錦織圭が、2020年東京オリンピックに出場することを楽しみにしているのは、テニスファンだけでなく、スポーツ好きの人やオリンピックに関心を持つ人、全員ではないだろうか。東京ではメダル獲得の期待もされ、間違いなく一番注目を集めるプロテニスプレーヤーになるはずだ。
「本当にタイミングに感謝したいです」
プロテニスプレーヤー錦織圭が、2020年東京オリンピックでプレーできる運命の巡り合わせを、われわれは感謝すべきだろう。
世界のトップレベルで活躍する錦織が、2020年に30歳で、日本で開催されるオリンピックに出場できる可能性があるというのは、テニスファンだけでなく、オリンピックに関心を持つ多くの人々の心をときめかせるだろう。錦織は次のように語っている。
「本当に楽しみですね。自国で開催されるというのは、誰も経験できることではないので、本当にタイミングに感謝したいです」
錦織は、2017年夏に右手首のけがをして戦列離脱を余儀なくされた。2018年1月中旬から復帰を果たし、シーズン当初は右手首の痛みと戦いながらもプレーを続けて、ATPランキングを9位まで戻して、見事世界のトップ10に返り咲いたのだった。
松江から世界へ
水の都といわれる島根県松江で生まれ育った錦織は、子供時代にさまざまな習い事へ通った。水泳、サッカー、さらに、ピアノも習っていたという。
錦織とテニスとの出合いは5歳の時で、父・清志さんがハワイで買って帰って来たおみやげのテニスラケットを手にしたのが始まりだった。父親からテニスの手ほどきを受けた錦織は、松江の実家の塀を使って、独りもくもくと壁打ちをすることもあった。
やがて近所のテニススクールに通い始めると、メキメキと力をつけていき、試合では将棋を詰めるように試合を組み立て、勝利に結び付けることができた。錦織にとって、最初のテニスのライバルは、4歳年上の姉・玲奈さんだった。錦織は、姉の背中を追いかけるようにして練習に励んだ。
そして、錦織が、プロテニスプレーヤーへの礎を築くのに最も欠くことができなかったのが、「盛田正明テニス・ファンド(以下、盛田ファンド」の存在だ。
盛田ファンドの会長である盛田正明氏は、ソニー副社長、ソニー・アメリカ会長、ソニー生命会長を務めた後、70歳で退職した。仕事で夢を追いかけることが終わり、新たに自らの夢を模索した盛田氏は、大好きなテニスに情熱を注ぐことを思いつく。日本から世界的に活躍するプロテニスプレーヤーを育成したいという夢を掲げ、将来有望なジュニアに私財を投じて金銭的にサポートする、テニスの奨学金制度を始めたのだ。また、盛田ファンドを始めた頃に、期せずして盛田氏は、2000年から日本テニス協会の会長にも就任している。
盛田ファンドの選考会をパスして第4期生になった錦織は、2003年9月、松江からアメリカ・フロリダ州ブラデントンに渡ってニック・ボロテリーテニスアカデミーで本格的なテニス留学を始めたのはわずか13歳のことであった。
「一番大事なことは、テニスが好きであるということです。だからこそ、テニスをプレーし続けているのです。そして、テニスがもっとうまくなりたいのです」
少年時代から29歳になった今も変わらず、いつもこの言葉を、錦織は自分の胸に刻み込んでいる。
普段は穏やかでもの静かな性格であり、オフコートではゲームを楽しむ錦織と、オンコートでは世界の大舞台で大胆なプレーをして勝利を引き寄せる勝負師の錦織には、別人といえるようなギャップが存在する。だが、このギャップも、錦織が人々を引きつける魅力の一つなのだろう。
世界のテニスでさまざまの金字塔を打ち立て、2020年東京へ
錦織は身長178cmで、ワールドプロテニスツアーの中では小柄な部類に入るが、そんなハンデにも負けずに、2014年5月に日本男子選手として初の世界トップ10入りを果たし、さらに、同年9月にはUSオープンテニスで日本人として初めて、テニスの4大メジャーであるグランドスラムの決勝に進出し、準優勝を果たした。また、世界のトップ8だけが出場できる男子テニスツアーの最終戦・ATPファイナルズにも、日本男子で唯一出場権を獲得した。次々と日本男子前人未到の結果を残し、日本テニスに新たな歴史をつくり、金字塔を打ち立ててきた。
錦織が、初めてオリンピックでプレーしたのは18歳の時。2008年北京オリンピックで、初めてのオリンピックの舞台でのプレーに緊張して初戦敗退だった。
2012年には、テニスの聖地といわれるウィンブルドンで開催されたロンドンオリンピックでは、日本男子として88年ぶりのベスト8に進出。
2016年リオデジャネイロオリンピックでは、3位決定戦でラファエル・ナダル(スペイン)との死闘を制して、日本男子として96年ぶりの銅メダルを獲得した。
そして、錦織は、4度目のオリンピックが、2020年東京オリンピックになる。
「19年、20年、もっと力を付けて、メダルを狙えるレベルになるべく近づけるように頑張りたいですね」
こう語る錦織にとって、東京オリンピックは、おそらく年齢的にいって、彼がプレーする最後のオリンピックになるかもしれない。集大成というには少し早いかもしれないが、彼の実力が存分に発揮されて、リオの銅以上のメダル獲得が東京で実現することを願いたい。
文=神 仁司(Hitoshi KO)