柔道の野村忠宏が3連覇、競泳の北島康介が2冠2連覇を達成【2000年代の日本人メダリスト】
マラソンの高橋尚子はオリンピック記録で優勝
高橋尚子、田村亮子、野村忠宏、井上康生、野口みずき、室伏広治、吉田沙保里、伊調馨、北島康介、太田雄貴……2000年代のオリンピックで躍動した選手たちは、日本だけでなく世界のスポーツ史に名を刻んだ。地球規模での活躍を披露したアスリートたちの栄光を振り返る。
「やっと初恋の人に会えた」田村亮子
20世紀最後のオリンピックとなったシドニー五輪で、日本選手団は18枚のメダルを勝ち取った。金メダルと銅メダルが5枚ずつ、銀メダルが8枚という内訳だ。
「マラソン王国」ニッポンの底力を見せたのが、高橋尚子だ。指導者である小出義雄さんをはじめ周囲から「Qちゃん」の愛称で親しまれる細身のランナーは、自身初のオリンピックながら1着でゴールテープを切った。2時間23分14秒という当時のオリンピック女子最高記録をたたき出す圧巻の走りだった。
レースは中盤からルーマニアのリディア・シモンとの勝負になった。高橋はサングラスを沿道に投げ捨て加速する。シモンとの距離を離し、オリンピックの女子記録を16年ぶりに1分38秒も縮めるタイムで、金メダルを勝ち取った。レース後「すごく楽しい42キロでした」で振り返った笑顔こそ、高橋の強さの源だった。
シドニー五輪ではもう一人、日本人女子の金メダリストが誕生している。柔道女子48キロ級の田村亮子にとっては、悲願の金メダルだった。
前年12月に左手小指を故障した。決して万全の状態ではなかったが、シドニーの舞台には「最高でも金、最低でも金」と公言して挑んだ。16歳で臨んだ1992年のバルセロナ五輪も、優勝候補筆頭として戦った1996年のアトランタ五輪も、銀メダルに甘んじた。3度目の正直。シドニーではもう、負けられなかった。
ロシアとリュボフ・ブロレトワとの決勝戦は、瞬く間に終わった。試合開始から40秒足らず、田村が内股で一本を決めて決着をつけた。何度も飛び跳ね、両手で顔を覆い、両腕を突き上げ、感情をあらわにする田村。ようやく金メダルを首にかけた田村は「やっと初恋の人に会えたような感じです」と喜びを表現した。
2000年のシドニー五輪では田村と同じ柔道勢が健闘している。野村忠宏、瀧本誠、井上康生が金メダル、篠原信一と楢崎教子(ならざき・のりこ)が銀メダル、日下部基栄(きえ)と山下まゆみが銅メダルを獲得した。
体操の男子団体総合で28年ぶりの金メダル
2004年のアテネ五輪では、1964年の東京五輪と同じく、日本スポーツ界歴代最多となる16枚の金メダルを勝ち取った。
シドニー五輪に続き、2004年のアテネ五輪でも日本柔道が躍動した。8枚の金メダルと2枚の銀メダルを手にしている。3連覇の野村忠宏と2連覇の谷亮子(旧姓田村)、内柴正人、鈴木桂治、谷本歩実、上野雅恵、阿武教子(あんの・のりこ)、塚田真希が表彰台の頂点に立った。
女子マラソンでは野口みずきが優勝。男子ハンマー投では優勝選手のドーピング違反により、室伏広治が繰り上げで金メダルに輝いた。米田功(いさお)、冨田洋之、水鳥寿思(ひさし)、塚原直也、鹿島丈博、中野大輔らによる体操陣は、男子団体総合において同競技で28年ぶりとなる金メダルをたぐり寄せた。女子レスリングでは吉田沙保里と伊調馨(かおり)が、ともにオリンピック初出場ながら、金メダリストとなっている。
アテネ五輪を語るうえで欠かせないのが柔道の野村忠宏と競泳の北島康介だろう。
中学時代は奈良県大会でもベスト16あたりで足踏みを続けていた野村は、1996年のアトランタ五輪から3連覇を達成。柔道ではオリンピック史上初、全競技ではアジア人初の偉業を成し遂げた。
高校3年次に2000年のシドニー五輪に出場。100メートル平泳ぎにおいて日本新記録で4位入賞を果たした北島は、4年後のアテネ五輪で2冠を達成してみせた。8月15日に男子100メートル平泳ぎを1分0秒08で制すると、3日後の男子200メートル平泳ぎでは2分9秒44というオリンピック新記録で優勝を果たしている。100メートルで金メダルを獲得した直後の「チョー気持ちいい!」という発言は、日本スポーツ史に残るものとなっている。
レスリングの吉田沙保里と伊調馨が連覇
計28枚のメダルを獲得した2008年の北京五輪では、3人のアスリートが連覇を達成した。競泳の北島康介と、レスリング女子フリースタイル55キロ級の吉田沙保里と同63キロ級の伊調馨だ。
北島は100メートル平泳ぎを58秒91の世界新記録で制し、200メートル平泳ぎでは2分07秒64のオリンピック新記録で金メダルを獲得している。圧巻の泳ぎでアテネ五輪に続く2冠2連覇を果たしてみせた。100メートルで世界レコードを出した後のインタビューでの「何も言えねぇ」という姿を覚えているスポーツファンも多いだろう。北島は宮下純一、藤井拓郎、佐藤久佳(ひさよし)とともに男子4×100メートルメドレーリレーでは銅メダルを勝ち取っている。
レスリングの吉田沙保里は全日本レスリング選手権大会で7連覇を果たして北京の大舞台に挑んだ。決勝で地元中国の許莉(シュイ・リ)にフォール勝ちを収め、王座を死守した。伊調馨は初戦から2戦連続のフォール勝ち。決勝は延長までもつれ込んだものの、タックルを決めて2大会連続の金メダリストとなった。姉の千春はアテネ五輪に続き銀メダルを獲得している。
北京五輪は日本陸上界と日本フェンシング界にとって重要な大会となった。男子4×100メートルリレーで塚原直貴、末續慎吾、髙平慎士、朝原宣治が銅メダルを獲得。のちに1位・ジャマイカチームのドーピング違反により銀メダルに繰り上げされたが、いずれにせよ男子トラック競技で日本初のメダル獲得という偉業だった。一方、フェンシングでは、男子フルーレの太田雄貴が銀メダルを勝ち取った。日本フェンシング界初のオリンピックメダルを持ち帰った太田は2017年8月にフェンシング協会の会長に就任、競技の普及発展に尽力している。
連覇や2冠、日本初のメダルが示すとおり、2000年代のオリンピックは日本スポーツ界の進展や成熟を世界に知らしめた舞台だったと言える。