2017年、追い風参考ながら国内大会における日本人初の9秒台を記録した多田修平は、突如日本陸上短距離界に現れた「シンデレラボーイ」となった。その後、世界やアジアの舞台での活躍と、自身の変化を求めて突き当たった大きな壁。すべての経験は2020年とその先へとつながっていく。
追い風参考で9秒台を記録し、一躍注目の人に
全国的にはほぼ無名の存在だった多田修平が、「シンデレラボーイ」のように突如として頭角を現した。2017年6月10日に開催された日本学生陸上競技個人選手権大会、男子100メートルの準決勝で9秒94という好記録たたき出した。追い風4.5メートルの参考記録ながら、日本人にとって長らく立ちはだかってきた「10秒の壁」を越え、9秒台を記録してみせた。
同月に行われた第101回日本陸上競技選手権大会の男子100メートル決勝では10秒16をマーク。追い風0.6メートルという状況で、リオデジャネイロ五輪の4×100メートルリレーで銀メダルを獲得したケンブリッジ飛鳥、桐生祥秀(きりゅう・よしひで)、山縣亮太(やまがた・りょうた)を上回っての2位という大健闘を見せた。
そして日本代表に初選出され、2017年にロンドンで開催された世界陸上競技選手権大会に出場し、男子100メートルでは準決勝に進出。4×100メートルリレーでは堂々と第1走者を務め、飯塚翔太、桐生、藤光謙司とともに銅メダルに輝いた。
2019年1月時点での自己ベストタイムは10秒7。2017年9月に日本学生陸上競技対校選手権で記録したもので、これは日本歴代7位タイのタイムだ。多田は今、9秒98の日本記録を持つ桐生に次ぐ、公式記録での9秒台到達が待望される若きスプリンターとして脚光を浴びている。
ミニハードルを用いた基礎練の成果が開花
多田は1996年6月24日に大阪府東大阪市で生まれ、石切中学校で陸上を始めた。その後、大阪桐蔭高校を経て関西学院大学に進学。2019年春からは大阪に本社がある住友電工への入社が内定している。
並外れたバネのある走りの基礎をつくったのが、大阪桐蔭高時代のミニハードルを用いたトレーニングだ。多田は2011年に創部された陸上部の第1期生だが、同部の本格的な練習は週に2日だけが基本。練習内容は量よりも質が重視され、等間隔に並べたミニハードルを片足で飛び越す「ホッピング」や、太もも裏などを鍛える「大股歩行」といった基礎体力をつける練習を繰り返し行うことで、下半身の筋肉を強化し、スムーズな重心移動を体得した。
大阪桐蔭高校時代のベストタイムは10秒50で、全国高等学校総合体育大会の成績も6位に終わった。高校時代から日本代表に選出されていた桐生祥秀やサニブラウン・アブデルハキームといったライバルと比べたら目立たず、「非エリート」の部類だった。しかし、高校時代に積んだ基礎練習の成果は、関西学院大学に入学後にはっきりと現れた。
大阪陸上競技協会が2015年に立ち上げた「OSAKA夢プログラム」の指定選手の一人として、東京五輪に向けた選手強化の一環で2017年2月から3月にかけてアメリカ合宿に参加。100メートル元世界記録保持者のアサファ・パウエル氏(ジャマイカ)などの指導を受け、出足の鋭さを磨いた。低い姿勢からぐっと抜け出すスタートから中盤までのスピードは抜群で、2017年の世界陸上競技選手権大会では、一時的ではあったが同走のウサイン・ボルト(ジャマイカ)の前に出たこともある。序盤から小刻みなピッチで一気に加速し、逃げ切るレースが多田の勝利パターンだ。
あだとなったフォーム改造で、「一番悔しい」涙
華々しい活躍が目立った2017年から一転、2018年はもがき苦しむシーズンとなった。
さらなる飛躍をめざし、課題としていたレース後半の失速を改善すべくフォームの改造に取り組んだことが裏目に出てしまった。スタート時の腰をやや高い位置に変更し、後半に体が反ってしまう悪癖を修正。序盤は一歩一歩踏み込むようにピッチを抑え、レース後半に体力を残し、最高速度の地点をやや後半へ持ってくるよう意識した。しかし、蹴る意識を強めるあまり、序盤の加速は鈍り、足が後ろに流れる新たな悪癖ができてしまった。
5月の関西学生陸上競技対校選手権大会こそ4連覇を達成したものの、調子は一向に上がらない。その後、スタートの走法を以前の形に戻しても感覚を取り戻すことはできず、照準を合わせていた6月の日本陸上競技選手権の100メートルは5位に終わった。タイムこそ同シーズンの自己ベストとなる10秒22をマークしたものの、山縣、ケンブリッジ、桐生、小池祐貴に敗れ、アジア競技大会の代表も逃し、「陸上人生で一番悔しい」と涙を流した。
大ブレイクから2年目で大きな壁に突き当たった多田だが、それが東京五輪の2年前であったことは幸いだったと言えるかもしれない。世界選手権もないシーズンであったため、失敗を恐れずにチャレンジしたこと自体に数字以上の価値がある。自身の挑戦を前向きに捉え、この経験を生かせるかどうかは今後の本人次第。東京五輪を1年後に控えた2019年、社会人デビューも果たす多田にとっては真価の問われる一年となる。
日本男子短距離界「4強」の一角となれるか
多田が日本短距離界のトップクラスに躍り出たことで期待が高まるのは、東京五輪の男子4×100メートルリレーでのメダル獲得だ。2016年のリオデジャネイロ五輪では、山縣、桐生、飯塚、ケンブリッジの4選手によって白熱のレースを展開し、見事に銀メダルを獲得して日本中を沸かせた。この「4強」を切り崩し、多田も加わることができるか。選手間の競争意識がさらに増せば、日本の2大会連続の表彰台入りも十分に現実的なものとなってくる。
多田も銅メダル獲得に貢献した2017年のロンドン世界選手権では、山縣、ケンブリッジ、サニブラウンを欠いた状況でも3位に入っていることに表れるように、代表枠を巡る国内の争いは熾烈を極める。2018年のアジア大会のリレーでは男子4×100メートルリレーの一員として金メダルを手にしている多田も、少しでも調子を落とせば東京五輪は遠のいてしまう。それだけ近年の日本短距離界はレベルが向上し、選手たちの力の差は拮抗している。
まずは2018年のつまずきを乗り越え、持ち味である爆発力のあるスタートを再び取り戻せるか。そして多田自身が理想とする、スタートの勢いはそのままに後半までスピードを保った「完全体」を身につけることができれば、2020年、東京で輝く彼の姿が見られるだろう。