東京五輪で韓国勢の高い壁を切り崩せ、アーチェリー注目の3選手

アーチェリーは生涯スポーツとして幅広い年齢層から愛されている。

弓を引き、的を狙い、弦を放す。的に向かって放たれる矢で得点を競うアーチェリー。いたってシンプルに勝敗が分かれるスポーツだが、その一方で、風など自然条件への対応や、相手との駆け引きといった、判断力、精神力を問われることも多く、そんなところも見どころのひとつでもある。そして、アーチェリーは、年齢や性別を問わず、気軽に楽しめる生涯スポーツとしても人気が高く、子どもからお年寄りまで、幅広い年齢層で親しまれている。

男女ともに飛び抜けた強さの韓国

アーチェリー競技にはいくつか種類がある。屋外の平坦な射場で行うターゲットアーチェリー、森や山などで行われるフィールドアーチェリー、室内で行われるインドアアーチェリーなど、競技の種類はさまざまだ。オリンピックではターゲットが実施され、予選となるランキングラウンドと決勝戦のオリンピックラウンドという方法で行われている。

70m先にある標的に向けて矢を射る。的は直径122cmの円で、中心に当たれば10点。外側に向けて得点となる同心円の帯が並んでいて、9点、8点……1点と外側に向かって点数は小さくなる。オリンピックに出場する選手の人数は、男女それぞれ64名(1カ国3名まで)。オリンピック前年に開催される世界選手権大会が、最大の五輪予選選考会となる。

アーチェリーの強豪国といえば、男女ともにダントツなのが韓国。男子では、アメリカ、イタリア、オーストラリア、フランス、日本などが続き、女子は中国、ロシア、チャイニーズタイペイ、ドイツ、ロシア、メキシコ、日本などがメダル候補だ。層の厚い韓国の牙城を、どう崩していくのかが、最大のポイントになるだろう。今、東京五輪を目前にして、注目している日本選手がこの3人だ。

アーチェリー界を牽引するエースの使命:古川高晴

現在、日本の第一人者といえば、古川高晴になるだろう。先のリオデジャネイロを含め、4度のオリンピック出場を誇り、ロンドン五輪では銀メダルを獲得した。古川は1984年生まれ、青森県の出身で、普段は近畿大学の職員という顔も持っている。

彼がアーチェリーと出会ったのは高校時代。 進学した青森東高校には弓道部がなく、「同じ弓だから」という理由で、アーチェリーを始めたという。2002年、高校3年生のときにジュニア選手権に出場し、第57回国民体育大会(高知国体)では見事優勝を果たした。その後、近畿大学に進学した古川は、1年生のときから全日本王座決定戦に出場。翌2004年に開催されたアテネ五輪に出場し、個人で2回戦進出、団体で8位の成績を残す。2度目の北京五輪は、初戦敗退という苦い結果に終わった。

この経験を糧に、さらに練習を重ねた古川は、3度目となる2012年ロンドン五輪の切符を手にする。男子団体では、惜しくもメダルには届かず、6位という結果に終わってしまったが、個人で快進撃を続け、アーチェリーの日本選手では歴代3人目の銀メダリストとなった。

2015年世界選手権で銅メダルを獲得した古川の射形の美しさは「世界トップクラス」と評されるほど。すでにアーチェリーにおける世界的な選手として認知されている。リオデジャネイロ五輪では、男子団体出場権を失った日本選手の中で、唯一、個人で代表となったのが古川だが、惜しくも5位という成績に終わった。

過去4度の五輪出場経験があり、36歳という年齢で迎える東京五輪。体力だけでなく、精神力の強さも問われるアーチェリーは、40代のトップ選手もいるので、年齢が理由になることはないだろう。円熟味を増す古川の活躍が楽しみだ。


アーチェリー界のシンデレラ:川中香緒里

女子アーチェリー界のエースといえば、川中香緒里だろう。体格差によるハンデが少ないアーチェリー競技とはいえ、身長159cmと小柄な川中が、世界のトップアスリートと互角以上に渡り合っている。

1991年8月3日鳥取県に生まれた彼女。アーチェリーを始めたのは遅く、米子南高等学校に入学してからだ。始めたころは、そんなに上手くなかったというが、高校2年生ぐらいから成績が伸びだして、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場できるまでに成長した。「競技もこれで最後」と思って出場した高校3年のインターハイで、彼女の人生を大きく左右することが起こる。団体戦は優勝したものの、個人戦で納得のいくプレーができず、なんと1回戦で敗退してしまった。アーチェリーをやめるつもりだったが、その考えを一転させ、スポーツ推薦の話を断っていた近畿大学に、改めて進学の意思を固めた。近畿大学進学後は、アーチェリーの名門ならではの環境で練習に打ち込み、その才能をさらに伸ばしていった。

在学中にロンドン五輪代表となると、早川漣と蟹江美貴とともに、女子団体3位決定戦で勝利し、団体戦日本初の銅メダルを獲得した。続く2016年8月、リオデジャネイロ五輪に日本代表として参加。女子団体戦で、永峰沙織、林勇気とともに2大会連続のメダル獲得を目指すも、準々決勝戦で韓国に敗退し、8位という成績に。個人戦では2回戦敗退で終わった。

現在は、目下3度目となる2020年東京五輪の出場を目指し、研さんを重ねる川中。小柄な彼女だがシューティングラインで構えると、力強く圧倒的な存在感を放つ。射場の外と内で、その姿はまるで別人のようだ。リオ五輪の悔しさを東京で晴らすことができるのか。 ぜひ、弾けるような笑顔を咲かせて欲しい。

アーチェリーの魅力を一射に込めて:早川漣

2012年ロンドン五輪に出場し、女子団体で銅メダルを獲得した早川漣。彼女の経歴は、少しばかり複雑だ。1987年8月24日生まれの彼女は、元々は大韓民国の全州出身。幼少の頃、両親が離婚したため、韓国の父の元で育った。アーチェリーを始めたのは、小学校3年生のころ。全北体育高校から実業団に進んだが、レベルの高い実業団で挫折した。

その後、日本に移り住んでいた母を追い、2007年に来日、日本体育大学に入学した。日体大入学を機に2009年末に日本国籍を取得。日本での新たな出会いが、再びアーチェリーと向き合う原動力となり、2010年全日本ターゲットアーチェリー選手権大会で初優勝するなど、国内大会で好成績を残し、大学4年生のときに日本代表に選出された。

女子団体で銅メダルを獲得したロンドン五輪後、2015年に右肩痛で一度は現役を引退するも、周囲の関係者からの期待に応え、2016年に復帰。外国人選手にも引けを取らない179cmの長身とダイナミックな射形を武器に、2017年アンタルヤワールドカップで団体2位、2018年ソルトレークシティワールドカップで団体3位に入るなど第一線で活躍。そのプレーはベテランならではの円熟味を見せている。当面の目標は2020年の東京五輪。活躍が期待されるひとりだ。

息を呑む瞬間を見逃すな

体力や技術はもちろんのこと、わずかな雑念がミスにつながり、メンタルの強さが勝敗を分けるアーチェリーという競技。どんなに試合を重ね、経験を積んでも、大会中には、必ず「特別な場面」や「強烈なプレッシャー」が訪れる。一流選手たちは、どれだけ平常心を保ちながら、正確な矢を放つのか。2020年東京五輪では、その1射、1射の行方に注目しよう。

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