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川内優輝:ボストンで31年ぶりの快挙を達成。川内優輝は東京五輪を目指すのか

川内優輝選手
川内優輝選手
川内優輝選手

2018年4月16日、アメリカで開催された第122回ボストン・マラソンで勝利を収めたのは、川内優輝だった。1987年の瀬古利彦以来、31年ぶりとなる日本人の優勝者。さらに、2006年にスタートした世界最高峰シリーズ「ワールド・マラソン・メジャーズ」における日本勢初制覇となった。

川内は公務員ながら、2011年の東京マラソンで、実業団の有力選手を抑え、日本人トップ(3位)となったことで注目された「市民ランナー」だ。実業団からの誘いを断り続け、31歳となった現在も、埼玉県立久喜高等学校定時制で事務を担当している。その川内がボストンから帰国後、翌年4月からプロに転向することを表明した。突然のプロ宣言。東京五輪に参加しない意向を示していたが、オリンピック初出場を目指すことになるのだろうか。

2018年4月16日、第122回ボストン・マラソンで勝利を収めた川内優輝選手
2018年4月16日、第122回ボストン・マラソンで勝利を収めた川内優輝選手

箱根駅伝で好成績も、市民ランナーの道を選択

川内優輝は1987年3月5日、東京都世田谷区に生まれた。高校時代、ボクシングの選手だった父・葦生と、陸上部だった母・美加の長男だ。川内家は優輝が小学校に入学する前に、北葛飾郡鷲宮町(現・久喜市)へと引っ越した。優輝は母の影響もあり、砂原小学校在学時から、近所の公園で陸上のトレーニングを開始する。ちなみに、母、次男の鮮輝、三男の鴻輝も、優輝と同様に、市民ランナーとして活動している。

川内は鷲宮中学校に進学後、陸上競技部に所属する。そして、陸上の強豪、春日部東高等学校に進学。川内は2年生のときにレース中に負傷し、苦しい時期を過ごすことになる。さらに、卒業直前に父の葦生が59歳で逝去。学習院大学への進学が決まっていた川内は、陸上部で箱根駅伝出場を目指し、練習に励むようになる。川内の在学中、学習院大は箱根駅伝の予選を突破することはできなかったが、川内自身は関東学生連合チームの一員として2007年と2009年の2度、箱根駅伝で走るという夢をかなえた。

4年生のときは、第6区を走って区間3位。実業団から声も掛ったが、家族を支えるために、公務員の道を選択する。しかし、川内は走ることをやめなかった。埼玉県庁に就職した後もフルタイム勤務の市民ランナーとして競技を続け、数多くのマラソン大会に参加するようになる。

2度のオリンピック落選、世界陸上で9位も

2010年1月、東京都北区で開催された第11回谷川真理ハーフマラソンで優勝。同年2月の東京マラソンでは4位入賞を果たした。そして、翌年の東京マラソンでは、エチオピアのハイル・メコネン、ケニアのポール・ビウォットに次ぐ、日本人最上位となる3位でゴールする。記録は2時間08分37秒。この結果、同年9月に大韓民国・大邱で開催される世界陸上競技選手権大会への切符を手にした。市民ランナーの快挙達成で、メディアも河内に注目するようになる。しかし、世界陸上は日本人3番手の18着だった。川内にとっては不本意な結果だったが、各国の上位3名の合計タイムで競うマラソン団体では、ケニアに次ぐ銀メダル獲得に貢献した。

世界陸上競技選手権大会2011のマラソン団体で銀メダルを獲得。川内選手は画面中央
世界陸上競技選手権大会2011のマラソン団体で銀メダルを獲得。川内選手は画面中央

ロンドン五輪での活躍も期待された川内だったが、代表選考レースとなった2012年の東京マラソンで失速。成績は14位に終わり、オリンピック出場を逃した。しかし、川内は代表落選後も、精力的に競技会に出場する。2012年4月には茨城土浦市で開催された、かすみがうらマラソンに出場。自身12度目となるフルマラソンで初優勝を果たした。そして、2013年2月、別府大分毎日マラソンで優勝。2時間08分15秒という自己ベストを記録し、同年8月にロシア・モスクワで開催される世界陸上の代表に選出される。しかし、結果は日本人4番手の18位に終わった。

マラソンでは「サブ10」、すなわち2時間10分を切るタイムで完走することが、一流ランナーの証明とされている。川内は2013年12月1日、福岡国際マラソンで3位ながら、日本人トップの2時間09分05秒で完走。そして同月15日に防府読売マラソンで日本人トップの2位で完走する。そのタイムは2時間09分15秒。中13日という日程でのサブ10達成は世界記録だ。

2014年3月、びわ湖毎日マラソンでは、日本人2番手となる4位。韓国・仁川で開催されるアジア競技大会への切符を得る。同大会では終盤までデッドヒートを演じて3位。1位のハサン・マフブーブ(バーレーン)とは4秒差、2位の松村康平とは3秒差という結果だった。再びオリンピック出場への期待が高まるが、選考会となったレースでは満足な結果を残せず、リオデジャネイロ五輪の出場を逃すことになる。2017年にロンドンで開催された世界陸上に出場。過去2大会では満足な走りを見せられなかったが、日本人トップの9位でフィニッシュ。川内は帰国後の記者会見で、東京五輪は目指さないと表明した。

マラソングランドチャンピオンシップ出場権を獲得、東京五輪への道

東京五輪の代表選手選考は、2019年9月に開催されるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で2枠を決定。残り1枠は選考対象となる3大会の中から、2019年5月に発表の派遣設定記録を突破し、記録最上位の選手を選ぶことになっている。

そうした中、川内は2017年12月、防府読売マラソンに出場して優勝。MGC出場権を獲得する。そして、ボストン・マラソンで31年ぶりの快挙を達成し、プロ宣言。暑さに弱いため、地元開催の東京五輪に参加しない意向を表明しているが、果たしてMGCに出場するのか。市民ランナーとしてマラソン界をけん引してきた川内の勇姿を、オリンピックで見たいと願うファンは、決して少なくないはずだ。

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