陸上界スター選手たちの極限のトレーニング法を探る

トップ争いの激しい陸上界で勝敗を左右する0.01秒、1mmの差。わずか1%の進化を求めて選手たちは努力を重ねる。過酷ともいえる練習計画から常識にとらわれない内容まで、選手たちのトレーニング法を探った。

1 執筆者 Sean McAlister
Karsten Warholm of Team Norway 
(2021 Getty Images)

世界最高峰の陸上選手たちが行うトレーニングに限界はない。すべては大会当日に最高のパフォーマンスを発揮するため。1%の進化が栄光と敗北を決定づけることもある。

だが、極端あるいは常軌を逸したトレーニングによってより高みを目指すことは、今に始まったことではない。

歴史を振り返ってみれば、ヘルシンキ1952オリンピックの男子5000m、10000m、マラソンの3種目で金メダルを獲得した伝説のチェコ人ランナー、エミール・ザトペックは、目標達成のために画期的なトレーニング法を数多く採用したことで有名だ。

中には疑問符がつくものもあり、特に奇抜だったのは、重い軍靴を履いて昼夜を問わず走り続けたり、気を失うまで息を止め続けたりしたこと。これはどんな偉大なランナーたちでも完全に疲弊してしまうような内容だ。

しかし、一見無謀ともいえるこれらのトレーニング法を支える彼の理論もそこにはある。当時の長距離走ランナーたちを圧倒したザトペックは、「悪いコンディションのもとでトレーニングしたほうが、レースで大きな安心感を得られる」と語っている。

現代の革新的なアスリートたちは、ザトペックの考え方が健在であることを証明している。選手たちは、過酷で激しく、一見風変わりなテクニックを駆使して、想像もしなかったようなところまで肉体を追い込んでいる。

400mハードル王者の「レッドデイズ」

例えば、男子400mハードルのオリンピック金メダリストで世界記録保持者のカルステン・ワーホルムのトレーニングを見てみよう。

彼のトレーニング計画の中には「レッドデイズ(red days)」という日が存在する。ハードなトレーニング・セッションを表現するのに彼が使っている言葉だが、それだけでも危険さを感じさせる。しかし、そのトレーニングの内容を知れば、過酷さを実感するだろう。

ワーホルムは本格的なトレーニングに入る前に、21段の階段を使ったウォーミングアップを行う。21段を歩いてのぼった後、次は駆け上がり、その後、連続ジャンプして上ると、最後は最大3回のジャンプで21段をのぼりきる。

午前中のセッションは、60m走を最大30本行う。そう、30本だ。

午後はハードル練習で、ハードルスプリントを9本ずつの10セット行い、その後ジムでウエイトトレーニングを行う。

ワーホルムといえば、東京2020オリンピックの決勝で興奮のあまりにシャツを引き裂き、その姿が話題になったが、これらのセッションでもよく見られるという。練習でここまで追い詰めるのであれば、それは決して不思議なことではない。

ロックダウンが促した、砲丸投選手の極端な練習

英国が誇る砲丸投選手のスコット・リンカーンの場合は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響に適応することで生まれた、独自の極端なトレーニング法を実践する。

国内選手権を9度制したリンカーンは、東京2020オリンピックを前に、新型コロナウイルス感染症拡大対策の一環として英国で実施されたロックダウンに直面。トレーニング施設へのアクセスが制限されてしまった。しかし目標を達成するための「常識はずれ」ともいえるトレーニングを止めることはなかった。

ソーシャルメディアで広く共有された彼の様子は、陸上競技のトレーニングというよりも世界最強決定戦や映画「ロッキー」シリーズを彷彿とさせるもので、リンカーンが路上でトラックを押し動かす姿が紹介された。

また、彼は自宅に「洞窟」のようなものを作り、そこで自作のネットにシュートパットを投げるという練習を何度も繰り返し、運動能力を向上させた。

その甲斐あってか、2022年に英バーミンガムで開催されたコモンウェルス・ゲームズで3位となり、世界の大舞台で自身初のメダルを獲得。努力とイノベーションが報われた瞬間だった。

棒高跳選手、完璧なジャンプのために次なるレベルへ

棒高跳の選手がどのようにしてジャンプを完成させているのか、不思議に思ったことはないだろうか。

そのトレーニングの一例を、2021年ヨーロッパ室内選手権で優勝したアンジェリカ・モゼー(スイス)が自身のソーシャルメディアで紹介している。即席の跳躍装置を使って、彼女は何度も何度も空中に体を投げ出し、跳躍の大会の厳しさを再現しようとしている。

見ての通り、誰もが簡単と言えるトレーニング方法ではない。しかし、世界トップレベルでさらに高みを目指す上で、簡単なことなど何もない。

そして、世界選手権の七種競技で表彰台に立ったアメリカ合衆国のアンナ・ホールは、世界最速の男子ハードル選手のひとりである世界王者のグラント・ホロウェイ(アメリカ合衆国)と対戦することで、ハードリングのスキルを磨いている。

最高の選手になりたければ、最高の選手と対決しなければならない。それは練習も、大会も同じだ。

レベッカ・ハーゼの音楽を取り入れたトレーニング法

トレーニングで自分の限界に挑戦することだけがすべてではない。時には既成概念にとらわれない考え方も有効だ。

ドイツの短距離走者レベッカ・ハーゼにとって、それはフルートへの愛をアスリートとして成長に役立てるということだ。

昨年オレゴンで開催された世界選手権の4×100mリレーで銅メダルを獲得した30歳のハーゼは、フルートが休息とリラクゼーションに役立っていることを認めている。しかし、それ以上に驚くべきは、彼女がフルートをトレーニング計画に組み込んでいることだろう。

スプリントで成功するために不可欠な「リズム」を見つけるために、彼女はコーチと一緒に、音楽のセクション(区切り)のような方法でトレーニングを計画している。

1%のために、どんなことだってする

結局のところこれらの練習法は、パフォーマンスを最大化するためなら、たとえそれが限界を超えることであったとしても、どんなことでも厭わないという、選手たちの強い意志を表している。

オリンピックのモットー「より速く、より高く、より強く、共に」の最初の3つの理想を達成するためには献身と努力が必要であり、アスリートたちは常に限界に挑戦している。

彼らの原動力の源を探るには、ザトペックに言葉に頼るのがベストだろう。彼は、他の人がほとんどやらないようなことをあえて実行する破天荒なアスリートたちの深層にある思考プロセスを見事に言い表しているのではないだろうか。

ザトペックはある大会に参加するために、220マイル(およそ354km)を自転車で走破して会場に向かい、大会では見事優勝を果たした。後日、彼は次のように語った。「観客は私のことを『クレイジー(狂っている)』と思っていたよ。『彼は誰なんだ?』と観客は言っているようだった。 『彼はクレイジーだ。クレイジーだ』。しかし、私はこの大会で優勝した。この経験はとても大きな刺激になった」。

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