフィン(13歳)、ゴードン(11歳)の3人の子どもは、長年、彼の原動力になっているようだ。

「日曜日は完全に家族と過ごします。早朝に30km走ってから、教会に行った後ランチをします。午後は息子たちとサッカーをしたり、家で好きなことをしたりして過ごしています。そして月曜日になると、またキャンプに戻る一貫したライフサイクルです」

カプタガトのキャンプに入ると、気持ちがいやされるような心地よさを感じる。緑豊かな木々の多くは、キプチョゲと彼のトレーニング仲間、そしてキャンプを訪れる人々によって植えられたものだ。

「心のシャワーを浴びることは、トレーニングの成果やパフォーマンスの自己評価に役立ちます」と、彼は朝のルーティンを確認しながら話した。

彼の人生そのものがそうであるように、シンプルな日々の中の心を洗う習慣が継続的な自己認識を促す。そのような英知の断片がキャンプのあちこちに散りばめられているようだ。

カプタガト(ケニア南西部の高地)のトレーニングキャンプでの朝の決まりごと

写真: OCS

「ここにいる時、私たちはただのアスリートではなく、ひとりの人間として人生について学んでいるのです。私たちはもっと人間らしくなり、人としての価値を高めようと努力しています」と、トレーニングキャンプの代表であるベテランランナー、ラバン・コリルは説明した。彼はアスリートたちが行う掃除の予定表や、キッチンでの役割分担が掲示されている掲示板を示した。

「キャンプではチームワークが最も大切です。だからこそ、トレーニングの予定表だけでなく、掃除や料理の予定表や役割分担があるのです」

「2010年からエリウドと一緒にここでトレーニングをしています。彼は世界記録保持者やオリンピックチャンピオンであることをいっさい表に出しません」と彼は続け、キャンプの中で最も熱心な読書家であるキプチョゲが作った図書館に移動した。

「トレーニングでは、彼はいつも私たちの後ろにいて、みんなにスローダウンするように言います。彼はけっして自分がチャンピオンであることを押し付けることはありません。彼はただここにいて、穏やかにトレーニングを楽しんでいるのです。私は辛抱強くいることの大切さを彼から学びました。これはつい無理をしてしまうトレーニングでは大切なことです」

カプタガトのトレーニングキャンプで仲間と走るエリウド・キプチョゲ

写真: NN Running Team

4度の敗北から学んだこと

「私は自分を信じています。トレーニングを信じています。すべてを信じています」と、キプチョゲは毎日のランに加え、週2回行う筋力トレーニングとモビリティトレーニングの恩恵についてこう話した。

「できることはすべてやったという自信や信念が、マラソンをスタートから最後まで走り切ることを可能にしてくれます」

4度のオリンピックメダル(アテネ2004北京2008は5000m、リオ2016東京2020はマラソン)に輝いたキプチョゲは、キャリアの中で一度も完走できなかったことはない。

クロスカントリーから始まり、トラックやロードでも、彼はいつも水を得た魚のように走り続ける。

10位という自身最悪の成績となった2024年の東京マラソンのような痛烈な敗北の後でも、キプチョゲは自分の注いだ努力に満足していた。

「道はでこぼこしていますが、心の強さを保つ必要があります。挫折や敗北とどう向き合い受け入れるかを走りながら学んでいるのです。挫折が大きければ、それだけ大きな反動をもたらすのです」

キプチョゲは、メジャーマラソン10連勝の後、2020年ロンドンマラソンで8位という敗北を喫した。しかし、翌年の東京2020オリンピックで金メダルに輝いた。哲学ランナーのキプチョゲは、東京マラソンでの4度目のマラソン敗北についても快く結果を受け入れている。

「敗北は私にとって重要です。それによってさらに多くのことを学ぶことができるからです。ネガティブな部分とどう向き合うかを日々学んでいます」

彼は、チャンピオンである時の失望や挫折が孤独感をさらに高めると言う。

「トップにいるのは大変です。パフォーマンスや人生に多くの期待がかけられますから本当に大変なのです」

全てのアスリートに必要なのは「継続すること」

キプチョゲは、不快であることの美しさを楽しみ続けているようだ。それは、サブ2を達成するなど、かつては限界と見られていたことの可能性の扉を押し開くことに役立った。

今回、キプチョゲが世界で初めて名が知られるようになった思い出の場所、パリに戻ることは、彼にとってあの頃と同じような勝利への意欲と情熱をよみがえらせるものとなるだろう。

「パリは私にとって特別な場所です。そこで私の人生のすべてが始まったのです。2003年の世界陸上5000mで初めて金メダルを獲得しました。そして、あの日から20年が経った今年、パリで自分自身のランニング人生を祝いたいと思っています」と彼は話した。

「私が金メダルを初めて獲得した2003年に生まれた選手もいて、今回、私は彼らと一緒に走ります。人生は本当に面白いものです」と、今年11月に40歳になるキプチョゲは語った。今大会で彼は、男子マラソンに出場する選手の中の年長者のひとりとして、長年のライバルであるエチオピアのケネニサ・ベケレや、スイスに帰化したランナーのタデッセ・アブラハム(ともに42歳)らとスタートラインで肩を並べる。

「彼らに会えて本当に嬉しいです。この20年間の話をするのが楽しみです。ただ私たちの話は単純です。なぜなら、私がしていることは彼らも取り組んでいることであり、また彼らの人生同様に、私も走ることで20年間を過ごしてきたからです」

キプチョゲは、アテネ2004でオリンピックデビューを果たし5000mで銅メダルを獲得して以来、今回で5回目のオリンピック出場となる。リオ2016と東京2020では、2大会連続でマラソン金メダルに輝いているが、これは第1回オリンピックアテネ1896以来、毎大会で実施されている男子マラソン競技の中で史上3人目となる快挙だった。しかし、今回キプチョゲは、パリで前人未踏の3連覇を成し遂げようとしている。

オリンピック男女マラソン、歴代の金メダリスト

キプチョゲをかり立てるものは、彼の抱くスポーツへの情熱だけでなく、スポーツを継続することによってもたらされる変化への期待だ。

「私は、パリで金メダルを獲得すると信じています」と、キプチョゲはゆっくりと、しかし確固たる口調でOlympics.comに語った。

「私は全宇宙で最も幸せな人間になるでしょう。世界中に人間には限界がないことを示し、何ごとも継続すれば、いつか自らの可能性を押し開くことができると伝えられると信じます」