大学駅伝を沿道から応援したことがきっかけで陸上を始めた衛藤昂(えとう・たかし)は、靴職人をめざして進学した高等専門学校で走高跳の名選手へと成長を遂げた。2016年リオデジャネイロ五輪にも出場し、自己ベストは2メートル30。東京五輪での活躍も期待される異色の努力家だ。
異色のキャリアで日本屈指のハイジャンパーへ
陸上競技のアスリートは普通、中学、高校、大学の陸上部に所属し、ある程度、競技に重心を置いた生活を送って心身を鍛えていく。しかし、衛藤昂(えとう・たかし)は独特のキャリアを送って2016年リオデジャネイロ五輪の走高跳日本代表の座をつかんでいる。
1991年2月5日、三重県鈴鹿市に生まれた。家の近所を走る全日本大学駅伝を沿道で応援したことがきっかけとなり、小学校3年生の時に陸上を始めている。長距離走での成績は平凡だったが、小学6年次の最後の大会でエントリーした走高跳で優勝し、この種目を専門にしていくようになった。
しかしその後は、競技そのものよりも、競技者を支えるスポーツシューズに興味を持つようになり、中学卒業後は靴職人をめざして鈴鹿高等専門学校の材料工学科に進学した。通常の高等学校とは違い、高等専門学校は専門的な知識や技術も学ぶために授業数や課題が非常に多い。それでも衛藤は陸上部にも所属し、靴作りとともに走高跳に取り組み続けた。
靴職人をめざすほどだから、こつこつと努力することに向いていたのだろう。基礎練習や踏み切りの際に必要なアキレス腱の強度を高めるトレーニングに取り組み、2年次には2メートルを突破。全国高等専門学校体育大会や日本陸上競技選手権大会に出場するまでになる。
1センチずつ記録を伸ばし、大台に到達
高等専門学校での5年間を修了した後はそのまま専攻科に進み、6年次には2メートル24を記録。その後は筑波大学大学院に進学して体育学を学んだ。靴職人をめざしていたつもりが、いつしか日本屈指のハイジャンパーへと成長を遂げていた。
大学院で2年間学んだ後は故郷の鈴鹿市に戻り、味の素AGFの陸上部で競技を続けている。大学院1年次には2メートル27、社会人1年目の2015年には2メートル28、2016年6月の日本選手権では2メートル29で優勝と、着実に自己ベストを更新していった。同年にはリオデジャネイロ五輪出場が叶ったものの、2メートル17で予選敗退を喫し、「もっと実力をつけないと」と唇をかんだ。
そして2017年には、ついに2メートル30をクリアする。1センチずつ記録を伸ばしていく走高跳は、こつこつと努力を積み重ねられる衛藤にぴったりな種目と言えるかもしれない。
2019年2月2日、戸邉直人(とべ・なおと)が2メートル35の日本記録を樹立したため、衛藤の記録は日本歴代5位タイとなった。今後、めざすべきは、その5センチの差をこつこつと縮めていくこと。衛藤はそれができる「走高跳の職人」だ。