飯塚翔太は男子200メートル日本歴代2位の記録を持つ。2016年のリオデジャネイロ五輪では4✕100メートルリレーで銀メダル、2018年のアジア競技大会では4×400メートルリレーで銅メダルを獲得した。100、200、400を高いレベルで走る万能のスプリンターが東京五輪でオリンピックスタジアムを沸かせる可能性は十分にある。
世界ジュニア選手権で日本人初の金メダル
飯塚翔太は2018年6月に開催された日本陸上競技選手権大会の男子200メートルで2年ぶりの王座奪還を果たした。タイムは20秒34。レースには男子100メートルの日本記録保持者である桐生祥秀や、2017年に全日本大学選手権の200メートルを制した小池祐貴も出場した。飯塚は並みいる実力者たちを破っての優勝で、あらためて存在感をアピールした。
1991年6月25日、静岡県御前崎市に生まれた。小学3年生の時、小さな記録会で優勝したことをきっかけに陸上競技を始めたという。当時は長距離にもエントリーしていたというが、中学生になってからは、徐々に短距離に一本に絞っていく。高校に上がるころには短距離ランナーとしての才能が開花。高校3年次には全国高等学校総合体育大会の200メートルと、国民体育大会の100メートルでともに優勝と、日本陸上界から大きな注目を集める選手へと成長していった。
飯塚の名が一躍世界に広まったのは2010年7月にカナダで開催された世界ジュニア選手権でのこと。20秒67のタイムを出し、200メートルで優勝を果たした。同大会における日本人初の金メダルを獲得し、日本陸上界の歴史を塗り替えてみせた。
愛称は「和製ボルト」。186センチ、80キロという恵まれた体を生かしたダイナミックな走りは、まさにウサイン・ボルト(ジャマイカ)を彷彿とさせる。
取材に応えて、「100メートルも本気でやりたい」
世界ジュニア選手権以降も順調に成績を伸ばした飯塚だったが、2012年ロンドン五輪の200メートルでは予選敗退を喫した。翌2013年の世界陸上競技選手権大会では準決勝敗退と、あらためて世界の壁の高さを思い知らされた。
そこで取り入れたのが、後半の伸びを生かすため前半の走りをコンパクトにする走法だ。スタイルの変更によりタイムは大きく縮み、2016年の日本選手権では20秒11という自己ベストをたたき出した。これは末續慎吾(すえつぐ・しんご)が2003年に出した20秒03に次ぐ日本歴代2位となるタイムだった。
同年のリオデジャネイロ五輪200メートルでは、ロンドン五輪に続き予選敗退と悔しい結果に終わった。しかし、4✕100メートルリレーでは、山縣亮太(やまがた・りょうた)、桐生祥秀(きりゅう・よしひで)、ケンブリッジ飛鳥とともに、見事銀メダルという結果をつかんだ。リレー決勝前、選手紹介シーンで選手たちは侍ポーズを行っているが、刀を抜き、さやに収めるパフォーマンスを披露しようと提案したのは飯塚だという。
飯塚は100メートルで10秒08という自己ベストを持つ。100メートルを専門にしている選手に全く引けを取らない快速ぶりで、東京五輪での4×100メートルリレーでもキーマンになり得る。2018年にはメディアの取材に応えて、「100メートルも本気でやりたい」と話した。さらに言えば400メートルでも能力を発揮するスプリンターであり、2018年のアジア競技大会では4×400メートルリレーで銅メダル獲得に貢献している。
得意の200メートルだけでなく、100メートルでも400メートルでも日本屈指のスピードで駆け抜ける。2020年の東京五輪で飯塚が大車輪の活躍を見せるストーリーは、決して絵空事ではない。