日本がオリンピックの競泳で初の金メダルを獲得したのが平泳ぎだ。1928年のアムステルダム五輪で鶴田義行が世界一に輝くと、そこから日本の「お家芸」の平泳ぎの歴史は始まった。伝統を引き継ぎ、平泳ぎに情熱を傾け続ける男、小関也朱篤(こせき・やすひろ)を中心とする日本の選手たちは、東京五輪でもメダル争いを繰り広げてくれることだろう。
ほぼ無名の高校生から力をつけた小関也朱篤
2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪の2大会連続、100メートルと200メートル平泳ぎの2冠を果たした北島康介の活躍は、記憶に新しい。
ただし、「蛙王」と称された北島の前から、平泳ぎでは日本が世界を席巻していた。オリンピックの平泳ぎで日本人初の金メダルを獲得したのは鶴田義行の200メートル平泳ぎ。舞台は1928年のアムステルダム五輪だった。そこから日本は、平泳ぎで幾度となくオリンピックのメダルを獲得してきた。
今の日本水泳界にも、栄光の歴史を引き継ぐ男がいる。小関也朱篤。男子50メートル、100メートルの平泳ぎで日本記録を保持する選手だ。28歳という円熟期に東京五輪に臨む。
出身地である山形県の羽黒学園羽黒高等学校時代は、100メートル平泳ぎのインターハイ3位が最高位。幼少から目立つスイマーだったわけではなく、決して華々しいキャリアを築いてきたわけではない。だが、平泳ぎに対する思いは、誰よりも熱く、強い。
日本体育大学進学後、今も小関が師事する藤森善広コーチは自由形の強化を小関に課した。入学してから3年間、小関は大会も自由形中心に出場する日々を続ける。それでも、日本の平泳ぎの強さに憧れ、自分がその平泳ぎの選手であることに高い誇りを持ち続け、情熱を失うことはなかった。
そして大学4年生の2013年、初の国際大会の舞台に挑むと、小関は平泳ぎの選手として一気にその才能を開花させた。夏季ユニバーシアードの男子100メートル平泳ぎ決勝で金メダルを獲得。翌2014年、のパンパシフィック水泳選手権では、100メートル、200メートル平泳ぎで2冠を達成した。自身初のオリンピックとなった2016年のリオデジャネイロ五輪の平泳ぎ200メートルでは、ライバルであるドミトリー・バランジン(カザフスタン)や、アントン・チュプコフ(ロシア)に破れてメダル獲得はならず、5位に終わった。しかし、翌2017年の世界水泳選手権の200メートル平泳ぎでは2分07秒29で2位に輝く。ほぼ無名の高校生から一転、世界に存在感を見せつけた。
順調に成長を続ける小関だが、まだその道は半ばだ。その証拠に、いくら日本記録を樹立しても、いくら国際大会でメダルを獲得しても、本当に満足した様子は見せない。彼が本当にめざすのは、真の世界一。その称号を手にするまで、小関は上を見続け、自分を磨き続ける。
小関のライバルや日本女子の実力者たち
平泳ぎの求道者である小関のライバルとなるのは、前述のバランジンやチュプコフら海外選手だけではない。2017年に200メートル平泳ぎの世界記録をたたき出した渡辺一平もその一人だ。100メートルでは、飛び抜けた世界記録を持つアダム・ピーティ(イギリス)がいる。彼らの決着は、世界最高峰のオリンピックの舞台がふさわしい。2020年東京五輪で、きっと彼らは観客の記憶に刻まれるレースを披露してくれることだろう。
もちろん、平泳ぎの注目選手は男子だけに限らない。筆頭は鈴木聡美だ。鈴木は2012年のロンドン五輪の100メートル平泳ぎで銅メダル、200メートル平泳ぎで銀メダルを獲得した。2018年のアジア競技大会では50メートルと100メートル平泳ぎの2冠を果たしている。
鈴木以外にも、リオデジャネイロ五輪の女子200メートル平泳ぎで金メダルに輝いた金藤理絵の跡を継ぐ実力者たちが少なくない。2018年のアジア競技大会の100メートル平及びで銀メダルを手にした青木玲緒樹や、2017年世界水泳選手権の200メートル平泳ぎで金メダリストとなった渡部香生子らに期待がかかる。
1992年には中学2年の岩崎恭子が金メダル
常にレベルの高い選手が輩出し続けてきた日本水泳界の男女平泳ぎは、すべてのレースが見どころと言っても過言ではない。
さかのぼれば、初めて競泳競技で日本がオリンピックの金メダルを獲得したのは、200メートル平泳ぎだった。すでに述べたとおり、1928年のアムステルダム五輪で鶴田義行が世界一に輝いた。鶴田は1932年のロサンゼルス五輪でも200メートル平泳ぎを制して連覇を達成。同大会では女子の前畑秀子が200メートル平泳ぎで銀メダルを獲得している。「前畑がんばれ!」の実況で知られる前畑は、1936年のベルリン五輪の200メートルでは金メダルを獲得した。
前畑が日本人女性としてオリンピック史上初の金メダルを手にした1936年のベルリン五輪では男性陣も奮闘した。葉室鉄夫が引退した鶴田の跡を継ぎ、200メートル平泳ぎで金メダルを獲得している。その後、男子は古川勝、大崎剛彦、田口信教とメダルの歴史を紡いでいき、オリンピック2大会連続2冠の偉業を成し遂げた北島康介へと道が続く。
女子は前畑以来、オリンピックのメダルが遠ざかってしまったが、1992年のバルセロナ五輪で当時中学2年生だった岩崎恭子が200メートル平泳ぎで、世界中を驚かせる優勝を果たす。そしてロンドン五輪で鈴木聡美が銀銅2つのメダルを獲得すると、リオデジャネイロ五輪では金藤理絵が200メートル平泳ぎで金メダルに輝いた。
このように、日本の平泳ぎは、まさに世界に誇る「お家芸」と言えるほどの結果をオリンピックで残し続けてきた。
日本勢が平泳ぎを得意とする理由と課題
なぜこれほど日本が平泳ぎで世界を席巻し続けられるのか。その理由の一つが、水の抵抗と戦い続ける競泳4種目において、技術的要素の強い種目であることが挙げられる。
どうしても体格で海外選手に劣る日本人は、昔から技術力で勝負をしてきた。なかでも、水の抵抗を減らしつつ、高い推進力を生み出す能力は現在も長けている。その技術力の結晶とも言えるのが、北島康介の泳ぎだった。
技術力が問われる平泳ぎは、オリンピック種目としては男女の100メートルと200メートルが行われる。歴史が示すように、日本勢は100メートルよりも200メートルを得意としてきた。
技術力に加え短距離に凝縮させる強固なパワーも必要になる100メートルでのレベルアップが、日本が抱える大きな課題といえる。日本の男子平泳ぎを牽引する小関も渡辺も、どちらかといえば200メートルのほうが世界一に近い場所にいる。それは女子も同じだ。
東京五輪に向けては、2019年に韓国・光州で開催される世界水泳選手権が大きな試金石となる。、東京五輪から1年前に迎える大舞台で、200メートルだけではなく、100メートルでどれだけ世界に近づくことができるか。そこでの好結果が、東京五輪のメダルへとつながることは間違いない。