帰ってきた川澄奈穂美は、なでしこジャパンに経験をもたらす。

2018年になでしこジャパンへ約2年ぶりに復帰した川澄奈穂美。

2019年6月、フランスのパリで開幕する FIFA女子ワールドカップ。2018年12月に、国際サッカー連盟(FIFA)はグループステージの組み合わせ抽選会を行い、2大会ぶりの優勝を目指す“なでしこジャパン”は、グループDに入り、イングランド、スコットランド、アルゼンチンと対戦することが決定した。2018年3月、ワールドカップ出場権獲得とともに、大会2連覇がかかったAFC女子アジアカップを戦う日本女子代表メンバーが発表され、ある選手が果たした2年ぶりの電撃復帰が大きな話題となった。川澄奈穂美である。

“戦える選手”として指揮官も期待

「なでしこジャパン」は、2016年3月、日本国内で開催されたリオデジャネイロ五輪のアジア最終予選で、上位2チームに入ることができず、4大会連続のオリンピック出場権を逃した。2011年ワールドカップ・ドイツ大会優勝、翌2012年ロンドン五輪銀メダル、2015年カナダワールドカップ準優勝など、国際舞台で輝かしい成績を残してきた“なでしこ”の敗退で、世界の女子サッカー界に衝撃が走った。

2016年4月、佐々木則夫前監督の後任として高倉麻子が「なでしこジャパン」の監督に就任。史上初となる女性代表指揮官は、チームをゼロから再構築するべく、若手を積極的に起用した。これまで川澄が主戦場としてきたフォワードやミッドフィルダーのポジションには、日テレベレーザの長谷川唯や籾木結花といった新戦力が起用され、佐々木前監督のもとで、スーパーサブ的な存在だったINAC神戸レオネッサの岩渕真奈や中島依美らが、先発メンバーとして期待に応える中、佐々木監督時代に活躍した川澄は、高倉監督の「なでしこジャパン」から、2年もの間、遠ざかることになる。

しかし、アジアカップに出場する代表メンバー発表の際、高倉監督は「チームが若返りを図る中で、若手にチャンスを与えなければいけなかった」と、これまでの戦いを振り返った上で、川澄については、「シアトルでプレーしているが、ずっと注目し追いかけていた選手」だったと語った。また、「試すよりも本番で戦える選手」と評した上で、「チームを精神的に締めてくれるといったような大きな期待を持っている」と、その経験と存在感に期待を寄せた。

代表復帰後の川澄は、主に途中交代で起用されている。持ち味のスピードや抜け出すタイミングの良さを武器に、得点力不足が課題だった攻撃陣に、好循環をもたらした。川澄の代表復帰戦は2018年4月1日のMS&ADカップ2018ガーナ戦。後半14分から途中出場し、精度の高いクロスから1アシストを記録した。FIFAランキング46位(当時)格下相手で、7-1という大量得点で勝利し、ヨルダンで行われるアジアカップに弾みをつけた。また、川澄持ち前の明るいキャラクターが、ピッチ内外でのチームの雰囲気作りに、効果的に作用しているようだった。

なお、川澄はFIFA女子ワールドカップ出場を決めたAFC女子アジアカップで、5試合中3試合に出場(うち2試合がスタメン)し、大会2連覇に大きく貢献。高倉監督の期待にしっかりと応えた。


チームを牽引するリーダーを経て活躍の場を海外へ

川澄奈穂美は1985年9月23日生まれ。神奈川県大和市の出身だ。川澄がサッカーと出会ったのは小学2年生のころだ。地元の少女サッカーチーム、林間SCレモンズに所属し、そのキャリアをスタートさせた。中学から高校にかけての6年間は、林間SCレモンズの受け皿となる新チームの大和シルフィードに所属した。川澄は6年間で1日も休まずに練習に参加したそうだ。高校卒業後、日本体育大学に進学。4年連続で全日本大学女子サッカー選手権大会に出場し、2004年の第13回大会と2007年の第16回大会の2度、優勝を経験している。

2008年には、INAC神戸レオネッサに入団。2011年シーズンにはキャプテンも務め、さらに全12ゴールで、自身初となるリーグ得点王のタイトルを獲得した。リーグの年間表彰式でも最優秀選手賞(MVP)とベストイレブンを獲得し、得点王と合わせて、個人タイトル三冠を達成した。2014年からの2年間は、シアトル・レインFCにレンタル移籍。1度はINAC神戸に復帰するも、2016年から再びシアトル・レインFCへ、今度は完全移籍する。そして、リーグの年間ベストナインやアシスト王に選出されるなどの活躍を見せた。2019年はニュージャージー州を本拠地とするスカイブルーでプレーする。

憧れは目標に、夢は形に。

川澄にとってのスターは澤穂希だ。小学生時代から彼女に憧れ、6年生のときに所属チームが優勝した記念で、上尾野辺めぐみとともに澤のひざの上に乗り、写真を撮影してもらったことがある。そして時は流れ、日本体育大学在籍中に、2004年アテネ五輪アジア予選の北朝鮮戦を国立競技場で観戦。右ひざ半月板の損傷で歩くのも困難だった澤が、故障をおして奮戦する姿を目の当たりにし、「澤さんと一緒にピッチに立って世界の頂点に立つ」という明確な目標ができたと川澄は後に語っている。

この目標は

2011年FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会で成就した。決勝でアメリカを下し、澤とともに世界一となった。ちなみに2015年、澤の現役最後の試合となった第37回皇后杯決勝のアルビレックス新潟レディース戦。現役最後であり、値千金の決勝弾となった澤のヘディングゴールを、コーナーキックからお膳立てしたのは川澄である。

ワールドカップ優勝へと導いた折紙付のスタミナ

川澄が“なでしこジャパン”でデビューしたのは、2008年AFC女子アジアカップのチャイニーズタイペイ戦。同年の北京五輪代表メンバーから落選するという苦い経験も味わったが、2011年にはアルガルベカップのフィンランド戦で代表初ゴールを挙げ、徐々に監督やメンバーらの信頼を勝ち取っていく。

そして、並み居る強豪国を抑えに抑えて、見事世界一に輝いた2011年、ワールドカップ・ドイツ大会は、日本女子サッカーへの注目度を一気に高めるスポーツ史に残る出来事となった。中でも、スウェーデン戦で2得点を挙げ、その活躍が「シンデレラガール」と称され、日本の優勝に、華々しく貢献したことは印象深い。佐々木則夫監督が評価したのは、川澄の群を抜いた持久力。

前半に相手DFともつれながら右足で押し込みゴール、後半は、約30mのロングシュートをゴールに蹴りこんだ。このゴールはFIFAのゴール・オブ・ザ・デイにも選出されている。

4年間の想いを胸に復帰、勇んで東京2020へ

リオデジャネイロ五輪出場をかけたサッカー女子アジア最終予選のメンバーに、川澄は選出され、ベトナム戦で1得点を挙げたものの、チームは予選3位となり、4大会連続となる五輪出場権を逃した。川澄奈穂美には、チーム随一のスタミナとアシスト力、そして、大舞台での栄光と悔しさのいずれも味わった経験値がある。それは、苦しいときこそ攻めて、道を切り拓いていくという、川澄選手の持ち味である“勝負強さ”にほかならないだろう。

2020年東京五輪の前に、“なでしこジャパン”には、2019年6月に開催されるワールドカップ・フランス大会がある。

グループDでイングランド、スコットランド、アルゼンチンと対戦し、決勝トーナメントに何としてでも進まなければならない。2018年はアジアカップとアジア競技大会で優勝することができた。高倉監督は「チームとして大きく成長することができた1年だった」とした上で、ワールドカップ優勝を2019年の目標として掲げて、「残り半年を1日も無駄にすることなく、最高の結果を勝ち取りたいと思う」と意気込みを語っている。舞台が大きくなればなるほど、頼もしい働きを見せてきた川澄奈穂美。彼女がこのワールドカップでどのような活躍をするのかが、2020年東京五輪を占う上で重要判断材料になるだろう。果たして川澄は心身ともにチームの核となり得るのか。川澄の動向に注目したい。

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