岡澤セオン:「偉大なる強さ」を追求するボクサーは、不良の先輩と年下の天才高校生から大きな影響を受けた【アスリートの原点】

ボクシングの思いが捨てきれず、かばん一つで鹿児島県へ

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
東京五輪アジア・オセアニア予選、男子ウエルター級5位決定戦に臨む岡澤セオン
/時事

岡澤セオンは、陸上のサニブラウン アブデルハキームやケンブリッジ飛鳥、バスケットボールの八村塁、テニスの大坂なおみと共通点を持つ。その名が示唆するとおり、東京五輪での活躍が期待されるアフリカ系日本人だ。ボクシングを始めたきっかけは、「おっかない先輩」の威圧感だった。

小学1年生から9年間、レスリングにのめり込む

1995年12月21日、ガーナ人の父と日本人の母との間に生まれた。出身は山形県山形市。フルネームは岡澤セオンレッツクインシーメンサで、父が名づけた「セオン」という名はエジプト神話の神セトに由来する。セトは「偉大なる強さ」を持つと伝えられてきた。

少年時代に親しんだスポーツはレスリングだ。小学1年生のころに地元の教室、山形クラブで始めると、結果がすぐについてきた。2003年10月に行われた宮城ジュニアレスリングフェスティバルに出場し、小学1・2年生の26キロ級で優勝を果たす。順風満帆のスタートをきったこともあったのだろう、レスリングにのめり込み、山形大学附属中学校を卒業するまでの9年間、マットの上で戦った。

中学時代には山形市中学校駅伝競走大会に出場し、3.1キロメートルを疾走し駅伝ランナーとしての足跡も残している。2年次は第3区を10分38秒、3年次は第2区を10分29秒というタイムで走り抜けた。

中学卒業後は野球の名門としても知られる日本大学山形高等学校に進学する。高校にレスリングを続ける環境はなく、部活は陸上部かラグビー部に入部しようかと考えていた。

競技を始めてほどなくインターハイで5位入賞

ぼんやりと進路を定めていた新入生に突然、アスリートとしての転機が訪れた。入学式当日、いかにも不良っぽい学生服と金の時計をまとった先輩に「ボクシング部に入れ」と迫られた。強制され見学に訪れると、ほぼ強制的に入部届けを書かされた。

望んだ形ではなかったが、レスリングで体になじませた相手との間合いの取り方や縮め方が生きた。ミットをはめてほどなく結果を出してみせる。17歳の時に山形県高等学校総合体育大会のライト級を制覇。同年にはインターハイの名で知られる全国高等学校総合体育大会に出場し、同階級で5位入賞を果たした。

大学は中央大学に進学。実家を離れ法学部で学ぶかたわら、ボクシング部で汗を流した。1年次に全日本ボクシング選手権大会と国民体育大会のライトウェルター級に出場し、国体では3位入賞という結果を残した。4年次には国体のライトウェルター級で準優勝を果たしている。

卒業後の就職が内定していたが、ボクシングへの思いは捨てきれなかった。鹿児島県体育協会が2020年の国体成功をめざし指導員を探している──その話を聞きつけると、文字どおりかばん一つで鹿児島に向かった。そして、鹿屋市のボクシングジムで新たなターニングポイントが訪れた。

大きな影響を与えてくれたのは、荒竹一真(あらたけ・かずま)だ。「九州の怪物」の異名をとる高校生で、1年生で高校の主要大会3冠を果たしている。自分より年下の少年がとりつかれたようにボクシングに向き合う姿を見て、何よりも選手として刺激を受けた。そして2019年、自身初の国際大会となるアジア選手権で日本人として36年ぶりとなるウェルター級銀メダルを獲得し、東京五輪出場を内定させた。

不良の先輩と年下の天才高校生。2人にも導かれ道を切り開いてきた叩き上げのボクサーは、「偉大なる強さ」を追い求め、長いリーチと距離感を生かしたアウトボクシングに磨きをかけていく。

選手プロフィール

  • 岡澤セオン(おかざわ・せおん)
  • ボクシング ウェルター級(63−69Kg)
  • 生年月日:1995年12月21日
  • 出身地:山形県山形市
  • 身長:179センチ
  • 出身校:山形大学附属中(山形)→日本大学山形高(山形)→中央大(東京)
  • 所属:鹿児島県体育協会
  • オリンピックの経験:なし
  • ツイッター:Sewon 岡澤セオン (@5678243)

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