小池祐貴:かつての「エースで4番」は、ライバル桐生祥秀の背中を追い、進化を続ける

得意の200メートルで20秒03の日本記録超えを狙う

2018年にはアジア競技大会の男子200メートルで優勝。ゴール後は勢い余って転倒するほどの激走だった

2018年アジア競技大会の男子200メートルを制するなど、小池祐貴が急成長を見せている。高校時代は「桐生祥秀のライバル」と目されながらも小さくない差を実感してきたが、彼自身の成長によってその差が詰まった部分もある。めざすは本人が「得意」と語る200メートルの日本記録樹立、そして2020年東京五輪での快走だ。

2018年アジア競技大会の男子200メートルを制するなど、小池祐貴が急成長を見せている。高校時代は「桐生祥秀のライバル」と目されながらも小さくない差を実感してきたが、彼自身の成長によってその差が詰まった部分もある。めざすは本人が「得意」と語る200メートルの日本記録樹立、そして2020年東京五輪での快走だ。

高校3年次には全国高等学校総合体育大会で2位に

小池祐貴は1995年5月13日、北海道小樽市で生まれた。短距離を専門とするスプリンターであり、現在は100メートルで10秒17、200メートルで20秒23という自己ベストを持つ。

もともとは野球少年。立命館慶祥中学校では野球部に所属してエースで4番を務めていた。しかし、3年夏の引退後に個人競技に興味を持ち、陸上への転向を決意する。秋には初めて100メートル走のレースに出場し、12秒21を記録したという。当時からポテンシャルはあった。

立命館慶祥高校への進学後、陸上部に所属して本格的にスプリント競技に取り組んでいく。有名な指導者がいる環境ではなく、自ら考えながらトレーニングに励んでいたが、小池はめきめきと頭角を現していき、1年次には100メートル、200メートル、4×400メートルリレーで全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場する。この時は全国の舞台では結果を残せなかったものの、そこから3年連続で同大会に出場し、3年次には100メートル、200メートルでともに2位という好成績を残した。

常に前にいた強烈なライバルは桐生祥秀

陸上転向からわずか3年で全国2位。大きな注目を浴びても良さそうなものだが、小池に強いスポットライトが当てられることはなかった。この時に100メートル、200メートルを制した人物が、同学年のスーパースター桐生祥秀(きりゅう・よしひで)だったからだ。

当時、桐生はすでに100メートルで10秒01という記録をたたき出しており、陸上ファン以外にも名の知れた存在だった。実際、3年次のインターハイの100メートルでは桐生が10秒19、小池は10秒38、200メートルでは桐生が20秒66、小池は20秒99と、いずれも後塵を拝している。

小池の記録も例年なら優勝してもおかしくないものだった。しかし、桐生は別次元の存在だった。「桐生のライバル」と評されていた小池だったが、2人の間には一定の差があった。

恩師との出会いが急成長のきっかけに

その後、2014年に慶應義塾大学に進学し、高校時代と同様に独自のトレーニングを続けていく。1年次には世界ジュニア選手権の200メートルで4位、4×100メートルで銀メダルを獲得するなど実績を残している。

しかし、その後は自身の走りを研究し、試行錯誤するあまり、結果を残せない日々が続いた。「迷走していた」と自ら語るほどの時期に転機が訪れたのは大学3年次。アドバイザリーとして時折、練習に顔を出していた臼井淳一氏に相談したことで道が開けた。

臼井氏は走り幅跳びを専門とし、日本人2人目の8メートルジャンパーとなった人物だ。1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪に出場している。そんな大先輩に自分の走りを客観的に分析してもらい、アドバイスを受け、そして練習メニューをすべて委ねることで、小池の走りは劇的に改善されていった。大学4年次の日本学生陸上競技対校選手権大会、通称「日本インカレ」では、本人が最も得意とする種目である200メートルで優勝した。

卒業後の2018年には全日本空輸(ANA)に進み、引き続き臼井氏に師事していく。その成果はすぐに表れ、同年4月の織田記念国際SEIKOチャレンジでは100メートルで10秒20と自己ベストを更新。そして6月の日本陸上競技選手権大会では、100メートルで山縣亮太、ケンブリッジ飛鳥、桐生に次ぐ4位に入った。タイムは10秒17で、再び自己ベストを更新。3位桐生との差はわずか0.01秒だった。

7月にベルギーで行われた大会では200メートルで20秒29をたたき出し、こちらも自己ベストを塗り替えた。この種目において、ついに自己ベストは20秒41の桐生を上回ることに成功した。

そして8月、ジャカルタで行われたアジア競技大会で、小池はついに金メダルを獲得する。タイムは20秒23。隣のレーンを走る楊俊瀚(よう・しゅんかん/台湾)との壮絶なデッドヒートとなり、ゴール後は勢い余って転倒するほどの激走だったが、1000分の2秒というわずかな差で栄冠をつかんだ。同種目では2006年大会の末續慎吾以来、実に12年ぶりとなる金メダルで、200メートルに強い飯塚翔太をも制してのタイトル獲得だった。

充実の環境を手に入れ、さらなる高みへ

シニアの国際大会で実績を残したことで、小池の心にある変化が生じた。ANAでは社業と競技を両立させていたが、「これでは『世界』に追いつくことはできない。100パーセントを陸上に注ぎたい」という思いが芽生えていった。

そして2018年12月、小池は住友電工陸上部に移籍する。彼の母校である慶應義塾大学とナショナルトレーニングセンターを拠点としてトレーニングに専念し、2019年の世界陸上、そしてもちろん2020年東京五輪をめざすことになった。

恩師である臼井氏もコーチとして入部している。2019年春からは100メートル10秒07の記録を持つ多田修平や、小池の大学の後輩である永田駿斗の加入も内定している。小池にとってはこれ以上ない環境が整うことになる。

小池自身は、200メートルでの東京五輪出場に狙いを定めている。「20秒03の日本記録を超えないといけない。決勝の舞台に立つには、19秒台を出さないといけない」。現在の目標をそのように語っている。20秒03の日本記録は小池より前にアジア大会を制した末續が2003年6月の日本選手権で出したもので、15年以上にわたって破られていない。

100メートルでは2017年9月、ライバルとして切磋琢磨してきた桐生が日本人で初めて9秒台の記録を出した。200メートルで日本人が19秒台を出す機運も高まっており、その記録を出すのが小池であっても不思議はない。

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