阿部兄妹:日本柔道界史上初の「兄妹同時世界一」。兄の背中を追う妹と、妹の成長に刺激を受ける兄

東京五輪、阿部一二三と阿部詩には兄妹同日金メダルがかかる

兄の背中を追い中学時代から頭角を現した妹の詩。中3で全国王者となった

2018年9月、日本柔道界に相当の吉報が飛び込んできた。兵庫県神戸市で生まれ育った阿部一二三(ひふみ)と阿部詩(うた)の2人が、世界選手権で「兄妹同時世界一」の偉業を成し遂げた。世界選手権2連覇の兄に対し、妹は世界選手権の優勝は自身初。小学生のころは稽古を嫌っていた妹は、いかにして成長を続けてきたのか。2016年から柔道の取材に励み、国内外の大会を追ってきた『日刊スポーツ』の記者が解き明かす。

「努力の一二三」「天才の詩」と評され、兄妹間にもライバルが芽生える

柔道女子52キロ級世界女王の阿部詩(うた)が、男子66キロ級世界王者で兄の一二三(ひふみ)の背中を追い、急成長を遂げている。

2018年9月21日。アゼルバイジャンの首都バクーで開催された世界選手権。2カ月前に18歳になったばかりの詩は一二三と同じく、前に出て豪快に投げる「超攻撃型」の柔道で、全5試合オール一本勝ちを収めた。決勝は2017年世界女王の志々目愛(ししめ・あい)に延長の末、内股で撃破。「自分が勝って、良い流れでお兄ちゃんにつなげたかった」と詩は話した。

会場裏で詩の初優勝を見届けた一二三は、その勢いを受け継いだ。約20分後の決勝で、エルラン・セリジャノフ(カザフスタン)を一方的に攻めて、詩と同じ内股で一本勝ち。日本柔道界史上初の「兄妹同時世界一」の偉業を達成し、兄妹の目標である2020年東京五輪金メダルに前進した。

詩は幼少期から3つ年上の一二三の背中を追った。5歳から柔道を始めたが、小学生のころは内気な性格で母親の車から出てこなかったり、道場の壁にへばりついて駄々をこねることがあったりと、稽古を嫌っていた。2013年9月に2020年東京五輪が決まり、その瞬間をテレビで見ると「これ出たいな」とつぶやいた。中学時代から頭角を現し、一二三が中2、3年で全国大会を制覇すると、詩も続くように中3で全国王者となった。周囲からは「努力の一二三」「天才の詩」などと評され、自然と兄妹でのライバル心も持つようになった。高1の時に講道館杯体重別選手権(兼世界選手権第1次選考会)で3位に入ると、憧れていた東京五輪が「夢から目標」へと変わった。シニア転向後は一気に世界の舞台で活躍し、得意技の袖釣り込み腰は阿部兄妹の「代名詞」とまでなった。

負け試合の映像を確認し、成長につなげた妹

女子52キロ級は詩と志々目、2018年アジア女王の角田夏実(つのだ・なつみ)との三つどもえの争いが続いていた。詩は、寝技を得意とする角田に過去3戦全敗と、苦手意識があった。2018年11月のグランドスラム(以下GS)大阪大会に向けての打開策として、これまで「大嫌い」だった負け試合の映像を確認するようになった。一二三からも「柔道をもっと俯瞰(ふかん)して見たほうが良い。相手に合わせた駆け引きも大切」との助言もあり、暇さえあれば動画で角田に敗れた4月の選抜体重別選手権などの映像を見返し、敗因を探った。詩はこう話す。

「同じ相手に4回も負けたら話にならない。負けた経験を生かすことが成長につながるし、何かを変えないといけないと思った。相手を見て、攻める時は攻める。守る時は守る。考えて試合することは大事だなと感じた」

GS大阪大会準決勝では開始23秒で志々目に一本勝ち。決勝では角田に前に出る柔道をイメージさせて、組み手で粘る「大人の柔道」で延長の末、指導3で勝利した。世界選手権とGS大阪大会を制したことで、全日本柔道連盟の選考基準を満たし、東京の日本武道館で行われる2019年世界選手権の代表に内定した。

試合後には「自分で言うのもなんですが、強くなったと思う。やっとこの階級で一歩抜けたかな」と成長を実感し、めずらしく自身を褒めた。18歳でありながら貫録さえ漂わせた。大会前に右手首の負傷などもあり銀メダルだった一二三も「妹は本当に強い。この1年間でものすごく成長したけど、まだまだ伸びる」と、さらなる成長に期待を込めた。女子代表の増地克之監督も「勝ちに徹した柔道で地力がついた」と評価した。

近づく東京五輪。「自分を信じて、兄妹で目標をつかみ取りたい」

詩は来春から一二三と同じ日本体育大学に進学する。地元の神戸を離れて、同じ拠点で兄と切磋琢磨(せっさたくま)する。己の柔道をどこまで上げられるかをポイントに挙げ、特に技術面の向上を課題とする。「組み手と寝技の強化、追い込まれた時に袖釣り込み腰以外の技が意識せずに出せるようにしたい」

世界選手権優勝など多くの国際大会を制し、実績も着実に一二三に近づいているが、詩は意外にも兄妹間についてこう語る。

「自分がお兄ちゃんに追いつくことはない。周りは世界選手権で兄妹優勝して『追いついたね』と言うが、自分のなかでは『追いついてもいないし、追い越してもいない』。柔道を始めた時から(兄の)背中を追って、ここまで来た。いつも一歩前にいて、強くなれたのもお兄ちゃんがいたからだし、いなかったらこうはなっていないと思う。大舞台で必ず勝ちきるお兄ちゃんの強さは一番理解しているつもり。最近、こんなことを考えるようになって、つくづく妹なんだなと思った」

東京五輪の開催が着々と迫っている。女子52キロ級と男子66キロ級の試合は7月26日(日)に日本武道館で実施される。兄妹同日金メダルがかかる大舞台に向けて、18歳の世界女王は「もう悩んだり、落ち込んだりしている時間や暇もない。ここまでやってきたことは確か。今は自分を信じて、兄妹で目標をつかみ取りたい」と前を向く。詩の急成長の要因は、間違いなく尊敬する一二三の存在がある。「お兄ちゃんと一緒に」が口癖である詩のテーマ「進化」が、さらに加速しそうだ。

文=峯岸佑樹(日刊スポーツ新聞社|Yuki MINEGISHI)

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