川元奨(かわもと・しょう)は男子800メートルの日本記録を持つ。陸上一家で育った彼は決してその才能に甘んじることなく、あえて厳しい環境に身を置くことで成長を続けてきた。オリンピック初出場となったリオデジャネイロ五輪において0秒01の差で準決勝に届かなかった悔しさを胸に、自国開催の舞台をにらむ。
地道な努力でつかんだリオ五輪代表の座
川元奨(かわもと・しょう)は1993年3月1日に長野県佐久市で生まれた。陸上の中距離界で数々の記録を樹立しつづけているが、競技と出合った時期は意外にも遅く、中学入学後だった。それまではバスケットボールに打ち込んでいた。
ただし、両親が陸上経験者であり、姉は陸上部に所属していた。そのため、川本のバスケ部と姉の陸上部の応援日が異なると困ると両親が言ってきたという。本人いわく半強制的に陸上部に入部することになったという逸話がある。
競技開始直後は1500メートルを主戦場としていたが、ジュニアオリンピック出場を見据えると、同大会には1500メートルがないため800メートルに転向。中学3年時にはその大舞台で4位入賞という成績を残し、本格的に同種目に絞ることを決めた。
高校進学の際には、駅伝の強豪校として知られる佐久長聖高校からのスカウトも受けている。ただ、長距離に対しては苦手意識があったため、中学の顧問の助言を受けて北佐久農業高校(現・佐久平総合技術高校)を選んだ。入学後には陸上経験のあった顧問が転勤になり、未経験の指導者のみとなったが、元顧問は綿密に連絡を取り合って練習メニューを組んでくれたという。
決して立派なトレーニング施設で練習していたわけではない。学校付近の坂道ダッシュというシンプルかつ地味な練習も多かったが、努力は裏切らなかった。高校2年次には日本ユース選手権の800メートルを制覇。3年次には全国高等学校総合体育大会と国民体育大会の800メートルで2冠を達成し、その名を全国に知らしめた。
悔しい経験を生かして再び大舞台へ
日本大学在学中には、自身初となるシニア世代での日本代表に選出された。2013年の東アジア大会の800メートルで金メダル、4×400メートルリレーでは銀メダルを手にした。翌2014年5月にはセイコーゴールデングランプリ東京の舞台で、1分45秒75という800メートルの日本記録を樹立している。
大学卒業後はスズキ浜松アスリートクラブに加入する。2015年のアジア選手権で3位、同年と翌2016年に日本選手権を連覇と次々と好成績を収め、見事リオデジャネイロ五輪代表の座を勝ち取った。
しかし、世界の壁は厚かった。「トラックに入った瞬間に緊張がほぐれ楽しく走ることができた」と川元は振り返る。だが、結果は1分49秒41の4位で予選敗退を喫している。準決勝進出となる3位とはわずかに100分の1秒差。後悔が残る大会となった。
2020年の東京五輪時には27歳になっている。本人は「前回大会の経験を生かして準決勝、決勝に進めるよう努力する」と決意を語っており、そのためにも2019年9月に始まる世界陸上競技選手権大会では、自身が持つ日本記録の更新をめざしている。
2018年2月にニューヨークで行われた大会では、1分47秒78の室内日本記録を打ち立てた。同年8月のアジア競技大会の予選ではリオデジャネイロ五輪のタイムを上回る1分48秒07というタイムを出して決勝進出を果たし、7位に食い込んでいる。好調を維持しているだけに2度目のオリンピックでの逆襲に期待せざるを得ない。