鈴木慶太:39歳で迎える東京五輪。3×3のカリスマ「K-TA」は大舞台で輝けるか

鈴木慶太は39歳で東京五輪を迎える

2017年6月、スイス・ローザンヌで開催された国際オリンピック委員会(IOC)理事会で、3人制バスケットボール「3×3」が2020年東京五輪で追加採用されることが決まった。2016年に“Bリーグ”というプロリーグが設立された5人制に比べると、日本国内での3人制バスケの認知度はあまり高くない。しかし、2019年2月の世界ランキングは男子が4位、女子が7位と、オリンピックで十分にメダルを狙える位置にいる。そして、その3人制バスケで、日本の第一人者と言われているのが、「K-TA」こと鈴木慶太だ。

本場米国で自信を付けるも帰国後に挫折。ストリートで再起を誓う

神奈川県川崎市出身の鈴木慶太は1981年7月3日生まれ。小学校5年生のとき、父親の仕事でアメリカに渡った。父親が自宅前にバスケットゴールを立てたこと、バスケ部所属だった兄の友人からバスケットボールを教わったことが、競技に打ち込むキッカケとなった。オハイオ州コロンバス、ミズーリ州セントルイスの学校に通いながら、アメリカのバスケットボール文化に触れ、帰国間際の高校2年生のときには、学校の学年別代表チームのトライアウトに合格。地域のリーグ戦でプレーするまでになっていた。

帰国後、明治大学に進学するとバスケットボール部に入部する。しかし、スポーツ特待生が数多く在籍する明大バスケ部のレベルは高く、2年生の途中で鈴木は挫折し、退部してしまう。バスケットボールから離れたまま大学を卒業し、鈴木はスポーツトレーナーの専門学校に進学する。ストリートバスケに出会ったのは、専門学校入学の直前。鈴木は競技に対する情熱を取り戻し、23歳でストリートバスケの道に進む。

2004年5月、東京・渋谷の美竹公園「ジョーダン・コート」寄贈式に、バスケットボール界のレジェンド、マイケル・ジョーダンが出席した。このニュースは、国内のみならず、世界中で報じられることになる。鈴木がストリートバスケを選んだ時期は、まさにブームの再燃を予感させるタイミングであった。鈴木は就職せず、アルバイトをしながら、競技を続行。そして2007年12月、バスケットボールを究極に遊ぶという「ストリートボール」の理念を掲げたリーグ「SOMECITY」を、仲間とともに立ち上げる。東京でスタートしたSOMECITYは、2009年に大阪、2014年に仙台、2015年には長野、名古屋でも開催されるなど拡大。現在は国内8都市でリーグ戦やイベントを行うまでに成長している。


3×3の競技化でチャレンジ。W杯出場3回

183センチ、83キロ。2メートル近い競技者が少なくないバスケットボールにおいて、恵まれた体格とは言えないが、ガードとして頭角を現す。国際バスケットボール連盟(FIBA)は2007年、ストリートで親しまれていた「3×3」に正式な統一ルールを制定。新種目として確立させる。

鈴木は競技化された3×3に2011年ごろから取り組む。2012年には、ロシアのウラジオストクで開催されたFIBA 3×3ワールドツアー・マスターズに、ライジング・サンズの一員として出場を果たす。ライジング・サンズはオーストラリアとロシアに敗れ、予選ブロックで敗退となったが、中国とシンガポールを相手に勝利を収めた。翌年7月、東京で開催されたワールドツアー・マスターズにチーム川崎の一員として参加。日本で初めて開催された3×3の国際大会だったが、優勝チームはジャカルタ(インドネシア)。チーム川崎は準決勝でジャカルタに敗れ、ベスト4に終わった。

2014年、鈴木は高久順、野元勇志、落合知也とともに日本代表に選出され、6月にロシアのモスクワで開催された第2回FIBA 3×3男子バスケットボール世界選手権大会(W杯)に出場する。予選ラウンドでプールDとなった日本は、クロアチア、セルビアに連敗。インドネシアに勝利を収めたものの、スロベニア、中国に敗れて、決勝トーナメント進出はならなかった。

2年後の2016年10月、鈴木は中国の広州で開催された第3回W杯の日本代表に選出される。メンバーは落合、川内滉大、小松昌弘の4人。プールDの日本は、トルコと中国に勝利を収めたものの、米国とオランダに敗れて11位という結果に終わった。

2018年4月、中国の深センで開催されたFIBA 3×3アジアカップ2018に、落合、小松、野呂竜比人とともに、日本代表として出場。予選リーグ初戦でトルクメニスタンに勝利。第2戦はヨルダンに敗れたものの、決勝トーナメントへ進出。準々決勝ではカタールに勝利し、準決勝でオーストラリアに敗れたものの、3位決定戦でニュージーランドに勝利を収め、銅メダルを獲得した。

同年6月、フィリピン・マニラで開催されたW杯にも出場。落合、小松、原修太とともに挑むも、エストニアとスロベニアに連敗。インドネシアに勝利を収めたが、ポーランドに敗れ、決勝トーナメント進出は果たせなかった。


衰えない情熱。東京五輪で競技人生の集大成を

鈴木は5人制バスケットボールではRBC東京、3人制バスケットボールでは、日本のトップリーグ「3x3.EXE PREMIER」所属のTOKYODIME、そして自身も運営に関わっているSOMECITYのF'SQUADに所属。日本選手権でも3度の優勝、2度のMVPに輝くなど、その実績は輝かしい。現在37歳。2020年の東京五輪は39歳で迎えることになるが、いまだ体力、気力ともに衰える気配はない。

日本のバスケットボールは年々レベルを上げている。2018年W杯の日本代表に選出された、Bリーグ・千葉ジェッツ所属の原修太のように、普段は5人制バスケットボールでプレーしている選手も、3人制の代表となり得る。代表の座をめぐる競争は激しさを増している。第一人者として3×3をリードしてきた鈴木慶太。その経験がオリンピックの舞台で生かされることを期待したい。

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