髙野芹奈(せな)は日本セーリング界の未来を担う存在だ。18歳でリオデジャネイロ五輪に出場し、23歳で2度目のオリンピックとなる東京五輪に挑む。本格的に競技を始めたのは中学生の時、友人の誘いになんとなく応じたのがきっかけだった。そこから急成長を遂げた女性アスリートの歩みをたどる。
名前はF1レーサーのアイルトン・セナに由来
リオデジャネイロ五輪に出場したのは18歳の時。髙野芹奈(せな)はキャリアスタートから4年足らずで大舞台に挑んでみせた。リオ五輪から採用されたセーリングの2人乗りヨットによる49er(フォーティーナイナー)FX級に出場した。49erFX級は一日2、3本のレースを1週間続け、総合得点で勝敗が決まる種目だ。
1998年3月1日、大阪府大阪市に生まれた髙野。「芹奈(せな)」という名前は、元カートレーサーの父親がF1レーサーのアイルトン・セナが好きだったことに由来する。49erFX級はセーリングのなかでも特にスピードが速いことから「海のF1」とも比喩される。自身の名前について「運命かな」と口にしたこともある。
負けず嫌いで、言いたいことをはっきり言い、自分に正直な性格だという。大阪市の阪南小学校に入学して以降、ひたむきに取り組んだスポーツは水泳だった。小学校を卒業するタイミングでもやめず、関西大学第一中学校に進学した後も水泳を続けた。
転機が訪れたのは中学3年の秋だった。きっかけをつくったのは、現在も470級の選手として国内トップレベルの活躍をみせる田中美紗樹さん。当時、同じ水泳部に所属し、クラスメイトでもあった田中さんはすでにヨットの分野で才能を発揮し、小学6年生次に参加した全日本オプティミストセーリング選手権では小学生優勝を果たしていた。そんな田中さんから「ヨットもやってみたら?」と誘われ、遊び半分で挑戦してみることにした。
初めてヨットに乗ると、すぐに魅了された。エンジンがなく風だけで海を進む感覚に引きつけられた。「この競技を極めたい」と思い、中学3年生の時に田中さんと同じB&G兵庫ジュニア海洋クラブに加入した。
リオデジャネイロ五輪では20位という成績
本格的にセーリングのキャリアをスタートさせた一方、中学卒業後は関西大学第一高等学校に進学する。自身をヨットに誘ってくれた田中さんも同校に入学した。
高校進学後の成長は目覚ましい。トレーニングに本腰を入れてからわずか8カ月後には近畿大会のFJ(フライングジュニア)級で優勝を果たし、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)に出場。高校2年次の2014年にはインターハイのFJ級で優勝し、韓国で行われたアジア競技大会の420級では4位入賞を果たした。高校2年次には日本ジュニアオリンピックカップの420級を制し、日本ユースランキング1位となっている。
競技を始めて2年あまり、髙野は視線をリオ五輪に向ける。リオ大会から採用される49erFX級に主戦場を移しつつ、田中さんとのペアでヨット420級世界選手権大会と全国高等学校ヨット選手権大会の女子420級で3位入賞など、着実に結果をつかんでいく。2015年9月から49erFXの練習を本格的に開始すると、2016年3月のアジア選手権を制し、リオ五輪行きを手繰り寄せた。日本セーリング史上最年少出場となったオリンピック本番では、当時選手歴20年の宮川恵子とのペアで20位という成績を残している。
東京五輪には2つ歳下の山崎アンナと出場する予定だ。「アンセナ」と呼ばれるペアでは2017年から活動を続けており、舵取り役の「スキッパー」を山崎が、バランスをとるといったその他の役割を担う「クルー」を髙野が務める。
新型コロナウイルスの感染拡大による東京五輪の延期に関して、髙野は「自分たちを成長させられる時間がたくさん増えた」と前を向く。23歳で迎える2度目のオリンピック。リオ五輪では「15位」を目標にしながらも調整期間の短さもあり20位だった。さらなる躍進に期待がかかる。
選手プロフィール
- 髙野芹奈(たかの・せな)
- セーリング/ヨット/49erFX級
- 生年月日:1998年3月1日
- 出身地:大阪府大阪市
- 身長/体重:166センチ/69キロ
- 出身校:阪南小(大阪)→関西大第一中(大阪)→関西大第一高(大阪)→関西大(大阪)
- 所属:ノエビア
- オリンピックの経験:リオデジャネイロ五輪 49erFX級 20位
- フェイスブック(Facebook):高野 芹奈