かつてのサッカー少年が100メートルで日本人史上初の9秒台を記録したのは2017年9月9日13時30分すぎ。すでにリオデジャネイロ五輪を経験している21歳の大学生が9秒98という新記録を打ち立てた。桐生祥秀(きりゅう・よしひで)は代表落ちも経験した2018年を経て、2020年東京五輪での活躍をにらむ。
遊びやサッカーを通しスプリンターとしての基礎を固める
日本人の男子100メートルランナーの誰もが彼の背中を追っている。日本人史上初の9秒台となる9秒98で100メートルを走り抜けた桐生祥秀(きりゅう・よしひで)だ。
1995年12月15日、滋賀県彦根市に生まれた。少年時代は4歳年上の兄の将希(まさき)さんとともに自然のなかを走り回って遊んだ。知らず知らずのうちに足が速くなった。
小学3年生の時にサッカーを始め、彦根市のプライマリーサッカークラブに加入した。快速を買われ、当初はフォワードの一角でプレー。長めのパスに反応してスペースに飛び出してはゴールを決め、スピードを生かしたドリブルで相手を抜くプレーも得意としていた。
抜群のスピードを誇る桐生少年は「ジェット気流」ならぬ「ジェット桐生」という異名をとった。初代の「ジェット気流」は兄の将希(まさき)さん。兄弟そろって韋駄天だった。
小学5年生の時にポジション転向を経験している。正ゴールキーパーがクラブを退団したため、桐生がゴールキーパーとして起用されることになった。俊足を生かせないポジションに思えるが、群を抜くスピードを発揮してゴールを守った。当時の指導者が「出足が早くて、瞬発力がすごかった」と振り返ったこともある。本格的にゴールキーパーとしてわずか1年目ながら、6年生の時には彦根市選抜に選ばれた。
どのスポーツも「走る」「跳ぶ」「投げる」「打つ」「蹴る」の動作の組み合わせで成り立っているという説がある。子どものころにさまざまなスポーツをこなしていると、これらの動作の基本能力が高まり、やがて一つの競技を極めることにつながるのだという。自然のなかで駆け回り、サッカーでフォワードとゴールキーパーをこなした桐生少年は、楽しみながらスプリンターとしての基礎を固めていったと考えていい。
10秒01のタイムをたたき出した「スーパー高校生」
一方で、桐生は「努力の人」だという指摘もある。本格的に陸上に取り組んだのは彦根市立南中学に入学してから。兄の影響もあり、陸上部に入部した。最初から目立った存在ではなかった。桐生より速い部員はいた。
「ジェット桐生」は、その異名とは対照的に、地道に練習に打ち込み短距離走でじっくりと成長していく。
中学1年生の時は滋賀県大会の決勝には行けなかった。2年次には近畿大会で2位に食い込み、ジュニアオリンピック陸上競技大会の200メートルでは準決勝まで進出した。3年次には彦根市民大会で優勝し、全国中学校体育大会に出場。同大会の100メートルでは準決勝で棄権せざるを得なかったが、200メートルでは当時の中学歴代6位の記録となる21秒61というタイムで2位の好成績を収めている。3年次には10秒87を記録し、中学生で10秒台を体感している。
高校は京都の洛南高校に越境入学。陸上の名門校で100メートルでも200メートルでも才能を開花させた。2年次には100メートルで10秒19というタイムをたたき出し、当時のジュニア日本記録と日本高校記録を更新。3年次の2013年4月には織田記念陸上大会の100メートルを10秒01で駆け抜けた。これは当時の日本歴代2位のタイムで、夢の9秒台に肉薄した「スーパー高校生」として一躍脚光を浴びた。3年次には200メートルで自己ベストとなる20秒41を記録している。
2018年アジア競技大会ではまさかの代表落ちを経験
2014年4月、東洋大学に入学して以降も、成長の加速度は増していく。2015年3月にはアメリカの大会で3.3メートルの追い風参考記録ながら9秒87で優勝を果たしている。
大学3年次の2016年にはリオデジャネイロ五輪に出場した。100メートルでは10秒23という記録で準決勝進出を逃したものの、4×100メートルリレーでは第3走者として銀メダル獲得に貢献している。山縣亮太(やまがた・りょうた)、飯塚翔太、ケンブリッジ飛鳥とともに体感した37秒60はアジア新記録だった。
翌2017年、日本陸上界の歴史を塗り替える。9月9日、日本学生陸上競技対校選手権大会の100メートル決勝で9秒98を記録した。「10秒の壁」を乗り越え、日本人史上初の9秒台スプリンターとして金メダルを手に入れた。
21歳にして日本新記録を樹立した「ジェット桐生」は、しかし2018年以降、やや勢いを弱めている。同年夏にインドネシアで行われたアジア大会では100メートルと200メートルで代表落ち。2020年東京五輪に向けた実践の場を逃してしまった。4×100メートルリレーのメンバーには選ばれ、同大会20年ぶりの金メダル獲得に貢献したものの、一方で短距離個人の出場権を得られなかった悔しさは募ったはずだ。
「10秒の壁」を越えた男は今、別の壁を乗り越えなければならない。そして「努力の人」でもある桐生は視線を下げてはいない。アジア大会の代表落ちが決まった直後、小学生を集めたイベントでこう話した。
「タイムだけを見るとシーズンベストが出ているし、段階的にはいい感じにきている。次の試合や次の次の試合でタイムを出そうという気持ちで練習しています」
日本人の男子100メートルランナーの誰からも追われる重圧をはねのけ、全身全霊をかけて前進を続けるだけ——その先に東京五輪での栄光が見えてくる。